玉勝間 / 九の巻 神をなほざりに思ひ奉る世のならひをかなしむ事
そもそも宣長、斯かるすぢの事を、かへすがへす云ひ出る、人はうるさしとも思ふらめど、此事のうれたさの、明け暮れ心に忘らるる間も無く覺ゆるから、筆だにとれば、書きいでまほしくてなん。治まれる御代のしるしを千木たかく神のやしろに見るよしもがな
新字:そもそも宣長、斯かるすぢの事を、かへすがへす云ひ出る、人はうるさしとも思ふらめど、此事のうれたさの、明け暮れ心に忘らるる間も無く覚ゆるから、筆だにとれば、書きいでまほしくてなん。治まれる御代のしるしを千木たかく神のやしろに見るよしもがな
書き下し
そもそも宣長、かかるすじの事を、かえすがえす云い出づる、人はうるさしとも思うらめど、この事のうれたさの、明け暮れ心に忘らるる間も無く覚ゆるから、筆だにとれば、書きいでまほしくてなん。治まれる御代のしるしを千木たかく神のやしろに見るよしもがな
現代語訳
そもそも私、宣長がこのような筋のことを繰り返し言い出すのを、人はうるさいとも思うだろうが、このことの嘆かわしさが、明けても暮れても心から忘れられる間もなく思われるので、筆さえ執れば書き出したくなるのである。「よく治まっている御代のしるしを、千木を高くそびえさせた神の社に見る手立てがあればよいのに」。
解説
神社の衰えを嘆いた前の段を受けて、宣長が自分の繰り返しを弁明し、一首の歌で結んだ段である。同じことを何度も書くのを人はうるさく思うだろうが、朝も夜も心から離れないので、筆を執ればつい書いてしまうのだという。自分の説の執拗さを自覚しながら、それでも言わずにいられない切実さが伝わってくる。歌の千木は、神社の屋根の両端で交差して高く突き出た部材で、神の社の象徴である。太平の世にふさわしく、神社の千木が高々とそびえる姿を見たいと願うのである。九の巻は吉野の花の雪で始まり、神の社への願いで結ばれる。学問の書き物の底に、信仰と祈りが流れていることがわかる。
関連する章句
-
『玉勝間』九の巻 神をなほざりに思ひ奉る世のならひをかなしむ事世の人の、神をなおざりに思い奉るは、かえすがえすこころ憂きわざなり。さるは程々に、尊み奉らぬにしもあらざんめれど、ただ世のならいの、人なみなみの、かいなでの尊みのみこそ有れ、まことに心にしめて尊み奉るべき事を、思いわきまえず、ただおろそかにぞ思いたんめる。目にこそ見えね、この天地万の物の、出で来始めしも、又むかし今の、世の中の大き小さきもろもろの事も、人の身のうえ、食い物、着物、居どころ、なにくれ、もろもろの事もことごとく神の御めぐみにかからざる事は無きを、さるゆえよしをば忘れ果てて、なべての人、ただまがつひのまが事にのみまじこり、心をかたむけて、万にさかしだつ人はたからぶみごころを、心とはして稀れ稀れに神代の御事どもを聞きても、ただはるけき世界の、昔語りを聞くがごと、よそげにのみ思い過ごして、そは皆今の世の中、おのが身々の上にかかれる、本なる事を思いたどらず。万よりもかなしきは、神の社神事の衰えなるを、かばかりめでたき御代にしも、もろもろの古き神の御社どもの、いみじく衰えませるを、なおしたて奉らんの心ざし有る人の、世に出でこぬこそ、いともいとも口惜しけれ。
-
『玉勝間』七の巻 神わざのおとろへのなげかはしき事よろずよりも、世の中に願わしきは、いかでもろもろの神の社の衰えを、もて直し、もろもろの神わざを、おこさまほしくこそ。今の世の神の社・神事のさまは、おおかた中頃の乱れ世に、いたく衰えすたれたるままなるを、今の世の人は、ただ今のさまをのみ見て、古よりかかるものとぞ思いたんめる。まれまれ書を読む人なども、ただからぶみをのみむねとは読みて、その心もて、万ずをさだして、皇国の古き書どもをば、おさおさ読む人も無ければ、古の御世には、神社・神事を、むねと重くし給いし事をば知らず。また稀れには知れる人も有れども、なお今の世のならいにまぎれては、古を思いくらべて、これを深く歎く人の無きこそ、いと悲しけれ。
-
『玉勝間』十四の巻 世の人まことの道に心つかざる事天の下大かた、件の如くなれば、ただいずこもいずこも、仏寺のみ栄えて、神社はいたく衰えまして、その衰えを憂うる人も無く、神はただ、病その外の祈り事にのみ用いられて、この道もただ、世の中の外の無用の物の如く、ただ古えより有り来たれる事として、ひたぶるに廃られぬと云うのみなり。この道は、これ天下を治め、国を治むる、先務要道なることを知れる人は、われいまだ、夢にも見きかず。いともいとも悲しき事ならずや。
-
『玉勝間』六の巻 古き名どころを尋ぬる事ふるき神の社の、今は絶えたる、また絶えざれども、定かならず成りぬるなど、いずくにも多かるは、いと悲しきわざなり。神祇官の帳にのれるなどは、欠けてもさは有るまじきわざなるを、中頃の世の乱れに、天の下のよろずの事も、古の掟も、皆みだれに乱れ、絶え失せに絶え失せにたる、万ずにつけて、いともいともかなしきは、乱れ世のしわざなりけり。さるを今の御世は、古えにも稀なるまで、よく治まりて、いともめでたく、天の下栄えに栄ゆるままに、よろずに古をたずねて、絶えたるを起こし、おとろえたるを直し給う御世にし有れば、神の社どもは、殊に古に立ちかえりて、栄ゆべき時なりけり。しか有るにつけては、絶えたるは、跡をだに定かに尋ねまほしく、また今も有りながら、さだかならず、疑わしきをば、よく考え尋ねて、確かにそれと、定め知らまほしきわざになむ有りける。次には神の社ならぬも、古えに名あるところどころ、歌枕なども、今は定かならぬが多かるは、かかるめでたき時世にあたりて、尋ね置かまほしきわざなり。
-
『玉勝間』九の巻 巻頭(花の雪九)やよいの頃、ある所にて、桜の花の、木本に散りしけるを見て、一とせ吉野に物せし時も、多くはこうようにこそ散りぬる程なりしかと、ふと思い出でられけるままに、ふみ分けし昔恋しきみよしのの山つくらばや花の白雪かきあつめて、例の巻の名としつ。雪の山つくられし事は、物に見えたり。
-
『玉勝間』十の巻 古へより伝はれる事の絶るをかなしむ事世の中に、古えの事の、いたく衰えたる、またひたぶるに絶えぬるなども多かるを、かかるめでたき御代にあたりて、何事も起したてまほしき中に、絶えたるも、跡をたずねて、またはじめむに、始めつべきは、遅くも疾くも、直毘の神の頼みの、なおのこれるを、一たび絶えては、またつぐべきよし無く、また始むべき便り無き事どもこそ、殊に云うかいなく、口惜しきわざには有りけれ。古き氏々など、神代のゆえよし重きなどは、更にも云わず、さらぬも、早く末の絶え果てぬるが多き、今は如何に思いても、二たびつぎ起すべきよし無くなん。これらを思うに、万の古き事は、わずかにも残りて、絶えざるをだに、おとしあぶさず、よくとりしたためて、今より後、絶ゆまじきさまに、如何にも如何にも、強くかたく成し置かまほしきわざぞかし。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る