玉勝間 / 十の巻 古へより伝はれる事の絶るをかなしむ事
世の中に、古への事の、いたく衰へたる、又ひたぶるに絕ぬるなども多かるを、斯かるめでたき御代にあたりて、何事も起したてまほしき中に、絕えたるも、跡をたづねて、又はじめむに、始めつべきは、遲くも疾くも、直毘ノ神の賴みの、猶のこれるを、一たび絕ては、又つぐべきよし無く、又始むべき便り無き事どもこそ、殊に云ふかひなく、口惜しきわざには有けれ。古き氏氏など、神代のゆゑよし重きなどは、更にも云はず、さらぬも、早く末の絕え果てぬるが多き、今は如何に思ひても、二たびつぎ起すべきよし無くなん。これらを思ふに、萬の古き事は、わづかにも殘りて、絕ざるをだに、おとしあぶさず、よくとりしたためて、今より後、絕ゆまじきさまに、如何にも如何にも、强くかたく成し置かまほしきわざぞかし。
新字:世の中に、古への事の、いたく衰へたる、又ひたぶるに絶ぬるなども多かるを、斯かるめでたき御代にあたりて、何事も起したてまほしき中に、絶えたるも、跡をたづねて、又はじめむに、始めつべきは、遅くも疾くも、直毘ノ神の頼みの、猶のこれるを、一たび絶ては、又つぐべきよし無く、又始むべき便り無き事どもこそ、殊に云ふかひなく、口惜しきわざには有けれ。古き氏氏など、神代のゆゑよし重きなどは、更にも云はず、さらぬも、早く末の絶え果てぬるが多き、今は如何に思ひても、二たびつぎ起すべきよし無くなん。これらを思ふに、万の古き事は、わづかにも残りて、絶ざるをだに、おとしあぶさず、よくとりしたためて、今より後、絶ゆまじきさまに、如何にも如何にも、強くかたく成し置かまほしきわざぞかし。
書き下し
世の中に、古えの事の、いたく衰えたる、またひたぶるに絶えぬるなども多かるを、かかるめでたき御代にあたりて、何事も起したてまほしき中に、絶えたるも、跡をたずねて、またはじめむに、始めつべきは、遅くも疾くも、直毘の神の頼みの、なおのこれるを、一たび絶えては、またつぐべきよし無く、また始むべき便り無き事どもこそ、殊に云うかいなく、口惜しきわざには有りけれ。古き氏々など、神代のゆえよし重きなどは、更にも云わず、さらぬも、早く末の絶え果てぬるが多き、今は如何に思いても、二たびつぎ起すべきよし無くなん。これらを思うに、万の古き事は、わずかにも残りて、絶えざるをだに、おとしあぶさず、よくとりしたためて、今より後、絶ゆまじきさまに、如何にも如何にも、強くかたく成し置かまほしきわざぞかし。
現代語訳
世の中には、古くからの事柄で、ひどく衰えたもの、またまったく絶えてしまったものも多いが、このようなめでたい御代にめぐりあって、何事も興し立てたいと思う中で、絶えたものでも、跡を尋ねて再び始めようとすれば始められるものは、遅かれ早かれ、直毘の神(禍を直す神)の助けを頼む望みがなお残っている。ところが、一度絶えてしまえば二度と継ぐすべもなく、また始める手がかりも無いものこそ、とりわけ言いようもなく残念なことである。古い氏族などで、神代からの由緒の重いものは言うまでもなく、そうでないものも、早くに子孫が絶え果ててしまったものが多く、今はどう思っても、再び継ぎ興すすべが無い。これらを思うと、あらゆる古いことは、わずかでも残って絶えていないものだけでも、取りこぼさず、よく整えて、これから後は絶えることのないように、何としても強く固く定めておきたいものである。
解説
関連する章句
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『玉勝間』六の巻 古き名どころを尋ぬる事ふるき神の社の、今は絶えたる、また絶えざれども、定かならず成りぬるなど、いずくにも多かるは、いと悲しきわざなり。神祇官の帳にのれるなどは、欠けてもさは有るまじきわざなるを、中頃の世の乱れに、天の下のよろずの事も、古の掟も、皆みだれに乱れ、絶え失せに絶え失せにたる、万ずにつけて、いともいともかなしきは、乱れ世のしわざなりけり。さるを今の御世は、古えにも稀なるまで、よく治まりて、いともめでたく、天の下栄えに栄ゆるままに、よろずに古をたずねて、絶えたるを起こし、おとろえたるを直し給う御世にし有れば、神の社どもは、殊に古に立ちかえりて、栄ゆべき時なりけり。しか有るにつけては、絶えたるは、跡をだに定かに尋ねまほしく、また今も有りながら、さだかならず、疑わしきをば、よく考え尋ねて、確かにそれと、定め知らまほしきわざになむ有りける。次には神の社ならぬも、古えに名あるところどころ、歌枕なども、今は定かならぬが多かるは、かかるめでたき時世にあたりて、尋ね置かまほしきわざなり。
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『玉勝間』七の巻 神わざのおとろへのなげかはしき事よろずよりも、世の中に願わしきは、いかでもろもろの神の社の衰えを、もて直し、もろもろの神わざを、おこさまほしくこそ。今の世の神の社・神事のさまは、おおかた中頃の乱れ世に、いたく衰えすたれたるままなるを、今の世の人は、ただ今のさまをのみ見て、古よりかかるものとぞ思いたんめる。まれまれ書を読む人なども、ただからぶみをのみむねとは読みて、その心もて、万ずをさだして、皇国の古き書どもをば、おさおさ読む人も無ければ、古の御世には、神社・神事を、むねと重くし給いし事をば知らず。また稀れには知れる人も有れども、なお今の世のならいにまぎれては、古を思いくらべて、これを深く歎く人の無きこそ、いと悲しけれ。
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『玉勝間』八の巻 ゐなかに古、のわざの残れる事詞のみにも有らず、万づのしわざにも、片田舎には、古えざまの、みやびたる事の、残れるたぐい多し。さるを例のなまさかしき心ある者立まじりては、かえりておこがましく覚えて、改むるから、いずこにも、ようように古き事の失せ行くは、いと口惜きわざなり。葬礼婚礼など、殊に田舎には、古く面白き事多し。すべてかかるたぐいの事共をも、国々のようを、海づら山がくれの里々まで、あまねく尋ね、聞あつめて、物にもしるし置かまほしきわざなり。葬祭などのわざ、後の世の物知り人の、考え定めたるは、中々にから心のさかしらのみ、多くまじりて、ふさわしからず、うるさしかし。
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『玉勝間』九の巻 神をなほざりに思ひ奉る世のならひをかなしむ事世の人の、神をなおざりに思い奉るは、かえすがえすこころ憂きわざなり。さるは程々に、尊み奉らぬにしもあらざんめれど、ただ世のならいの、人なみなみの、かいなでの尊みのみこそ有れ、まことに心にしめて尊み奉るべき事を、思いわきまえず、ただおろそかにぞ思いたんめる。目にこそ見えね、この天地万の物の、出で来始めしも、又むかし今の、世の中の大き小さきもろもろの事も、人の身のうえ、食い物、着物、居どころ、なにくれ、もろもろの事もことごとく神の御めぐみにかからざる事は無きを、さるゆえよしをば忘れ果てて、なべての人、ただまがつひのまが事にのみまじこり、心をかたむけて、万にさかしだつ人はたからぶみごころを、心とはして稀れ稀れに神代の御事どもを聞きても、ただはるけき世界の、昔語りを聞くがごと、よそげにのみ思い過ごして、そは皆今の世の中、おのが身々の上にかかれる、本なる事を思いたどらず。万よりもかなしきは、神の社神事の衰えなるを、かばかりめでたき御代にしも、もろもろの古き神の御社どもの、いみじく衰えませるを、なおしたて奉らんの心ざし有る人の、世に出でこぬこそ、いともいとも口惜しけれ。
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『玉勝間』十の巻 物まなびの心ばへ皇国の学びとて、ことにする事は無くて、昔は、ただから学びをのみしける程に、世々をふるままに、古えの事は、ようようにうとくのみ成りゆき、から国の事は、ようように親しくなりもて来つつ、ついにその心は、もはらからざまにうつり果てて、上つ代の事は、物の意はさらにも云わず、言葉だに、聞きしらぬ異国のさえずりを聞くがごと、物うとくぞなりにける。かくて後にいたりて、皇国の学を、もはらとする事も始まりつれども、しか漢意の、久しくしみ附きたる人心にし有れば、ただ名のみこそ、みくにの学びには有りけれ、云いと云い、思いと思う事は、なおみなからにぞ有りけるを、みずからも、さは覚えざるなめり。されば近き世、学びの道ひらけて、万づさかしくなりぬるにつけても、なかなかにそのからごころのみ、深く盛りには成りて、古の意は、いよいよ遥かになむなりにけるを、この近き頃になりてぞ、そこに心つきぬる人の出で来そめて、世は皆からなる事をさとりて、人も我も、古えの心をたずぬる道の、明り初めぬる、しかすがに神直毘大直毘の神のましましける世は、なお行くさきいと頼もしくなむ。
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『玉勝間』一の巻 古書どもの事古きふみどもの、世にたえてつたわらぬは、万よりもくち惜しく歎かわしきわざなり。釈日本紀、仙覚が万葉の抄などを見るに、そのほどまでは、国々の風土記も大かたそなわりて、伝われりと見えたり。釈に引きたる上宮記と云う物は、いささかばかりなれど、そのさま古事記よりも、今一きわふるく見えたるは、まことに上宮わたりの物にや有りけむ。また風土記は、いとたふとき物なるに、今はただ出雲一国ののみ、またくては残りて、ほかはみな絶えぬるは、かえすがえすもくち惜し。さるは応仁よりこなた、打ち続きたるみやこの乱れに、ふるき書どもも、みな焼けうせ、あるいは散りぼい失せぬるなるべし。そも今の世のごと、国々にも学問するともがら多く、書どもようじ持たる者おおからましかば、むげに絶えはつる事はあらじを、そのかみはいまだいなかには、学問するともがらもいといと稀れにして、京ならでは、おさおさ書どもも、無かりしが故なめり。されどから国のふるき書どもはしも、これかれといなかにも残れるが有るは、むねとからを好むよのならいなるが故なり。
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