玉勝間 / 四の巻 巻頭わすれ草四
からぶみの中に、とみに尋ぬべき事の有て、思ひめぐらすに、其ふみとばかりは、ほのかに覺えながら、いづれの卷のあたりと云ふこと、更におぼえねば、唯だ心あてに、ここかしこと尋ぬれど、え見いでず。さりとていとあまた有る卷卷を、初めよりたつねもて行かむには、いみしくいとまいりぬべければ、さもえ物せず。つひに空しくて止みぬるが、いと口惜しきままに、思ひ續けける。ふみ見つる跡もなつ野の忘草老てはいとどしげり添ひつつもとより物覺ゆる事、いと乏しかりけるを、此ちかき年頃となりては、いとど何事も、唯だ今見聞つるをだに、やがて忘れ勝ちなるは、いといと云ふかひ無きわざになん。
新字:からぶみの中に、とみに尋ぬべき事の有て、思ひめぐらすに、其ふみとばかりは、ほのかに覚えながら、いづれの巻のあたりと云ふこと、更におぼえねば、唯だ心あてに、ここかしこと尋ぬれど、え見いでず。さりとていとあまた有る巻巻を、初めよりたつねもて行かむには、いみしくいとまいりぬべければ、さもえ物せず。つひに空しくて止みぬるが、いと口惜しきままに、思ひ続けける。ふみ見つる跡もなつ野の忘草老てはいとどしげり添ひつつもとより物覚ゆる事、いと乏しかりけるを、此ちかき年頃となりては、いとど何事も、唯だ今見聞つるをだに、やがて忘れ勝ちなるは、いといと云ふかひ無きわざになん。
書き下し
からぶみの中に、とみに尋ぬべき事の有りて、思いめぐらすに、そのふみとばかりは、ほのかに覚えながら、いづれの巻のあたりと云うこと、さらにおぼえねば、ただ心あてに、ここかしこと尋ぬれど、え見いでず。さりとていとあまた有る巻々を、初めよりたつねもて行かむには、いみしくいとまいりぬべければ、さもえ物せず。ついに空しくて止みぬるが、いと口惜しきままに、思い続けける。ふみ見つる跡もなつ野の忘草老いてはいとどしげり添いつつ。もとより物覚ゆる事、いと乏しかりけるを、このちかき年頃となりては、いとど何事も、ただ今見聞きつるをだに、やがて忘れがちなるは、いといと云うかい無きわざになん。
現代語訳
漢籍の中に、急いで調べなければならない事があって、思いめぐらすと、その書だということだけはぼんやり覚えているものの、どの巻のあたりかということがまったく思い出せないので、ただ見当をつけてあちこち探したが、見つけられない。かといって、たいへん多い巻々を初めから探していくとなると、ひどく手間がかかってしまうので、そうもできない。結局むなしく終わってしまったのが、ひどく残念なままに、思い続けて詠んだ。「書を読んできた跡も無くなって、夏野に茂る忘れ草のように、老いてはいよいよ忘れることが茂り加わってゆく」。もともと物覚えのたいへん乏しい身であったが、この近年になっては、ますます何事も、たった今見聞きしたことさえ、すぐに忘れがちになるのは、まったく言いようもなく情けないことである。
解説
関連する章句
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『玉勝間』五の巻 巻頭(枯野のすすき五)秋過ぎて、草はみながら枯れはてて、さびしき野べに、ただ尾花のかぎり、心長く残りて、むらむら立てるを、あわれと見て、詠める。かれぬべき枯野の尾花かれずあるを枯れずこそ見め枯れぬ限りは。斯かるすずろごとをさえに、とり出でたるは、見ん人、おこに思うべかめれど、よしやさばれとてなん。
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『玉勝間』十の巻 巻頭(山菅十)はてもなし云うべき事は云えど云えどなおやますげの乱れあいつつ。この野べのすさびよ、いとかくはかなき手習いを、ものものしく、巻ごとに名つけて、歌をさえに添えたるは、我ながらだに、あやしく覚ゆるを、おのずからも見む人は、まして如何にことごとしと思うらん。さるは初めの巻のはしに、ゆくりかに歌一つ物して、巻の名つけつるままに、つぎつぎも一つ二つ然かせしが、おのずから習いになりて、必ずさらでは得あらぬわざの如なりもてきぬるを、今さらにたがえむも、さすがにて、例のごと物するになむ。そもそのおりおり、思いうるままに、詠み出でもし、あるいは他事に詠みたるが有るをも、取り出でなどするを、につかわしく覚ゆるも、無きおりなど、今書かむとすとては、筆とりながら、思いめぐらすに、例の口おそさは、とみにも出でこで、しりくわえ勝ちなるも、あじきなく物くるおしきわざになん。この山菅も、かろうじてほり出でたる、さる歌のきたなげさよ。
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『玉勝間』十三の巻 巻頭(おもひ草十三)されどすすきの中にのみ生うるから、近き世に事好む者の、おしてそれと名づけたるにも有らむかと云いて、その草の図をも書きて、見せにおこせたる、そのかたは、かくぞ有りける。その後に又あるとき、花の咲きたる頃、一もと掘りて、薄のきりくいごめに、竹の筒の中に植えて、ただにその草をも、見せにおこせたるを、移し植えて見けるに、しばしは生いつきたるさまにて有りしを、ほどなく冬枯れにける。又のとしの春、萌えや出ると、待ちけるに、ついに枯れて、薄ながらに芽も出ずなりにきかし。さるは後にたずね見れば、このわたりの野山なる、すすきの中にも、ある草にぞ有りける。これ古の思い草ならむことはしも、げにいと覚束なくなむ。
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『玉勝間』一の巻 巻頭(初若菜一)この言草よ、何くれと数多く積りぬるを、いとくだくだしけれど、やり捨てむもさすがにて、書き集めむとするを、きょうはむ月十八日、子の日なれば、よし有りておぼゆるままに、まづこの巻の名、かく物しつ。次々のも、またその折々思い寄らむままに、何ともかとも付けてむとす。かたみとは残れ野沢の水ぐきの浅くみじかき若菜なりとも
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『玉勝間』六の巻 手書く事よろずよりも、手はよく書かまほしきわざなり。歌詠み学問などする人は、ことに手悪しくては、心おとりのせらるるを、それ何かは苦しからんと云うも、一わたりことわりは然る事ながら、なおあかず、うち合わぬ心地ぞするや。のり長いとつたなくて、常に筆とるたびに、いと口惜しゅう、云うかいなく覚ゆるを、人の乞うままにおも無く短冊一ひらなど、書き出でて見るにも、我ながらだに、いとかたわに見苦しゅう、かたくななるを、人いかに見るらんと、はずかしく胸いたくて、若かりしほどに、などて手習いはせざりけむと、いみしゅうくやしくなん。
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『玉勝間』七の巻 物書くに心すべき事古は、かたえの人も、皆心明らかなりしかば、いかに書きても、読みたがうる事無かりしかばこそ有れ、今の世は、みずからこそ心得たらめ、かたえの人は、心得たらねば、ともすれば、読みたがえ、写しひがむるたぐいのみ多かれば、いかにももの書くには、心すべきわざぞと、おのれは思いとりてぞ在る。さればおのが癖にて、つねに物書くに、読みたがえやせん、写しひがめやせんとのみ、心するほどに、もとよりいといと拙き手をいとどしじかみて、かたわには有るなり。また古言などは、殊に人の読みたがえ、誤る事多きを、いかであやまらず、正しく読ましめんとする程に、さらでも有るべき所にも、度ごとに仮字づけしなどして、心高き人には、わらわるるを、みずからも且つは知りながら、しみつきたる癖は、世に離れがたきわざになん。
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