茶の本 / 第四章 茶室・古人を憬慕し模倣は少なく
たぶん今芸術の民本主義の時代を経過しつつ、一方にある君主らしい支配者が出現して新たな王朝をおこすのを待っているのであろう。願わくは古人を憬慕することはいっそうせつに、かれらに模倣することはますます少なからんことを! ギリシャ国民の偉大であったのは決して古物に求めなかったからであると伝えられている。
書き下し
たぶん今、芸術の民本主義の時代を経過しつつ、一方にある君主らしい支配者が出現して新たな王朝をおこすのを待っているのであろう。願わくは古人を憬慕することはいっそうせつに、かれらに模倣することはますます少なからんことを。ギリシャ国民の偉大であったのは、決して古物に求めなかったからであると伝えられている。
現代語訳
おそらく今、芸術の民主主義の時代を通り過ぎつつ、一方で君主らしい支配者が現れて新しい王朝を起こすのを待っているのでしょう。願うのは、古人を慕うことはより切に、彼らを真似ることはますます少なくあってほしいということです。ギリシャの国民が偉大だったのは、決して古いものに答えを求めなかったからだと伝えられています。
解説
伝統への向き合い方が、一文に凝縮されます。古人を慕う心はより強く、真似ることはより少なく。敬うことと真似ることを切り離すという主張です。そしてギリシャを引いて、偉大だった者は過去に答えを求めなかったと言い添える。古典を最も尊ぶ人が、古典に頼るなと説いている。この逆説が、伝統を扱う仕事すべてに当てはまる指針になっています。
この章句が説くこと
伝統模倣敬意創造独立
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