玉勝間 / 九の巻 百万遍
百萬遍の念佛と云ふこと、榮花物語の、玉のかざりの卷に見えたり。
新字:百万遍の念仏と云ふこと、栄花物語の、玉のかざりの巻に見えたり。
書き下し
百万遍の念仏と云うこと、栄花物語の、玉のかざりの巻に見えたり。
現代語訳
百万遍の念仏ということは、『栄花物語』の玉の飾りの巻に見えている。
解説
「百万遍の念仏」という言葉が、平安時代の『栄花物語』にすでに見えることを記した一行の段である。百万遍念仏は、阿弥陀仏の名を百万回唱えて功徳を積む行で、のちには大勢が輪になって大きな数珠を繰りながら唱える形が広まり、宣長の時代には町や村の行事としても行われていた。玉の飾りの巻は、道長の娘が亡くなる前後の様子を描く巻で、病や死にあたって念仏が唱えられていた。宣長は仏教に対して批判的な立場をとったが、仏教の習俗の歴史を記録することは避けていない。言葉や習わしがいつから文献に現れるかを確かめることは、信じるかどうかとは別の、学問の仕事だったのである。
関連する章句
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