玉勝間 / 四の巻 為兼卿の歌の事
六條ノ内大臣有房公の野守の鏡の序に云、此ごろ爲兼ノ卿と云へる人、先祖代代の風をそむき、累世家家の義をやぶりて、詠める歌ども、すべてやまと言の葉にも有らず、と申侍しかど、かの卿は、和歌のうら風、えず傳はりたる家にて侍れば、さだめてやうこそ有らめ、と思ひ侍しほどに、くはしく問ふ事も無くて止みにき。今又これをうれへ給へるにこそ、まことの誤りとは思ひ知り侍ぬれ、と云ふに、かの僧あざわらひて、堯舜の子、柳下惠がおとと、皆おろかなりしうへは、其家なればとて必ずしもかしこかるべきに有らず。又佛すでに、わが法をば、我弟子失ふべしとて、獅子の身の中の虫の、獅子をはむに譬へさせ給へり。そのむねにたがはず、内外の法みな、其道をつたふる人、其義をあやまるより、すたれ行く事にて侍れば、歌の道も、歌の家より失せむ事、力無き事にて侍る。かの卿は、御門の御めぐみ深き人にて侍るなるに、是れをそしりて、みつしほのからき罪に申シしづめられん事も、よしなかるべきわざにて侍れば、くはしく其あやまりを申しがたし、ただこの畧頌にて心得給へ。
新字:六条ノ内大臣有房公の野守の鏡の序に云、此ごろ為兼ノ卿と云へる人、先祖代代の風をそむき、累世家家の義をやぶりて、詠める歌ども、すべてやまと言の葉にも有らず、と申侍しかど、かの卿は、和歌のうら風、えず伝はりたる家にて侍れば、さだめてやうこそ有らめ、と思ひ侍しほどに、くはしく問ふ事も無くて止みにき。今又これをうれへ給へるにこそ、まことの誤りとは思ひ知り侍ぬれ、と云ふに、かの僧あざわらひて、堯舜の子、柳下恵がおとと、皆おろかなりしうへは、其家なればとて必ずしもかしこかるべきに有らず。又仏すでに、わが法をば、我弟子失ふべしとて、獅子の身の中の虫の、獅子をはむに譬へさせ給へり。そのむねにたがはず、内外の法みな、其道をつたふる人、其義をあやまるより、すたれ行く事にて侍れば、歌の道も、歌の家より失せむ事、力無き事にて侍る。かの卿は、御門の御めぐみ深き人にて侍るなるに、是れをそしりて、みつしほのからき罪に申シしづめられん事も、よしなかるべきわざにて侍れば、くはしく其あやまりを申しがたし、ただこの略頌にて心得給へ。
書き下し
六条の内大臣有房公の野守の鏡の序に云う、この頃為兼の卿と云える人、先祖代々の風をそむき、累世家々の義をやぶりて、詠める歌ども、すべてやまと言の葉にも有らず、と申し侍りしかど、かの卿は、和歌のうら風、えず伝わりたる家にて侍れば、さだめてようこそ有らめ、と思い侍りしほどに、くわしく問う事も無くて止みにき。今またこれをうれえ給えるにこそ、まことの誤りとは思い知り侍りぬれ、と云うに、かの僧あざわらいて、堯舜の子、柳下恵がおとと、皆おろかなりしうえは、その家なればとて必ずしもかしこかるべきに有らず。また仏すでに、わが法をば、我が弟子失うべしとて、獅子の身の中の虫の、獅子をはむに譬えさせ給えり。そのむねにたがわず、内外の法みな、その道をつたうる人、その義をあやまるより、すたれ行く事にて侍れば、歌の道も、歌の家より失せむ事、力無き事にて侍る。かの卿は、御門の御めぐみ深き人にて侍るなるに、これをそしりて、みつしおのからき罪に申ししづめられん事も、よしなかるべきわざにて侍れば、くわしくその誤りを申しがたし、ただこの略頌にて心得給え。
現代語訳
六条内大臣有房公(源有房)の「野守鏡」の序に言う。「この頃、為兼卿(京極為兼)という人が、先祖代々の歌風に背き、代々の家々の歌の義を破って詠んだ歌などは、まったく大和言葉の歌でもない、と申す人がおりましたが、あの卿は和歌の浦風が絶えず伝わった家の人でございますから、きっと理由があるのだろうと思っておりましたうちに、詳しく尋ねることもなくて終わってしまいました。今またこのことを憂えておられるので、本当の誤りだと思い知りました」と言うと、あの僧はあざ笑って、「堯・舜の子や、柳下恵の弟は、みな愚かであったのだから、その家の者だからといって必ずしも賢いわけではない。また仏はすでに、わが法はわが弟子が失うだろうと言って、獅子の身の中の虫が獅子を食うことに譬えておられる。その趣旨に違わず、仏法も外の教えもみな、その道を伝える人がその義を誤ることから廃れてゆくことでございますから、歌の道も歌の家から失われることは、やむを得ないことである。あの卿は帝のお恵みの深い人であるそうですので、これを謗って、塩の辛いような重い罪に申し沈められることも、つまらないことでございますから、詳しくその誤りを申し上げることはできません。ただこの略頌(要点をまとめた言葉)で心得てください」。
解説
関連する章句
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『玉勝間』四の巻 為兼卿の歌の事それ歌は、心をたねとして、心をたねとせず、心すなおにして、心すなおにせず、ことばを離れて、ことばを離れず、風情をもとめて、風情をもとめず、姿をならいて、姿をならわず、古風をうつして、古風をうつさざる事にてなん侍る、と申すに云々。
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『玉勝間』十二の巻 俊成卿定家卿などの歌を悪しく云ひなす事近き頃、万葉ぶりの歌をものするともがら、みだりに心高き事を云いて、俊成の卿定家の卿などの歌をば、いたく拙きようにたやすげに云いおとすなるは、世の歌よみどもおしなべて、神のごと尊みかしこむを、ねたみて、あながちに云いくたさむとする、みだり事なり。そもそもこの卿たちの歌、悪しき事も、絶えて無きには有らざめれど、すべてのよう、古えより世々のあいだに、ぬけ出でたるところ有りて、まことにいとめでたし。然云いおとすともがら、いかに詠むとも、あしもとへ寄る事あたわじをや。
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『玉勝間』八の巻 今の人の歌文ひがこと多き事近き世の人のは、歌も文も、大かたはよろしと見ゆるにも、猶ひが事の多きぞかし。されど其のたがえるふしを、見知れる人はた世に無ければ、唯だかいなでに、此処かしこえんなる詞を使い、よしめきて、詠みなし書き散らしたるをば、誠に善しと見て、人のもてはやし、ほめたつれば、心をやりて、したり顔すめる、いとかたはら痛く、おこがましくさえぞ思わるる。さるにつけては、斯く云うおのが物する事も、猶いかにひが事有らむと、物よく見知れらむ人の心ぞ、恥しかりける。人のひが事の、よく見え分かるるにつけては、我はよくわきまえたれば、ひが事はせずと、思いほこれど、古えの事の心をさとり知るすじは、限り無きわざにし有れば、此外あらじとは、いとなん定め難きわざなりける。
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『玉勝間』十の巻 詩の事云へるから人の詞一ッ二ッ厳滄浪、詩話と云う物に、詩の是非は、必ずしも争わず、試みに己が詩を以て、之を古人の詩の中に置き、識者に与えて之を観しめ、弁ずること能わざれば則ち真の古人なり、と云える事あり。歌もさることなり。また王敬美が芸圃擷余と云うものに、余嘗て明卿の五七言律に服して謂う、他人の詩は、多く高き処に於て穏やかなるを失い、明卿の詩は、多く穏やかなる処に於て高きを蔵す、と云えり。これまた歌もさることなり。凡てもろこしにて、宋明の頃など、詩の事を論じたるに、歌とこころばえのもはら同じき、かかるたぐいの事多かり。若かりし程、こうようのからぶみどもをも、いささか見たりし中に、おかしと覚ゆるふしぶし、ぬき出でて書きおきつるが、ものの底に残れるを、引き出でて見れば、今もおかしき事どものまじれるを、ひとつ二つまたぬき出でつるなり。
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うひ山ぶみ・注[オ]後世風の中にもさまざまよきあしきふりさのみいひてやむべきにもあらず、よくしたゝめなば、まねび得ることも、などかは絶てなからん、さて又玉葉風雅の二ツの集は、為兼卿流の集なるが、彼卿の流の歌は、皆ことやうなるものにして、いといやしくあしき風なり、されば此一流は、其時代よりして、異風と定めしこと也、さて件ンの二集と、新古今とをのぞきて外は、千載集より、廿一代のをはり新続古今集までのあひだ、格別にかはれることなく、おしわたして大抵同じふりなる物にて、中古以来世間普通の歌のさまこれなり、さるは世の中こぞりて、俊成卿定家卿の教ヘをたふとみ、他門の人々とても、大抵みなその掟を守りてよめる故に、よみかた大概に同じやうになりて、世々を経ても、さのみ大きにかはれる事はなく、定まれるやうになれるなるべし、世に二條家の正風体といふすがた是也、此ノ代々の集の内にも、すこしづゝは、勝劣も風のかはりもあれども、大抵はまづ同じこと也、さて初学の輩の、よむべき手本には、いづれをとるべきぞといふに、上にいへるごとく、
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『玉勝間』四の巻 東鏡にしるせる事二つ三つ東鏡に、建保二年二月十日、坊門新黄門(忠信)の使者、京都より参着す、蹴鞠の書一巻を送らる、かの卿去年十二月、紫革の韈を聴さる、宗長朝臣も同じ云々。将軍家諸道を賞翫し給う中に、殊に御意に叶う者は、歌鞠の両芸なり。また同年八月二十九日、去る十六日、仙洞の秋十首歌合、二条中将雅経朝臣写し進ず、将軍家殊にこれを賞翫せしめ給う云々。また同三年七月六日、坊門黄門(忠信卿)去る六月二日の仙洞歌合(衆議判)一巻を将軍家に進ぜらる、これ内々の勅定に依るなり云々、将軍は実朝の大臣なり。この大臣、公暁にころされ給わむとせし頃、いろいろあやしきさとしども有りける中に、公氏御鬢つかうまつりけるに、みづから御鬢の髪を一すじ抜き給いて、形見とて給わせけり。また庭の梅の花を見給いて、ゆゆしき歌をなん詠み給いける、「出でていなばぬし無き宿となりぬとも軒端の梅よ春をわするな、同書にしるしたり。また承久のみだれに、中御門の入道中納言宗行の卿、とらわれて、東にくだらるる時、七月十日に、遠江の国菊河のうまやに宿られけるを、よもすがら寝られず、法華経を読みて、屋の柱に書きつけられける。昔南陽軒の菊水、下流を汲みて齢を延ぶ、今東海道の菊河、西岸に宿りて命を失う、とぞ書きつけられける。
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