史記 / 楚世家
對曰:「小臣之好射鶀鴈,羅鸗,小矢之發也,何足爲大王道也。且稱楚之大,因大王之賢,所弋非直此也。昔者三王以弋道德,五霸以弋戰國。故秦、魏、燕、趙者,鶀鴈也;齊、魯、韓、衞者,靑首也;騶、費、郯、邳者,羅鸗也。外其餘則不足射者。見鳥六雙,以王何取?王何不以聖人爲弓,以勇士爲繳,時張而射之?此六雙者,可得而囊載也。其樂非特朝昔之樂也,其獲非特鳧鴈之實也。王朝張弓而射魏之大梁之南,加其右臂而徑屬之於韓,則中國之路絶而上蔡之郡壞矣。還射圉之東,解魏左肘而外撃定陶,則魏之東外棄而大宋、方與二郡者舉矣。且魏斷二臂,顛越矣;膺撃郯國,大梁可得而有也。王綪繳蘭臺,飲馬西河,定魏大梁,此一發之樂也。若王之於弋誠好而不厭,則出寶弓,碆新繳,射噣鳥於東海,還蓋長城以爲防,朝射東莒,夕發浿丘,夜加卽墨,顧據午道,則長城之東收而太山之北舉矣。西結境於趙而北達於燕,三國布鶴,則從不待約而可成也。北遊目於燕之遼東而南登望於越之會稽,此再發之樂也。若夫泗上十二諸侯,左縈而右拂之,可一旦而盡也。
新字:対曰:「小臣之好射鶀鴈,羅鸗,小矢之発也,何足為大王道也。且称楚之大,因大王之賢,所弋非直此也。昔者三王以弋道徳,五覇以弋戦国。故秦、魏、燕、趙者,鶀鴈也;斉、魯、韓、衛者,青首也;騶、費、郯、邳者,羅鸗也。外其余則不足射者。見鳥六双,以王何取?王何不以聖人為弓,以勇士為繳,時張而射之?此六双者,可得而嚢載也。其楽非特朝昔之楽也,其獲非特鳧鴈之実也。王朝張弓而射魏之大梁之南,加其右臂而径属之於韓,則中国之路絶而上蔡之郡壊矣。還射圉之東,解魏左肘而外撃定陶,則魏之東外棄而大宋、方与二郡者舉矣。且魏断二臂,顛越矣;膺撃郯国,大梁可得而有也。王綪繳蘭台,飲馬西河,定魏大梁,此一発之楽也。若王之於弋誠好而不厭,則出宝弓,碆新繳,射噣鳥於東海,還蓋長城以為防,朝射東莒,夕発浿丘,夜加即墨,顧拠午道,則長城之東収而太山之北舉矣。西結境於趙而北達於燕,三国布鶴,則従不待約而可成也。北遊目於燕之遼東而南登望於越之会稽,此再発之楽也。若夫泗上十二諸侯,左縈而右払之,可一旦而尽也。
書き下し
対へて曰く、「小臣の好んで鶀鴈・羅鸗を射るは、小矢の発なり。何ぞ大王の為に道ふに足らん。且つ楚の大を称し、大王の賢に因らば、弋する所は直だ此のみに非ざるなり。昔者三王は弋を以て道徳し、五覇は弋を以て戦国す。故に秦・魏・燕・趙は、鶀鴈なり。斉・魯・韓・衛は、青首なり。騶・費・郯・邳は、羅鸗なり。外の其の余は則ち射るに足らざる者なり。鳥の六双を見る。王を以て何をか取らん。王何ぞ聖人を以て弓と為し、勇士を以て繳と為し、時に張りて之を射ざる。此の六双の者は、得て囊載すべきなり。其の楽しみは特だ朝昔の楽しみのみに非ず。其の獲は特だ鳧鴈の実のみに非ざるなり。王朝に弓を張りて魏の大梁の南を射、其の右臂に加へて径ちに之を韓に属せば、則ち中国の路絶えて上蔡の郡壊れん。還りて圉の東を射、魏の左肘を解きて外に定陶を撃たば、則ち魏の東外棄てられて大宋・方与の二郡挙がらん。且つ魏二臂を断たば、顛越せん。膺に郯国を撃たば、大梁得て有つべきなり。王繳を蘭台に綪(まと)ひ、馬に西河に飲ましめ、魏の大梁を定む。此れ一発の楽しみなり。若し王の弋に於けるや誠に好みて厭かずんば、則ち宝弓を出だし、新繳を碆(はさ)み、噣鳥を東海に射、還りて長城を蓋ひて以て防と為し、朝に東莒を射、夕に浿丘を発し、夜即墨に加へ、顧みて午道に拠らば、則ち長城の東収まりて太山の北挙がらん。西のかた境を趙に結びて北のかた燕に達し、三国鶴を布かば、則ち従は約を待たずして成るべきなり。北のかた目を燕の遼東に遊ばしめて南のかた登りて越の会稽を望む。此れ再発の楽しみなり。若し夫れ泗上の十二諸侯は、左に縈ひ右に払ひて、一旦にして尽くすべきなり。
現代語訳
その者は答えた。「私が好んで射るのは、小さな雁や小鳥で、小さな矢を放つ程度のものだ。大王にお話しするほどのものではない。それに、楚の大きさを考え、大王の賢明さを頼りとすれば、射るべき獲物はこんなものにとどまらない。昔、夏・殷・周の三王は射ることによって道徳を行い、春秋の五覇は射ることによって戦国を争った。そこでたとえれば、秦・魏・燕・趙は大きな雁であり、斉・魯・韓・衛は青首の鴨であり、騶・費・郯・邳は小鳥である。それ以外は射るまでもない。ここに六組の鳥がいる。王はどれを取られるか。王はなぜ聖人を弓とし、勇士を矢の糸とし、時を見計らって弓を張り、これらを射ないのか。この六組の鳥は、みな射止めて袋に入れて持ち帰ることができる。その楽しみは朝夕の遊びの楽しみどころではなく、その獲物は鴨や雁の肉どころではない。王が朝に弓を張って魏の大梁の南を射て、その右腕に当てて韓につなげば、中原の道は断たれ、上蔡の郡は崩れる。引き返して圉の東を射て、魏の左肘を外し、外から定陶を撃てば、魏の東の外側は見捨てられ、大宋と方与の二郡が手に入る。しかも魏は両腕を断たれれば、倒れてしまう。胸にあたる郯の国を撃てば、大梁を手に入れることができる。王が蘭台で矢の糸を巻き取り、西河で馬に水を飲ませ、魏の大梁を平定する。これが一本目の矢の楽しみだ。もし王が射ることを本当に好み、飽きることがないならば、宝の弓を取り出し、石の矢じりに新しい糸をつけ、東海のくちばしの長い鳥(斉)を射て、引き返して長城を覆って防壁とし、朝に東莒を射、夕に浿丘を射、夜に即墨を射て、振り返って午道を押さえれば、長城の東は手中に収まり、泰山の北も手に入る。西は趙と国境を結び、北は燕まで達して、三国が翼を広げれば、合従は約束を待たずに成立する。北は燕の遼東まで見渡し、南は越の会稽に登って眺める。これが二本目の矢の楽しみだ。泗水のほとりの十二の小国などは、左手で絡め取り右手で払えば、一日で片付けられる。
解説
関連する章句
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史記 楚世家今秦韓を破りて以て長憂と為し、列城を得るも敢て守らず。魏を伐ちて功無く、趙を撃ちて顧って病む。則ち秦・魏の勇力屈せり。楚の故地漢中・析・酈得て復た有つべきなり。王宝弓を出だし、新繳を碆み、鄳塞を渉りて、秦の倦むを待たば、山東・河内得て一にすべきなり。民を労ひ衆を休め、南面して王と称せん。故に曰く、秦は大鳥為り。海内を負ひて処り、東面して立ち、左臂は趙の西南に拠り、右臂は楚の鄢郢に傅き、膺は韓・魏を撃ち、頭を中国に垂る。処既に形便にして、勢ひ地の利有り。翼を奮ひ鶴を鼓すること、方三千里なり。則ち秦は未だ独り招きて夜射るを得べからざるなり」と。以て襄王を激怒せしめんと欲す。故に対ふるに此の言を以てす。襄王因りて召して与に語る。遂に言ひて曰く、「夫れ先王秦の欺く所と為りて外に客死す。怨み焉より大なるは莫し。今匹夫の怨み有るを以てすら、尚ほ万乗に報ゆる有り。白公・子胥是なり。今楚の地は方五千里、帯甲百万、猶ほ以て中野に踴躍するに足る。而るに坐して困しみを受く。臣窃かに大王の為に取らざるなり」と。是に於て頃襄王使ひを諸侯に遣り、復た従を為し、以て秦を伐たんと欲す。秦之を聞き、兵を発して来たりて楚を伐つ。楚斉・韓と連和して秦を伐ち、因りて周を図らんと欲す。周王赧武公をして楚の相昭子に謂はしめて曰く、「三国兵を以て周の郊地を割きて以て輸に便にし、而して器を南にして以て楚を尊ばんとす。臣以て然らずと為す。夫れ共主を弑し、世君を臣とせば、大国親しまず。衆を以て寡を脅かさば、小国附かず。大国親しまず、小国附かずんば、以て名実を致すべからず。名実得ずんば、以て民を傷つくるに足らず。夫れ周を図るの声有るは、号を為す所以に非ざるなり」と。昭子曰く、「乃ち周を図るは則ち之無し。然りと雖も、周何の故に図るべからざる」と。対へて曰く、「軍五ならずんば攻めず、城十ならずんば囲まず。夫れ一周は二十晋為り。公の知る所なり。
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『長短経』七雄略楚人に弱弓微繳を以て帰雁の上に加うる者有り。楚の襄王、召して之に問う。乃ち対うるに秦・燕・趙・衛を以て鳥と為し、以て王を激怒せしめて曰く「夫れ先王、秦の欺く所と為りて、外に客死す。怨み焉より大なるは莫し。今、匹夫を以てして尚お万乗に報ずる有り。子胥・白公、是なり。今、楚の地は方五千里、帯甲百万を以てす。猶お以て中野に踊躍するに足る。而るに坐して伏を受く。臣、竊かに大王の為に取らず」と。襄王、遂に復た縦約を為して秦を伐つ。〉
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戦国策・頃襄王二十年頃襄王二十年、秦の白起楚の西陵を拔き、或は鄢・郢・夷陵を拔き、先王の墓を燒く。王東北に徙り、陳城に保つ、楚遂に削弱し、秦の輕んずる所と爲る。是に於て白起又兵を將ゐて來り伐たんとす。楚人に黃歇なる者有り、游學博聞、襄王以て辯と爲す、故に秦に使す。昭王に說きて曰く、「天下秦・楚より強きは莫し、今大王楚を伐たんと欲すと聞く、此れ猶ほ兩虎相鬥ひて駑犬其の弊を受くるがごとし、楚に善くするに如かず。臣請ふ其の說を言はん。臣之を聞く、『物至れば反る、冬夏是れなり。致りて至れば危ふし、累碁是れなり』と。今大國の地天下に半ばし、二垂有り、此れ生民以來、萬乘の地未だ嘗て有らざるなり。先帝文王・莊王、王の身、三世にして齊に地を接せず、以て從親の要を絕つ。今王三たび盛橋をして韓に事を守らしめ、成橋以北燕に入る。是れ王甲を用ゐず、威を伸べずして、百里の地を出だす、王能と謂ふ可し。王又甲兵を舉げて魏を攻め、大梁の門を杜(ふさ)ぎ、河內を舉げ、燕・酸棗・虛・桃人を拔き、楚・燕の兵云翔して敢へて校せず、王の功亦た多し。王眾を申息すること二年、然る後之を復し、又蒲・衍・首垣を取り、以て仁・平兵に臨み、小黃・濟陽城を嬰(めぐ)らし、魏氏服せり。王又濮・磨の北を割きて之を燕に屬し、齊・秦の要を斷ち、楚・魏の脊を絕つ。天下五たび合し六たび聚まるも敢へて救はず、王の威亦た憚らる。王若し能く功を持し威を守り、攻伐の心を省きて仁義の誡を肥やし、復た後患無からしめば、三王も四に足らず、五伯も六に足らざらん。「王若し人徒の眾きを負み、兵甲の強きを材とし、壹に魏氏の威を毀ちて、力を以て天下の主に臣たらしめんと欲せば、臣恐らくは後患有らん。詩に云ふ、『初め有らざる靡く、克く終り有ること鮮し』と。易に曰く、『狐其の尾を濡らす』と。此れ始の易くして、終の難きを言ふなり。何を以て其の然るを知るや。智氏趙を伐つの利を見て、榆次の禍を知らざりき。吳齊を伐つの便を見て、干隧の敗を知らざりき。此の二國は、大功無きに非ざるなり、利を前に設けて、患を後に易くするなり。呉の越を信ずるや、從ひて齊を伐ち、既に齊人に艾陵に勝ちしも、還りて越王の爲に三江の浦に禽にせられたり。智氏韓・魏を信じ、從ひて趙を伐ち、晉陽の城を攻め、勝つこと日有らんとせしに、韓・魏之に反き、智伯瑤を鑿臺の上に殺せり。今王楚の毀たれざるを妒みて、楚を毀ちて魏を強くするを忘る。臣大王の爲に慮りて取らざるなり。詩に云ふ、『大武は遠宅に涉らず』と。此より之を觀れば、楚國は、援なり。鄰國は、敵なり。詩に云ふ、『他人心有り、予之を忖度す。躍躍たる毚兔、犬に遇ひて獲らる』と。今王中道にして韓・魏の王を善くするを信ず、此れ正に呉の越を信ずるなり。臣聞く、敵は易(あなど)る可からず、時は失ふ可からず、と。臣恐らくは韓・魏の辭を卑くして患を慮るは、實に大國を欺くならん。此れ何ぞや。王既に重世の德韓・魏に無くして、累世の怨有ればなり。韓・魏の父子兄弟踵を接して秦に死する者、百世なり。本國殘れ、社稷壞れ、宗廟隳(こぼ)たれ、腹を刳られ頤を折られ、首身分離し、骨を草澤に暴し、頭顱僵仆し、相ひ境に望み、父子老弱係虜せられて、相ひ路に隨ひ、鬼神狐祥食する所無く、百姓聊生せず、族類離散し、流亡して臣妾と爲る者、海內に滿つ。韓・魏の亡びざるは、秦社稷の憂ひなり。今王の楚を攻むる、亦た失(あやま)たざらんや。是れ王楚を攻むるの日、則ち惡(いづ)くにか兵を出ださん。王將に路を仇讎の韓・魏に藉らんとするか。兵出づるの日にして王其の反らざるを憂へば、是れ王兵を以て仇讎の韓・魏に資するなり。王若し路を仇讎の韓・魏に藉らずんば、必ず陽・右壤を攻めん。陽・右壤に隨へば、此れ皆廣川大水、山林谿谷の不食の地なり、王之を有すと雖も、地を得たりと爲さず。是れ王楚を毀つの名有りて、地を得るの實無きなり。「且つ王楚を攻むるの日、四國必ず應じて悉く起ちて王に應ぜん。秦・楚の構へて離れざるに、魏氏將に兵を出だして留・方與・銍・胡陵・碭・蕭・相を攻めんとし、故宋必ず盡きん。齊人南面し、泗北必ず舉げん。此れ皆平原四達、膏腴の地なり、而して王之をして獨り攻めしむ。王楚を破りて以て韓・魏を中國に肥やして齊を勁からしめば、韓・魏の強きは以て秦に校するに足らん。齊南は泗を以て境と爲し、東は海を負ひ、北は河に倚りて、後患無し、天下の國、齊より強きは莫し。齊・魏地を得て利を葆(たも)ち、詳らかに下吏に事へしめば、一年の後、帝と爲ること未だ能はざるが若きも、以て王の帝と爲るを禁ずるに餘り有らん。夫れ王の壤土の博きを以て、人徒の眾きを以て、兵革の強きを以て、一たび眾を舉げて地を楚に注ぎ、令を韓・魏に詘し、帝の重きを齊に歸せしむるは、是れ王の計を失ふなり。「臣王の爲に慮るに、楚に善くするに如くは莫し。秦・楚合して一と爲り、臨むに韓を以てせば、韓必ず首を授けん。王襟とするに山東の險を以てし、帶とするに河曲の利を以てせば、韓必ず關中の候たらん。是くの若くならば、王十を以て鄭を成し、梁氏心を寒くし、許・鄢陵城を嬰らし、上蔡・召陵往來せざらん。此くの如くならば、魏も亦た關內の候たらん。王一たび楚に善くせば、關內の二萬乘の主齊に地を注ぎ、齊の右壤拱手して取る可し。是れ王の地一に兩海を任じ、天下を要絕するなり。是れ燕・趙齊・楚無くんば、燕・趙無きなり。然る後燕・趙を危動し、齊・楚を持せば、此の四國は、痛みを待たずして服せん。」
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戦国策・謂趙王曰三晉合而秦弱趙王に謂いて曰く、「三晉合すれば秦弱く、三晉離るれば秦强し、此れ天下の明らかにする所なり。秦の燕有りて趙を伐ち、趙有りて燕を伐つ、梁有りて趙を伐ち、趙有りて梁を伐つ、楚有りて韓を伐ち、韓有りて楚を伐つ、此れ天下の明らかに見る所なり。然るに山東其の路を易うる能わざるは、兵弱ければなり。弱くして相壹する能わず、是れ何ぞ楚の知にして、山東の愚かなるや。是れ臣の山東の爲に憂うる所なり。虎將に禽に即かんとするに、禽虎の己に即くを知らずして、相鬬いて兩つながら罷れ、其の死を虎に歸す。故に禽をして虎の己に即くを知らしめば、決して相鬬わじ。今山東の主秦の己に即くを知らずして、尚お相鬬いて兩つながら敝れ、其の國を秦に歸す、知禽に如かざること遠し。願わくは王熟ら之を慮れ。「今事急にす可き者有り、秦の韓・梁を伐たんと欲する、東のかた周室を闚うこと甚だし、惟だ寐ねても之を亡さんとす。今南のかた楚を攻むる者は、三晉の大いに合するを惡めばなり。今楚を攻めて休みて復た之にす、已に五年なり、地を攘うこと千餘里。今楚王に謂いて曰く、『苟くも來りて玉趾を舉げて寡人に見えば、必ず楚と兄弟の國と爲り、必ず楚の爲に韓・梁を攻め、楚の故地を反さん。』と。楚王秦の語を美とし、韓・梁の己を救わざるを怒り、必ず秦に入らん。謀有りて故に使いを趙に殺し、燕を以て趙に餌し、三晉を離す。今王秦の言を美とし、燕を攻めんと欲す、燕を攻むれば、食未だ飽かずして禍已に及ばん。楚王秦に入らば、秦・楚一と爲り、東面して韓を攻めん。韓南に楚無く、北に趙無く、韓伐たるるを待たず、馬兔を割挈して西走せん。秦韓と上交を爲さば、秦の禍安くにか梁に移らん。秦の彊を以て、楚・韓の用有らば、梁伐たるるを待たじ。馬兔を割挈して西走せば、秦梁と上交を爲さば、秦の禍案じて趙に攘らん。彊秦の韓・梁・楚を有つを以て、燕の怒りと與に、割くこと必ず深からん。國の此れを舉ぐる、臣の來たる所以なり。臣故に曰う、事急に爲す可き者有りと。「楚王の未だ入らざるに及びて、三晉相親しみ相堅くし、銳師を出だして以て韓・梁の西邊を戍らば、楚王之を聞き、必ず秦に入らじ、秦必ず怒りて循た楚を攻めん、是れ秦の禍楚を離れざるなり、三晉に便あり。若し楚王入らば、秦三晉の大いに合して堅きを見て、必ず楚王を出ださず、即ち多く割かん、是れ秦の禍楚を離れざるなり、三晉に利有り。願わくは王之を熟計すること急なれ。」趙王因りて兵を起こし南のかた韓・梁の西邊を戍る。秦三晉の堅きを見るや、果たして楚王卬を出ださずして、多く地を求む。
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戦国策・莊辛謂楚襄王荘辛、楚の襄王に謂いて曰く、「君王、左に州侯、右に夏侯、輦に鄢陵君と壽陵君とを従え、専ら淫逸侈靡にして、国政を顧みず、郢都必ず危うからん。」襄王曰く、「先生老いて悖(もう)せるか。将に以て楚国の祅祥(ようしょう)と為さんとするか。」荘辛曰く、「臣誠に其の必然なる者を見るなり、敢えて以て国の祅祥と為すに非ざるなり。君王卒に四子を幸して衰えざれば、楚国必ず亡びん。臣請う趙に辟け、淹留して以て之を観ん。」荘辛去りて趙に之き、留まること五月、秦果たして鄢・郢・巫・上蔡・陳の地を挙げ、襄王流れて城陽に揜わる。是に於て人をして騶を発せしめ、荘辛を趙に徴す。荘辛曰く、「諾。」荘辛至るに、襄王曰く、「寡人先生の言を用うる能わず、今事此に至る、之を奈何せん。」荘辛対えて曰く、「臣聞く鄙語に曰く、『兔を見て犬を顧みるは、未だ晩しと為さず。羊を亡いて牢を補うは、未だ遅しと為さず』と。臣聞く昔、湯・武は百里を以て昌え、桀・紂は天下を以て亡ぶ、と。今、楚国小なりと雖も、長を絶ちて短を続げば、猶お数千里を以てす、豈に特に百里のみならんや。」「王独り夫の蜻蛉を見ずや。六足四翼、天地の間に飛翔し、俛して蚊虻を啄みて之を食い、仰ぎて甘露を承けて之を飲み、自ら以て患い無く、人と争う無しと為す。夫の五尺の童子、方に鈆膠糸を調え、己に四仞の上に加えんとして、下りて螻蟻の食と為るを知らざるなり。蜻蛉は其れ小なる者なり、黄雀是に因る。俯して白粒を噣み、仰ぎて茂樹に棲み、翅を鼓し翼を奮い、自ら以て患い無く、人と争う無しと為す。夫の公子王孫、左に弾を挟み右に丸を攝り、将に己に十仞の上に加えんとして、其の類を以て招と為すを知らざるなり。昼は茂樹に游び、夕べには酸鹹に調えられ、倏忽の間に、公子の手に墜つ。」「夫れ雀は其れ小なる者なり、黄鵠是に因る。江海に游び、大沼に淹り、府して䱧鯉を噣み、仰ぎて陵衡を嚙み、其の六翮を奮いて、清風を凌ぎ、飄搖として高く翔り、自ら以て患い無く、人と争う無しと為す。夫の射者の、方に其の𦲱盧を脩め、其の繒繳を治め、将に己に百仞の上に加えんとするを知らざるなり。彼の礛磻、微繳を引き、清風を折りて抎つ。故に昼は江河に游び、夕べには鼎鼐に調えらる。」「夫れ黄鵠は其れ小なる者なり、蔡の聖侯の事是に因る。南のかた高陂に游び、北のかた巫山に陵り、茹谿の流れを飲み、湘波の魚を食い、左に幼妾を抱き、右に嬖女を擁し、之と高蔡の中に馳騁して、国家を以て事と為さず。夫の子発の方に宣王に命を受け、己を朱糸を以て繫ぎて之に見ゆるを知らざるなり。」「蔡の聖侯の事は其れ小なる者なり、君王の事是に因る。左に州侯、右に夏侯を置き、鄢陵君と壽陵君とを輩従し、封禄の粟を飯い、方府の金を戴き、之と雲夢の中に馳騁して、天下国家を以て事と為さず。夫の穰侯の方に秦王に命を受け、黽塞の内を填め、己を黽塞の外に投ずるを知らざるなり。」襄王之を聞き、顔色変作し、身体戦慄す。是に於て乃ち執珪を以て之に授けて陽陵君と為し、淮北の地を与う。
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戦国策・謂秦王秦王に謂ひて曰く、「臣竊かに王の齊を輕んじ楚を易んじて、韓を卑しみ畜ふを惑ふ。臣聞く、王者は兵勝ちて驕らず、伯主は約して忿らず、と。勝ちて驕らざれば、故に能く世を服せしめ、約して忿らざれば、故に能く鄰に從はしむ。今王、德を魏・趙に廣くして、齊を輕々しく失ふは驕なり。宜陽に戰ひ勝ちて、楚との交はりを恤へざるは忿なり。驕忿は伯主の業に非ざるなり。臣竊かに大王の為に之を慮りて取らざるなり。「詩に云ふ、『初有らざる靡く、克く終ふる有ること鮮し』と。故に先王の重んずる所の者は、唯だ始めと終はりとのみ。何を以て其の然るを知るや。昔智伯瑤、范・中行を殘し、晉陽を圍逼して、卒に三家の笑ひと為れり。吳王夫差、越を會稽に棲ましめ、齊に艾陵に勝ち、黃池の遇を爲し、宋に無禮にして、遂に勾踐と禽にせられ、干隧に死せり。梁君、楚を伐ちて齊に勝ち、趙・韓の兵を制し、十二諸侯を驅りて天子に孟津に朝せしめしも、後に子死して、身は布冠して秦に拘せらる。三者は功無きに非ざるなり、能く始めて能く終はらざるなり。「今王、宜陽を破り、三川を殘して、天下の士をして敢へて言はざらしめ、天下の國を雍ぎ、兩周の疆を徙して、世主をして敢へて陽侯の塞に交はらざらしめ、黃棘を取りて、韓・楚の兵をして敢へて進まざらしむ。王若し能く此の尾を為さば、則ち三王も四に足らず、五伯も六に足らず。王若し能く此の尾を為す能はずして、後患有らば、則ち臣恐らくは諸侯の君、河・濟の士、王を以て吳・智の事と為さんことを。「詩に云ふ、『百里を行く者は九十を半ばとす』と。此れ末路の難きを言ふなり。今大王皆な驕色有り、臣の心を以て之を觀るに、天下の事、世主の心に依らば、楚兵を受くるに非ざれば、必ず秦なり。何を以て其の然るを知るや。秦人は魏を援けて以て楚を拒み、楚人は韓を援けて以て秦を拒み、四國の兵敵して、未だ復た戰ふ能はざるなり。齊・宋は繩墨の外に在りて以て權を為す、故に曰く、先に齊・宋を得る者は秦を伐つ、と。秦先に齊・宋を得れば、則ち韓氏鑠け、韓氏鑠くれば、則ち楚孤にして兵を受く。楚先に齊を得れば、則ち魏氏鑠け、魏氏鑠くれば、則ち秦孤にして兵を受けん。若し此の計に隨ひて之を行はば、則ち兩國なる者必ず天下の笑ひと為らん。」
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