玉勝間 / 十の巻 長嘯子の歌
擧白集に、見も知らぬ人の、柴の戶をさしのぞきて、心あるかなと、ほのかに云へりければ、「あはれしる我身ならねど山里にすめば心のありげなるかな。
新字:挙白集に、見も知らぬ人の、柴の戸をさしのぞきて、心あるかなと、ほのかに云へりければ、「あはれしる我身ならねど山里にすめば心のありげなるかな。
書き下し
挙白集に、見も知らぬ人の、柴の戸をさしのぞきて、心あるかなと、ほのかに云えりければ、「あわれしる我身ならねど山里にすめば心のありげなるかな。
現代語訳
挙白集に、見知らぬ人が柴の戸からのぞき込んで、「風情のある住まいだなあ」とかすかに言ったので、(詠んだ歌)「もののあわれを知る我が身ではないけれど、山里に住んでいると、いかにも心ある人のように見えるのだなあ」。
解説
木下長嘯子の家集挙白集から、一首を詞書ごと書き留めた段である。長嘯子は秀吉の妻北政所の甥で、関ヶ原の後に武将の身を捨て、京の東山に隠棲して歌を詠んだ。見知らぬ人が庵をのぞいて「心あるかな」とつぶやいたのを聞き、自分は情趣を解する者ではないが、山里に住んでいるだけでそう見えるのだろう、と軽く受け流す。謙遜と自嘲、そして住まいが人の見え方を作ってしまうことへの苦笑が一首に込められている。長嘯子は伝統にとらわれない自由な歌風で知られ、宣長もこの前後の段で挙白集を続けて引いている。心の動きをそのまま言葉にした歌を好む宣長の趣味がうかがえる。肩書や住まいで人を判断してしまう私たちの目に、ちくりと刺さる一首でもある。
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