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玉勝間 / 十の巻 詩の事云へるから人の詞一ッ二ッ

嚴滄浪、詩話と云ふ物に、詩之是非、不必爭、試以己詩、置之古人詩中、與識者觀之、而不能辨則眞古人矣、と云へる事あり。歌もさることなり。又王敬美が藝圃擷餘と云ふものに、余甞服明卿五七言律謂、他人詩、多於高處失穩、明卿詩、多於穩處藏高と云へり。これ又歌もさることなり。凡てもろこしにて、宋明の頃など、詩の事を論じたるに、歌とこころばへのもはら同じき、斯かるたぐひの事多かり。若かりし程、かうやうのからぶみどもをも、いささか見たりし中に、おかしと覺ゆるふしぶし、ぬき出て書おきつるが、ものの底に殘れるを、引出て見れば、今もおかしき事どものまじれるを、ひとつ二つ又ぬき出つるなり。

新字:厳滄浪、詩話と云ふ物に、詩之是非、不必争、試以己詩、置之古人詩中、与識者観之、而不能弁則真古人矣、と云へる事あり。歌もさることなり。又王敬美が芸圃擷余と云ふものに、余甞服明卿五七言律謂、他人詩、多於高処失穏、明卿詩、多於穏処蔵高と云へり。これ又歌もさることなり。凡てもろこしにて、宋明の頃など、詩の事を論じたるに、歌とこころばへのもはら同じき、斯かるたぐひの事多かり。若かりし程、かうやうのからぶみどもをも、いささか見たりし中に、おかしと覚ゆるふしぶし、ぬき出て書おきつるが、ものの底に残れるを、引出て見れば、今もおかしき事どものまじれるを、ひとつ二つ又ぬき出つるなり。

書き下し

厳滄浪、詩話と云う物に、詩の是非は、必ずしも争わず、試みに己が詩を以て、之を古人の詩の中に置き、識者に与えて之を観しめ、弁ずること能わざれば則ち真の古人なり、と云える事あり。歌もさることなり。また王敬美が芸圃擷余と云うものに、余嘗て明卿の五七言律に服して謂う、他人の詩は、多く高き処に於て穏やかなるを失い、明卿の詩は、多く穏やかなる処に於て高きを蔵す、と云えり。これまた歌もさることなり。凡てもろこしにて、宋明の頃など、詩の事を論じたるに、歌とこころばえのもはら同じき、かかるたぐいの事多かり。若かりし程、こうようのからぶみどもをも、いささか見たりし中に、おかしと覚ゆるふしぶし、ぬき出でて書きおきつるが、ものの底に残れるを、引き出でて見れば、今もおかしき事どものまじれるを、ひとつ二つまたぬき出でつるなり。

現代語訳

厳滄浪(南宋の厳羽)の『詩話』(滄浪詩話)という書に、「詩の良し悪しは、必ずしも言い争うには及ばない。試しに自分の詩を古人の詩の中に置き、目の利く人に見せて、区別がつかなければ、それは本物の古人の域である」と言っていることがある。歌もそうしたものである。また王敬美(明の王世懋)の『芸圃擷余』というものに、「私はかつて明卿(呉国倫)の五言・七言の律詩に感服して言った。他の人の詩は、多くは高く張ったところで穏やかさを失うが、明卿の詩は、多くは穏やかなところに高さを隠している」と言っている。これもまた歌もそうしたものである。総じて中国で、宋・明の頃などに詩のことを論じたものには、歌と趣旨がまったく同じである、こうした類いのことが多い。若かった頃、こういう漢籍もいくらか見たなかで、面白いと思われた箇所を抜き出して書いておいたものが、物の底に残っていたのを引き出して見ると、今でも面白いことが混じっているので、一つ二つまた抜き出したのである。

解説

宋・明の詩論から、歌にもそのまま当てはまる言葉を二つ抜き出した段である。一つは南宋の厳羽の滄浪詩話で、自作を古人の詩に紛れ込ませて目利きが見分けられなければ本物だという。もう一つは明の王世懋の言で、凡手の詩は高く張ると穏やかさを失うが、優れた詩は穏やかさの中に高さを秘めるという。宣長は若い頃の京都遊学で漢学も学び、詩論を読んで気に入った所を書き抜いていた。その古い抜き書きを見返して、今も面白いものを拾い出したのである。漢意を厳しく退ける宣長も、詩歌の表現の機微については中国の論に学ぶべきものを認めていた。古人と並べて見分けがつかないか、穏やかさの中に高さがあるか、という二つの物差しは、文章や仕事の出来を測るときにも使える。

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