玉勝間 / 一の巻 巻頭初若菜一
此言草よ、何くれと數多く積りぬるを、いとくだくだしけれど、やり捨てむもさすがにて、書き集めむとするを、けふはむ月十八日、子〓日なれば、よし有りておぼゆるままに、まづこの卷の名、かく物しつ。次次のも、又その折折思ひ寄らむままに、何ともかとも付けてむとす。かたみとは殘れ野澤の水ぐきの淺くみじかき若菜なりとも
新字:此言草よ、何くれと数多く積りぬるを、いとくだくだしけれど、やり捨てむもさすがにて、書き集めむとするを、けふはむ月十八日、子〓日なれば、よし有りておぼゆるままに、まづこの巻の名、かく物しつ。次次のも、又その折折思ひ寄らむままに、何ともかとも付けてむとす。かたみとは残れ野沢の水ぐきの浅くみじかき若菜なりとも
書き下し
この言草よ、何くれと数多く積りぬるを、いとくだくだしけれど、やり捨てむもさすがにて、書き集めむとするを、きょうはむ月十八日、子の日なれば、よし有りておぼゆるままに、まづこの巻の名、かく物しつ。次々のも、またその折々思い寄らむままに、何ともかとも付けてむとす。かたみとは残れ野沢の水ぐきの浅くみじかき若菜なりとも
現代語訳
この書き付け(言草)は、あれこれと数多く積もってしまい、たいそう煩わしいけれども、捨ててしまうのもさすがに惜しくて、書き集めようとしたところ、今日は正月十八日で子の日なので、ゆかりがあるように思われるままに、まずこの巻の名をこのように(初若菜と)付けた。次々の巻も、またその折々に思いついたままに、何とでも名を付けていこうと思う。形見として残ってくれ、野沢の水のように浅く、筆跡も拙い、短い若菜のような書き付けであっても。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十の巻 巻頭(山菅十)はてもなし云うべき事は云えど云えどなおやますげの乱れあいつつ。この野べのすさびよ、いとかくはかなき手習いを、ものものしく、巻ごとに名つけて、歌をさえに添えたるは、我ながらだに、あやしく覚ゆるを、おのずからも見む人は、まして如何にことごとしと思うらん。さるは初めの巻のはしに、ゆくりかに歌一つ物して、巻の名つけつるままに、つぎつぎも一つ二つ然かせしが、おのずから習いになりて、必ずさらでは得あらぬわざの如なりもてきぬるを、今さらにたがえむも、さすがにて、例のごと物するになむ。そもそのおりおり、思いうるままに、詠み出でもし、あるいは他事に詠みたるが有るをも、取り出でなどするを、につかわしく覚ゆるも、無きおりなど、今書かむとすとては、筆とりながら、思いめぐらすに、例の口おそさは、とみにも出でこで、しりくわえ勝ちなるも、あじきなく物くるおしきわざになん。この山菅も、かろうじてほり出でたる、さる歌のきたなげさよ。
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『玉勝間』五の巻 巻頭(枯野のすすき五)秋過ぎて、草はみながら枯れはてて、さびしき野べに、ただ尾花のかぎり、心長く残りて、むらむら立てるを、あわれと見て、詠める。かれぬべき枯野の尾花かれずあるを枯れずこそ見め枯れぬ限りは。斯かるすずろごとをさえに、とり出でたるは、見ん人、おこに思うべかめれど、よしやさばれとてなん。
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『玉勝間』四の巻 巻頭(わすれ草四)からぶみの中に、とみに尋ぬべき事の有りて、思いめぐらすに、そのふみとばかりは、ほのかに覚えながら、いづれの巻のあたりと云うこと、さらにおぼえねば、ただ心あてに、ここかしこと尋ぬれど、え見いでず。さりとていとあまた有る巻々を、初めよりたつねもて行かむには、いみしくいとまいりぬべければ、さもえ物せず。ついに空しくて止みぬるが、いと口惜しきままに、思い続けける。ふみ見つる跡もなつ野の忘草老いてはいとどしげり添いつつ。もとより物覚ゆる事、いと乏しかりけるを、このちかき年頃となりては、いとど何事も、ただ今見聞きつるをだに、やがて忘れがちなるは、いといと云うかい無きわざになん。
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『玉勝間』七の巻 物書くに心すべき事古は、かたえの人も、皆心明らかなりしかば、いかに書きても、読みたがうる事無かりしかばこそ有れ、今の世は、みずからこそ心得たらめ、かたえの人は、心得たらねば、ともすれば、読みたがえ、写しひがむるたぐいのみ多かれば、いかにももの書くには、心すべきわざぞと、おのれは思いとりてぞ在る。さればおのが癖にて、つねに物書くに、読みたがえやせん、写しひがめやせんとのみ、心するほどに、もとよりいといと拙き手をいとどしじかみて、かたわには有るなり。また古言などは、殊に人の読みたがえ、誤る事多きを、いかであやまらず、正しく読ましめんとする程に、さらでも有るべき所にも、度ごとに仮字づけしなどして、心高き人には、わらわるるを、みずからも且つは知りながら、しみつきたる癖は、世に離れがたきわざになん。
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『玉勝間』二の巻 巻頭(桜の落葉二)なが月の十日ごろ、せんざいの桜の葉の、色こくなりたるが、物がなしきゆうべの風に、ほろほろとおつるを見て、よめる。花ちりし同じ梢をもみじにもまたものおもう庭ざくらかな これを拾いいれて、やがて巻の名としつ。
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『玉勝間』十の巻 古へより伝はれる事の絶るをかなしむ事世の中に、古えの事の、いたく衰えたる、またひたぶるに絶えぬるなども多かるを、かかるめでたき御代にあたりて、何事も起したてまほしき中に、絶えたるも、跡をたずねて、またはじめむに、始めつべきは、遅くも疾くも、直毘の神の頼みの、なおのこれるを、一たび絶えては、またつぐべきよし無く、また始むべき便り無き事どもこそ、殊に云うかいなく、口惜しきわざには有りけれ。古き氏々など、神代のゆえよし重きなどは、更にも云わず、さらぬも、早く末の絶え果てぬるが多き、今は如何に思いても、二たびつぎ起すべきよし無くなん。これらを思うに、万の古き事は、わずかにも残りて、絶えざるをだに、おとしあぶさず、よくとりしたためて、今より後、絶ゆまじきさまに、如何にも如何にも、強くかたく成し置かまほしきわざぞかし。
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