玉勝間 / 四の巻 高階ノ為章の名のとなへ
續世繼に、ためあきらと云ひし人、もとはためのりと云ひけるを、白川院の、ためあきらと召したりけるより、變りたりとかや。おほぢの高大貳は、なりのりと云ひしかども、此ごろ其末は、むねあきらなど云へるは、召しけるより改まりたりとかや。白川院は、はかなき事も、仰せらるる事の、斯くぞとどまりける、と有り。これは高階ノ爲章の事なり。なりのりは成章、むねあきらは宗章なり。
新字:続世継に、ためあきらと云ひし人、もとはためのりと云ひけるを、白川院の、ためあきらと召したりけるより、変りたりとかや。おほぢの高大貳は、なりのりと云ひしかども、此ごろ其末は、むねあきらなど云へるは、召しけるより改まりたりとかや。白川院は、はかなき事も、仰せらるる事の、斯くぞとどまりける、と有り。これは高階ノ為章の事なり。なりのりは成章、むねあきらは宗章なり。
書き下し
続世継に、ためあきらと云いし人、もとはためのりと云いけるを、白川院の、ためあきらと召したりけるより、変わりたりとかや。おおじの高大弐は、なりのりと云いしかども、この頃その末は、むねあきらなど云えるは、召しけるより改まりたりとかや。白川院は、はかなき事も、仰せらるる事の、かくぞとどまりける、と有り。これは高階の為章の事なり。なりのりは成章、むねあきらは宗章なり。
現代語訳
続世継(今鏡)に、「ためあきらと言った人は、もとは『ためのり』と名のっていたのを、白河院が『ためあきら』とお呼びになったことから変わったとかいうことだ。祖父の高大弐は『なりのり』と言ったけれども、この頃その子孫が『むねあきら』などと言っているのは、院がそうお呼びになったことから改まったとかいう。白河院は、ちょっとした事でも、おっしゃったことがこのように後に残ったのである」とある。これは高階為章のことである。「なりのり」は成章、「むねあきら」は宗章である。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十三の巻 金葉集に輔仁親王を三ノ宮としるせる事同書に、金葉集に、輔仁のみこと書きたりければ、白河の院は、いかにここに見むほど、かくは書きたるぞと仰せられければ、三の宮とぞかき奉れると有り。かの親王は、白河の帝の御子にましますが故に、御名を書き奉ることは、憚るべき事ぞと思しめして、かくはのたまえるなり。
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