玉勝間 / 十の巻 もろもろの物の事をよくしるしたる書あらまほしき事
己れ早くより、せちに此心ざし有れど、たやすからぬ業にて、物のかたてには、えしも物せず。今は殘りのよはひも、いと少なき心地すれば、思ひたえにたれば、今より後の人をだにと、いざなひ置くになん。此六七年ばかりさきに、越前國の府中の人とて、伊藤東四郞多羅と云へる、まだ若きをのこなりけるが、とふらひ來て、語りけるは、多羅が父は、いはゆる物產の學ヒを好みて、ものしけるままに、多羅も、わらはなりし程より、其すぢに心寄せけるを、もろこしさまの事は、誰れも誰れも物するわざにて、人のふみはた世にともしからぬを、皇國の此すぢの事、善くしるしたるは、いまだ見え聞えざッなれば、多羅は、今より皇國のこの學びを、物してんと心ざして、かつがつ考へたる事どもも有るなりとて、一卷二卷書き集めたるをも、とうでて見せけるを、はしばしいささか見たりしに、おのが思ふにかなへるさまにて、考へも、よろしく見えしかば、これ如何で怠らずつとめて、し果ててよと、ねんごろに、かへすかへす勸め遣りしを、さて後いかに成りぬらむ、音も無し。
新字:己れ早くより、せちに此心ざし有れど、たやすからぬ業にて、物のかたてには、えしも物せず。今は残りのよはひも、いと少なき心地すれば、思ひたえにたれば、今より後の人をだにと、いざなひ置くになん。此六七年ばかりさきに、越前国の府中の人とて、伊藤東四郎多羅と云へる、まだ若きをのこなりけるが、とふらひ来て、語りけるは、多羅が父は、いはゆる物産の学ヒを好みて、ものしけるままに、多羅も、わらはなりし程より、其すぢに心寄せけるを、もろこしさまの事は、誰れも誰れも物するわざにて、人のふみはた世にともしからぬを、皇国の此すぢの事、善くしるしたるは、いまだ見え聞えざッなれば、多羅は、今より皇国のこの学びを、物してんと心ざして、かつがつ考へたる事どもも有るなりとて、一巻二巻書き集めたるをも、とうでて見せけるを、はしばしいささか見たりしに、おのが思ふにかなへるさまにて、考へも、よろしく見えしかば、これ如何で怠らずつとめて、し果ててよと、ねんごろに、かへすかへす勧め遣りしを、さて後いかに成りぬらむ、音も無し。
書き下し
おのれ早くより、せちにこの心ざし有れど、たやすからぬ業にて、物のかたてには、えしも物せず。今は残りのよわいも、いと少なき心地すれば、思いたえにたれば、今より後の人をだにと、いざない置くになん。この六七年ばかりさきに、越前国の府中の人とて、伊藤東四郎多羅と云える、まだ若きおのこなりけるが、とぶらい来て、語りけるは、多羅が父は、いわゆる物産の学びを好みて、ものしけるままに、多羅も、わらわなりし程より、そのすじに心寄せけるを、もろこしさまの事は、誰も誰も物するわざにて、人のふみはた世にともしからぬを、皇国のこのすじの事、善くしるしたるは、いまだ見え聞えざなれば、多羅は、今より皇国のこの学びを、物してんと心ざして、かつがつ考えたる事どもも有るなりとて、一巻二巻書き集めたるをも、とうでて見せけるを、はしばしいささか見たりしに、おのが思うにかなえるさまにて、考えも、よろしく見えしかば、これ如何で怠らずつとめて、し果ててよと、ねんごろに、かえすがえす勧め遣りしを、さて後いかに成りぬらむ、音も無し。
現代語訳
私も早くから強くこの志があるが、容易ではない仕事なので、ほかの仕事の片手間にはとてもできない。今は残りの寿命もたいへん少ない気がするので、あきらめてしまったから、せめてこれから後の人にと思って、誘いかけておくのである。この六、七年ほど前に、越前国府中の人で、伊藤東四郎多羅という、まだ若い男が訪ねて来て語ったのは、「多羅の父はいわゆる物産の学問を好んでやっておりましたので、多羅も子供の頃からその方面に心を寄せてまいりましたが、中国風のことは誰も彼もがやることで、人の書いた書物もまた世に乏しくありません。ところが皇国のこの方面のことをよく記したものは、まだ見たことも聞いたこともございませんので、多羅はこれから皇国のこの学問をやろうと志して、少しずつ考えたこともございます」と言って、一、二巻書き集めたものを取り出して見せた。あちこち少し見たところ、私の思うところにかなうさまで、考えもよく見えたので、「これはなんとか怠らずに努めて、やり遂げなさい」と、ねんごろに繰り返し勧めてやったのだが、さてその後どうなったのだろうか、音沙汰も無い。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十の巻 もろもろの物の事をよくしるしたる書あらまほしき事近き頃、その近き国の人に逢えりしに、この事かたりて、問いけるに、確かには知らぬさまにて、かのおのこは、みまかりぬとか、ほのかに聞きしよし云いたりし。それまことならば、いとあたらしく口惜しきわざにぞ有りける。
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『玉勝間』十の巻 もろもろの物の事をよくしるしたる書あらまほしき事よろずの草木鳥獣、なにくれ諸の物の事を、上の代よりひろめ委しく考えて、しるしたる書こそ、有らまほしけれ。もろこしの国には、本草など云う、さるすじの書どもも、古えよりここらあなるを、御国には、わずかに源の順の和名抄のみこそは有れ。かの書のさま、すべていとしどけなく、からぶみを引き出でたるようなども正しからず、古えさまの事にうとく、すべて足らわぬ事のみなり。されどこれを置きては、古く拠るべき書の無きままに、人も我も、もはら万の物の考えの拠りどころにはするなり。近き頃、新撰字鏡と云うもの出でて、古くは有れども、事ひろからず仮初なるうえに、あやしき文字ども多くなどして、ことさまなる書なるを、さすがに和名抄をたすくべき事どもは、多くぞ有りける。これらを置きて、後の世に作れるどもは、あまた有れども、ただみな例のから学びのかたに由れるのみにて、皇国の学びのためには、おさおさ用も無きを、今いかで古事記、書紀、万葉集など、すべて古きふみどもを先ずよく考え、中むかしの書ども、今の世のうつつの物まで、よく考え合わせて和名抄のかわりにも用うべきさまの書を、作り出でむ人もがな。
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『玉勝間』十の巻 古へより伝はれる事の絶るをかなしむ事世の中に、古えの事の、いたく衰えたる、またひたぶるに絶えぬるなども多かるを、かかるめでたき御代にあたりて、何事も起したてまほしき中に、絶えたるも、跡をたずねて、またはじめむに、始めつべきは、遅くも疾くも、直毘の神の頼みの、なおのこれるを、一たび絶えては、またつぐべきよし無く、また始むべき便り無き事どもこそ、殊に云うかいなく、口惜しきわざには有りけれ。古き氏々など、神代のゆえよし重きなどは、更にも云わず、さらぬも、早く末の絶え果てぬるが多き、今は如何に思いても、二たびつぎ起すべきよし無くなん。これらを思うに、万の古き事は、わずかにも残りて、絶えざるをだに、おとしあぶさず、よくとりしたためて、今より後、絶ゆまじきさまに、如何にも如何にも、強くかたく成し置かまほしきわざぞかし。
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『玉勝間』一の巻 又いきおい富める人の上にては、かばかりの費は、何ばかりの事にも有らで、そのいさおは、天の下の人のいみしきめぐみをこうぶりて、末の世まで残るわざぞかし。かえすがえすこころざし有らむ人もがな。
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『玉勝間』十の巻 物まなびの心ばへ皇国の学びとて、ことにする事は無くて、昔は、ただから学びをのみしける程に、世々をふるままに、古えの事は、ようようにうとくのみ成りゆき、から国の事は、ようように親しくなりもて来つつ、ついにその心は、もはらからざまにうつり果てて、上つ代の事は、物の意はさらにも云わず、言葉だに、聞きしらぬ異国のさえずりを聞くがごと、物うとくぞなりにける。かくて後にいたりて、皇国の学を、もはらとする事も始まりつれども、しか漢意の、久しくしみ附きたる人心にし有れば、ただ名のみこそ、みくにの学びには有りけれ、云いと云い、思いと思う事は、なおみなからにぞ有りけるを、みずからも、さは覚えざるなめり。されば近き世、学びの道ひらけて、万づさかしくなりぬるにつけても、なかなかにそのからごころのみ、深く盛りには成りて、古の意は、いよいよ遥かになむなりにけるを、この近き頃になりてぞ、そこに心つきぬる人の出で来そめて、世は皆からなる事をさとりて、人も我も、古えの心をたずぬる道の、明り初めぬる、しかすがに神直毘大直毘の神のましましける世は、なお行くさきいと頼もしくなむ。
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『玉勝間』七の巻 物書くに心すべき事古は、かたえの人も、皆心明らかなりしかば、いかに書きても、読みたがうる事無かりしかばこそ有れ、今の世は、みずからこそ心得たらめ、かたえの人は、心得たらねば、ともすれば、読みたがえ、写しひがむるたぐいのみ多かれば、いかにももの書くには、心すべきわざぞと、おのれは思いとりてぞ在る。さればおのが癖にて、つねに物書くに、読みたがえやせん、写しひがめやせんとのみ、心するほどに、もとよりいといと拙き手をいとどしじかみて、かたわには有るなり。また古言などは、殊に人の読みたがえ、誤る事多きを、いかであやまらず、正しく読ましめんとする程に、さらでも有るべき所にも、度ごとに仮字づけしなどして、心高き人には、わらわるるを、みずからも且つは知りながら、しみつきたる癖は、世に離れがたきわざになん。
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