うひ山ぶみ / 注[オ]後世風の中にもさまざまよきあしきふり
さのみいひてやむべきにもあらず、よくしたゝめなば、まねび得ることも、などかは絕てなからん、さて又玉葉風雅の二ツの集は、爲兼卿流の集なるが、彼卿の流の哥は、皆ことやうなるものにして、いといやしくあしき風なり、されば此一流は、其時代よりして、異風と定めしこと也、さて件ンの二集と、新古今とをのぞきて外は、千載集より、廿一代のをはり新續古今集までのあひだ、格別にかはれることなく、おしわたして大抵同じふりなる物にて、中古以來世間普通の哥のさまこれなり、さるは世の中こぞりて、俊成卿定家卿の敎ヘをたふとみ、他門の人々とても、大抵みなその掟を二守りてよめる故に、よみかた大概に同じやうになりて、世々を經ても、さのみ大きにかはれる事はなく、定まれるやうになれるなるべし、世に二條家の正風躰といふすがた是也、此ノ代々の集の內にも、すこしづゝは、勝劣も風のかはりもあれども、大抵はまづ同じこと也、さて初學の輩の、よむべき手本には、いづれをとるべきぞといふに、上にいへるごとく、
新字:さのみいひてやむべきにもあらず、よくしたゝめなば、まねび得ることも、などかは絶てなからん、さて又玉葉風雅の二ツの集は、為兼卿流の集なるが、彼卿の流の歌は、皆ことやうなるものにして、いといやしくあしき風なり、されば此一流は、其時代よりして、異風と定めしこと也、さて件ンの二集と、新古今とをのぞきて外は、千載集より、廿一代のをはり新続古今集までのあひだ、格別にかはれることなく、おしわたして大抵同じふりなる物にて、中古以来世間普通の歌のさまこれなり、さるは世の中こぞりて、俊成卿定家卿の教ヘをたふとみ、他門の人々とても、大抵みなその掟を二守りてよめる故に、よみかた大概に同じやうになりて、世々を経ても、さのみ大きにかはれる事はなく、定まれるやうになれるなるべし、世に二条家の正風体といふすがた是也、此ノ代々の集の内にも、すこしづゝは、勝劣も風のかはりもあれども、大抵はまづ同じこと也、さて初学の輩の、よむべき手本には、いづれをとるべきぞといふに、上にいへるごとく、
書き下し
さのみいひてやむべきにもあらず、よくしたゝめなば、まねび得ることも、などかは絶てなからん、さて又玉葉風雅の二ツの集は、為兼卿流の集なるが、彼卿の流の歌は、皆ことやうなるものにして、いといやしくあしき風なり、されば此一流は、其時代よりして、異風と定めしこと也、さて件ンの二集と、新古今とをのぞきて外は、千載集より、廿一代のをはり新続古今集までのあひだ、格別にかはれることなく、おしわたして大抵同じふりなる物にて、中古以来世間普通の歌のさまこれなり、さるは世の中こぞりて、俊成卿定家卿の教ヘをたふとみ、他門の人々とても、大抵みなその掟を守りてよめる故に、よみかた大概に同じやうになりて、世々を経ても、さのみ大きにかはれる事はなく、定まれるやうになれるなるべし、世に二條家の正風体といふすがた是也、此ノ代々の集の内にも、すこしづゝは、勝劣も風のかはりもあれども、大抵はまづ同じこと也、さて初学の輩の、よむべき手本には、いづれをとるべきぞといふに、上にいへるごとく、
現代語訳
そうとばかり言ってやめるべきでもない。よく心得て取り組めば、まねび得ることも、どうして絶えてないことがあろうか。さてまた『玉葉集』『風雅集』の二つの集は、為兼卿(京極為兼)の流れの集であるが、あの卿の流れの歌はみな異様なもので、たいへん卑しく悪い風である。だからこの一流はその時代から異風と定めていたのである。さて、この二集と新古今とを除いては、『千載集』から二十一代集の終わりの『新続古今集』までの間は、格別に変わったこともなく、全体におおよそ同じ風のものであって、中古以来の世間普通の歌の様子がこれである。それは世の中がこぞって俊成卿(藤原俊成)・定家卿(藤原定家)の教えを尊び、他門の人々でも、おおよそみなその掟を守って詠んだために、詠み方がおおかた同じようになって、時代を経てもそれほど大きく変わったことはなく、定まったようになったのであろう。世に二条家の正風体という姿がこれである。この代々の集の中にも、少しずつは優劣も風の変わりもあるが、おおよそはまず同じことである。さて、初学の者が詠むべき手本にはどれを取るべきかというと、上に述べたように、
解説
この章句が説くこと
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うひ山ぶみ・注[オ]後世風の中にもさまざまよきあしきふり然れども大かた光孝天皇宇多天皇の御代のころよりこなたの歌は、万葉なるとはいたくかはりて、後世風の方にちかきさまなれば、此集をば、姑く後世風の始めの、めでたき歌とさだめて、明暮にこれを見て、今の京となりてよりこなたの、歌といふ物のすべてのさまを、よく心にしむべき也、次に後撰集拾遺集は、えらびやう甚ダあらくみだりにして、えもいはぬわろき歌の多き也、然れどもよき歌も又おほく、中にはすぐれたるもまじれり、さて次に後拾遺集よりこなたの、代々の撰集ども、つぎつぎに盛衰善悪さまざまあれども、そをこまかにいはむには、甚ダ事長ければ、今は省きて、その大抵をつまみていはば、其間ダに新古今集は、そのころの上手たちの歌どもは、意も詞もつゞけざまも、一首のすがたも、別に一ツのふりにて、前にも後にもたぐひなく、其中に殊によくとゝのひたるは、後世風にとりては、えもいはずおもしろく心ふかくめでたし、そもそも上代より今の世にいたるまでを、おしわたして、事のたらひ備りたる、歌の真盛は、
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うひ山ぶみ・注[オ]後世風の中にもさまざまよきあしきふり古今集ともいふべけれども、又此新古今にくらべて思へば、古今集も、なほたらはずそなはらざる事あれば、新古今を真盛といはんも、たがふべからず、然るに古風家の輩、殊に此集をわろくいひ朽すは、みだりなる強ごと也、おほかた此集のよき歌をめでざるは、風雅の情をしらざるものとこそおぼゆれ、但し此時代の歌人たち、あまりに深く巧をめぐらされたるほどに、其中に又くせ有て、あしくよみ損じたるは、殊の外に心得がたく、無理なるもおほし、されどさるたぐひなるも、詞うるはしく、いひまはしの巧なる故に、無理なる聞えぬ事ながらに、うちよみあぐるに、おもしろくて捨がたくおぼゆるは、此ほどの歌共也、されどこれは、此時代の上手たちの、あやしく得たるところにて、さらに後の人の、おぼろけにまねび得べきところにはあらず、しひてこれをまねびなば、えもいはぬすゞろごとになりぬべし、いまだしきほどの人、ゆめゆめこのさまをしたふべからず、されど又、歌のさまをくはしくえたらんうへにては、
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うひ山ぶみ・注[オ]後世風の中にもさまざまよきあしきふりまづ古今集をよく心にしめおきて、さて件ンの千載集より新続古今集までは、新古今と玉葉風雅とをのぞきては、いづれをも手本としてよし、然れども件の代々の集を見渡すことも、初心のほどのつとめには、たへがたければ、まづ世間にて、頓阿ほふしの草庵集といふ物などを、会席などにもたづさへ持て、題よみのしるべとすることなるが、いかにもこれよき手本也、此人の歌、かの二條家の正風といふを、よく守りて、みだりなることなく、正しき風にして、わろき歌もさのみなければ也、其外も題よみのためには、題林愚抄やうの物を見るも、あしからず、但し歌よむ時にのぞみて、歌集を見ることは、癖になるものなれば、なるべきたけは、書を見ずによみならふやうにすべし、たゞ集共をば、常々心がけてよく見るべき也、さてこれより近世のなべての、歌人のならひの、よろしからざる事共をいひて、さとさむとす、そはまづ道統といひて、其伝来の事をいみしきわざとして、尊信し、歌も教ヘも、たゞ伝来正しき人のをのみ、
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うひ山ぶみ・第四十七段後世風の中にも、さまざまよきあしきふりふりあるを、よくえらびてならふべき也、
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うひ山ぶみ・注[ウ]万葉の歌の中にてもいまだその法度を示したる書などもなき故に、とかく古風家の歌は、みだりなることおほきぞかし、長歌をもよむべし、長歌は、古風のかた殊にまされり、古今集なるは、みなよくもあらず、中にいとつたなきもあり、大かた今の京になりての世には、長歌よむことは、やうやうにまれになりて、そのよみざまも、つたなくなりし也、後世にいたりては、いよいよよむことまれなりしを、万葉風の歌をよむ事おこりて、近きほどは、又皆長歌をも多くよむこととなりて、其中には、万葉集に入ルとも、をさをさはづかしかるまじきほどのも、まれには見ゆるは、いともいともめでたき大御世の栄えにぞ有ける、そもそも世の中のあらゆる諸の事の中には、歌によまんとするに、後世風にては、よみとりがたき事の多かるに、返て古風の長歌にては、よくよみとらるゝことおほし、これらにつけても、古風の長歌、必ズよみならふべきこと也、又後世風をもすてずして云々、今の世、万葉風をよむ輩は、後世の歌をば、ひたすらあしきやうに、いひ破れども、そは実によきあしきを、
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うひ山ぶみ・注[ノ]又後世風をもすてずして万葉風のみにては、よみとりがたき事など多き故に、やうやうと後世風の意詞をも、まじへよむほどに、いつしか後世風にちかくなりゆきて、なほをりをりは、ふるめきたる事もまじりて、さすがに全くの後世風にもあらず、しかも又古今集のふりにもあらず、おのづから別に一風なるも多きぞかし、これ古風のみにては、事たらざるところのあるゆゑなり、すべて後世風をもよまではえあらぬよしを、なほいはば、まづ万葉の歌を見るに、やすらかにすがたよきは、其趣いづれもいづれも、似たる事のみ多く、よめる意大抵定まれるが如くにて、或は下ノ句全く同じき歌などもおほく、すべて同じやうなる歌いと多し、まれまれにめづらしき事をよめるは、多くはいやしげにて、歌ざまよろしからず、然るを万葉の後今の世まで、千余年を経たる間ダ、歌よむ人、みなみな万葉風をのみ守りて変ぜずして、しかもよき歌をよまんとせば、皆万葉なる歌の口まねをするやうにのみ出来て、外によむべき事なくして、新タによめる詮なかるべし、されば世々を経て、
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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