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玉勝間 / 九の巻 家隆卿の名もじごゑによびならへりし事

古今著聞集にいはく、壬生ノ二品家隆の家にて、ある人の子を、男になす事侍り、隆祐ノ朝臣の子になして、やがてかの朝臣加冠はしけり。名をば何とかつくべきなど、さだしけるを、あつみの三郞爲俊と云ふ、田舍ざふらひ聞て、進み出て云ひけるは、此殿に御一家は、みな隆の字をなのらせ給へば、いへたかとやつけまゐらせらるべく候らんと、ゆゆしくはからひ申シたりけるていにて云ふを、人人笑ひののしる事限り無し。爲俊が父圖書ノ允爲弘ききて、いかに汝、ふしぎをば申すぞ、殿の御名のりを知りまゐらせぬかと云へば、いかでか知りまゐらせぬ事あるべきと云ふ。さるには斯かる事をば申すかと云はれて、さも候はず、殿の御名のりをば、かりうとこそ知りまゐらせて候へ、世にも又さこそ申候なれと、陳じたりける。比興の事かの卿聞かれて、入興せられけりとなん。

新字:古今著聞集にいはく、壬生ノ二品家隆の家にて、ある人の子を、男になす事侍り、隆祐ノ朝臣の子になして、やがてかの朝臣加冠はしけり。名をば何とかつくべきなど、さだしけるを、あつみの三郎為俊と云ふ、田舎ざふらひ聞て、進み出て云ひけるは、此殿に御一家は、みな隆の字をなのらせ給へば、いへたかとやつけまゐらせらるべく候らんと、ゆゆしくはからひ申シたりけるていにて云ふを、人人笑ひののしる事限り無し。為俊が父図書ノ允為弘ききて、いかに汝、ふしぎをば申すぞ、殿の御名のりを知りまゐらせぬかと云へば、いかでか知りまゐらせぬ事あるべきと云ふ。さるには斯かる事をば申すかと云はれて、さも候はず、殿の御名のりをば、かりうとこそ知りまゐらせて候へ、世にも又さこそ申候なれと、陳じたりける。比興の事かの卿聞かれて、入興せられけりとなん。

書き下し

古今著聞集にいわく、壬生の二品家隆の家にて、ある人の子を、男になす事侍り、隆祐の朝臣の子になして、やがてかの朝臣加冠はしけり。名をば何とかつくべきなど、さだしけるを、あつみの三郎為俊と云う、田舎ざむらい聞きて、進み出でて云いけるは、この殿に御一家は、みな隆の字をなのらせ給えば、いえたかとやつけまいらせらるべく候らんと、ゆゆしくはからい申したりけるていにて云うを、人々笑いののしる事限り無し。為俊が父図書の允為弘ききて、いかに汝、ふしぎをば申すぞ、殿の御名のりを知りまいらせぬかと云えば、いかでか知りまいらせぬ事あるべきと云う。さるにはかかる事をば申すかと云われて、さも候わず、殿の御名のりをば、かりゅうとこそ知りまいらせて候え、世にも又さこそ申し候なれと、陳じたりける。比興の事かの卿聞かれて、入興せられけりとなん。

現代語訳

『古今著聞集』に言う。壬生の二品家隆卿の家で、ある人の子を元服させることがあった。隆祐朝臣の子ということにして、そのままその朝臣が冠を加える役をした。名を何と付けようかなどと評議していたのを、渥美三郎為俊という田舎侍が聞いて、進み出て言うには、「この殿の御一家は、みな『隆』の字を名乗っておられますので、『いえたか』とでもお付け申し上げたらよろしいでしょう」と、いかにも良い思案を申し上げたという様子で言ったので、人々は限りなく笑い騒いだ。為俊の父の図書允為弘が聞いて、「どうしたのだお前、とんでもないことを申すものだ。殿の御名乗りを存じ上げないのか」と言うと、「どうして存じ上げないことがありましょう」と言う。「それならばどうしてこんなことを申すのか」と言われて、「そうではございません。殿の御名乗りは『かりゅう』と存じ上げております、世間でもそう申しております」と弁解した。このおかしな話をあの卿がお聞きになって、面白がられたということだ。

解説

藤原家隆の名が、世間で音読みの「かりゅう」と呼ばれていたことを示す、『古今著聞集』の笑い話を引いた段である。家隆は定家と並ぶ新古今時代の歌人で、正しい名乗りは「いえたか」である。元服する子の名を相談する席で、田舎侍が主人と同じ「いえたか」を勧めたので皆が大笑いした。父に叱られた侍は、殿の名は「かりゅう」だと思っていた、世間でもそう呼んでいると弁解し、家隆本人もこれを面白がったという。前に述べた、人の名を字音で呼ぶ習いがどれほど広まっていたかを、この話は生き生きと伝えている。本人の名乗りを知らない者が出るほど、音読みの呼び名が世に通っていたのである。

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