玉勝間 / 九の巻 硯がめ
同書石蔭ノ卷に、御まへの御すずりがめと有るは、俗に云ふ水入レなり。
新字:同書石蔭ノ巻に、御まへの御すずりがめと有るは、俗に云ふ水入レなり。
書き下し
同書石蔭の巻に、御まえの御すずりがめと有るは、俗に云う水入れなり。
現代語訳
同じ書(『栄花物語』)の石蔭の巻に「御前の御硯瓶」とあるのは、世間で言う「水入れ」(硯に水を差す器)である。
解説
『栄花物語』に出る「硯瓶」という言葉が、今でいう水入れのことだと示した、ごく短い段である。水入れは硯に注ぐ水を入れておく小さな器で、文人の机には欠かせない道具であった。平安の貴族の御前にも、同じ役目の器が置かれていたのである。宣長は、自分の机の上にある道具の古い名を物語の中に見つけて書き留めた。古典に出てくる物の名が今の何にあたるかを一つずつ押さえておかないと、物語の場面は正しく思い描けない。こうした小さな考証が、宣長の源氏物語や栄花物語の講釈を支えていたのだろう。書く人の道具の名に目が留まるところにも、書き物に生きた人の日常がのぞいている。
関連する章句
-
『玉勝間』十二の巻 長持と云ふ物栄華物語若枝の巻に、なかもちからびつのふたに、いとおどろおどろしゅうたたみいれて、うちかさねて、二人などかきて、もてくるも有り、と有り。これ今の世にいう長持と聞えたり。この名うつほの物語にも見えたるを、その巻をわすれたり。
-
『玉勝間』九の巻 目録目録の事を、栄花物語はつ花の巻に、物のかず書きたるふみ、柳筥にいれてまいれりと有り。
-
『玉勝間』一の巻 水茎の岡そはまづ上古には、人の許へ使をやるには、梓木に玉をつけたるを持たせて、使のしるしとせしなり。玉梓の使とつねに云うはこの事なり。それよりうつりて、せうそこ文をも、同じく玉梓と云い、またかの玉つけたる梓をさして、みづみづしき木と云う意にて、みづぐきと云えるより、これもうつりて書をも然か云えるなり。かくてまたうつりては、必ずしも人の許へやる書ならでも、手跡の事をも、水ぐきと云う事となれるなり。
-
『玉勝間』八の巻 つぼね栄花物語若枝の巻に、はかなく屏風几帳ばかりを、ひきつぼねて、ひまもなくいたりと有り。局と云うは、つぼやかにつぼねたる所のよしなり。
-
『玉勝間』九の巻 百万遍百万遍の念仏と云うこと、栄花物語の、玉のかざりの巻に見えたり。
-
『玉勝間』九の巻 茶椀延喜民部省式、年料雑器、長門の国より進る物の中に、茶椀廿口(径各五寸)と有り。茶椀めづらし。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る