史記 / 刺客列伝
髙漸離變名姓爲人庸保,匿作於宋子。久之,作苦,聞其家堂上客撃筑,傍偟不能去。毎出言曰:「彼有善有不善。」從者以告其主,曰:「彼庸乃知音,竊言是非。」家丈人召使前撃筑,一坐稱善,賜酒。而髙漸離念久隱畏約無窮時,乃退,出其裝匣中筑與其善衣,更容貌而前。舉坐客皆驚,下與抗禮,以爲上客。使撃筑而歌,客無不流涕而去者。宋子傳客之,聞於秦始皇。秦始皇召見,人有識者,乃曰:「髙漸離也。」秦皇帝惜其善撃筑,重赦之,乃矐其目。使撃筑,未嘗不稱善。稍益近之,髙漸離乃以鉛置筑中,復進得近,舉筑樸秦皇帝,不中。於是遂誅髙漸離,終身不復近諸侯之人。魯句踐已聞荊軻之刺秦王,私曰:「嗟乎,惜哉其不講於刺劍之術也!甚矣吾不知人也!曩者吾叱之,彼乃以我爲非人也!」太史公曰:世言荊軻,其稱太子丹之命,「天雨粟,馬生角」也,太過。又言荊軻傷秦王,皆非也。始公孫季功、董生與夏無且游,具知其事,爲余道之如是。自曹沫至荊軻五人,此其義或成或不成,然其立意較然,不欺其志,名垂後世,豈妄也哉!
新字:高漸離変名姓為人庸保,匿作於宋子。久之,作苦,聞其家堂上客撃筑,傍偟不能去。毎出言曰:「彼有善有不善。」従者以告其主,曰:「彼庸乃知音,窃言是非。」家丈人召使前撃筑,一坐称善,賜酒。而高漸離念久隠畏約無窮時,乃退,出其装匣中筑与其善衣,更容貌而前。舉坐客皆驚,下与抗礼,以為上客。使撃筑而歌,客無不流涕而去者。宋子伝客之,聞於秦始皇。秦始皇召見,人有識者,乃曰:「高漸離也。」秦皇帝惜其善撃筑,重赦之,乃矐其目。使撃筑,未嘗不称善。稍益近之,高漸離乃以鉛置筑中,復進得近,舉筑樸秦皇帝,不中。於是遂誅高漸離,終身不復近諸侯之人。魯句践已聞荊軻之刺秦王,私曰:「嗟乎,惜哉其不講於刺剣之術也!甚矣吾不知人也!曩者吾叱之,彼乃以我為非人也!」太史公曰:世言荊軻,其称太子丹之命,「天雨粟,馬生角」也,太過。又言荊軻傷秦王,皆非也。始公孫季功、董生与夏無且游,具知其事,為余道之如是。自曹沫至荊軻五人,此其義或成或不成,然其立意較然,不欺其志,名垂後世,豈妄也哉!
書き下し
高漸離名姓を変じて人の庸保と為り、宋子に匿れ作す。之を久しくして、作苦しく、其の家の堂上に客の筑を撃つを聞き、傍偟して去る能はず。毎に言を出だして曰く、「彼に善有り善ならざる有り」と。従者以て其の主に告げて曰く、「彼の庸は乃ち音を知り、竊かに是非を言ふ」と。家の丈人召して前に筑を撃たしむ。一坐善しと称し、酒を賜ふ。而して高漸離、久しく隠れて畏約すること窮まる時無きを念ひ、乃ち退きて、其の装匣の中の筑と其の善衣とを出だし、容貌を更めて前む。坐を挙げて客皆驚き、下りて与に抗礼し、以て上客と為す。筑を撃ちて歌はしむ。客流涕して去らざる者無し。宋子伝へて之を客とし、秦の始皇に聞こゆ。秦の始皇召し見る。人識る者有りて、乃ち曰く、「高漸離なり」と。秦の皇帝其の善く筑を撃つを惜しみ、重ねて之を赦し、乃ち其の目を矐す。筑を撃たしむるに、未だ嘗て善しと称せずんばあらず。稍く益々之に近づく。高漸離乃ち鉛を以て筑の中に置き、復た進みて近づくを得、筑を挙げて秦の皇帝を樸つ。中らず。是に於て遂に高漸離を誅し、身を終ふるまで復た諸侯の人に近づかず。魯句践已に荊軻の秦王を刺せしを聞き、私かに曰く、「嗟乎、惜しいかな其の刺剣の術を講ぜざりしや。甚だしいかな吾の人を知らざるや。曩者吾之を叱す。彼乃ち我を以て人に非ずと為せしならん」と。太史公曰く、世に荊軻を言ふに、其の太子丹の命を称して、「天粟を雨らし、馬角を生ず」とするや、太だ過ぎたり。又荊軻秦王を傷つくと言ふも、皆非なり。始め公孫季功・董生、夏無且と游び、具に其の事を知り、余の為に之を道ふこと是の如し。曹沫より荊軻に至るまで五人、此れ其の義或いは成り或いは成らず。然れども其の意を立つること較然として、其の志を欺かず、名後世に垂る。豈に妄ならんや。
現代語訳
高漸離は名前を変えて人に雇われる奉公人となり、宋子の町に身を隠して働いていた。長いあいだ働くうちに仕事がつらくなり、主人の家の広間で客が筑を打ち鳴らすのを聞くと、そのあたりをうろうろして立ち去れなかった。そしていつも「あれはうまいところもあれば、まずいところもある」と口にした。召使いがこれを主人に告げて言った。「あの奉公人は音楽がわかるらしく、ひそかに良し悪しを言っている」。家の主人は高漸離を呼んで、前で筑を打たせてみた。座の者はみな褒め、酒をふるまった。高漸離は、このまま隠れて恐れ身をすくめていても終わる時がないと思い、いったん下がって、荷物の箱の中から筑と上等の衣服を取り出し、身なりを改めて前に出た。座の客はみな驚き、座を下りて対等の礼で迎え、上客とした。筑を打って歌わせると、客は一人残らず涙を流して去っていった。宋子の人々は次々に彼を客として招き、その評判は秦の始皇帝の耳にまで届いた。始皇帝は彼を召し出して会った。見知っている者がいて、「これは高漸離だ」と言った。始皇帝は彼の筑の腕前を惜しみ、特別に罪を赦したが、その目をつぶした。筑を打たせると、いつも褒めないことはなく、しだいにそば近くに置くようになった。高漸離はそこで筑の中に鉛を仕込み、また御前に進んでそば近くに寄ることができたとき、筑を振り上げて始皇帝に打ちかかったが、当たらなかった。そこでとうとう高漸離を誅殺し、始皇帝は生涯二度と、滅ぼした諸侯の国の人を近づけなかった。魯句践は荊軻が秦王を刺そうとしたことを聞くと、ひそかに言った。「ああ、惜しいことだ。あの男が剣術を十分に修めていなかったとは。私はなんと人を見る目がなかったことか。以前私があの男を怒鳴りつけたとき、あの男は私をまともな人間ではないと思ったに違いない」。太史公はこう言う。世間では荊軻について語るとき、太子丹の運命をたたえて「天から穀物が降り、馬に角が生えた(天が太子の帰国を許した)」と言うが、これはひどく度が過ぎている。また荊軻が秦王に傷を負わせたとも言うが、どれも誤りである。もともと公孫季功と董生が夏無且と交わっていて、その事件を詳しく知っており、私にこのように語ってくれたのである。曹沫から荊軻に至る五人は、その義を成し遂げた者もいれば、成し遂げられなかった者もいる。しかしその志を立てたことははっきりしていて、自分の志を裏切らず、名を後世に残した。どうしてでたらめなことであろうか。
解説
この章句が説くこと
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