玉勝間 / 九の巻 あやかる
あやかると云ふ詞、拾遺集雜戀に、「風はやみ峰の葛葉のともすればあやかりやすき人のこころか。
新字:あやかると云ふ詞、拾遺集雑恋に、「風はやみ峰の葛葉のともすればあやかりやすき人のこころか。
書き下し
あやかると云う詞、拾遺集雑恋に、風はやみ峰の葛葉のともすればあやかりやすき人のこころか。
現代語訳
「あやかる」という言葉は、『拾遺集』雑恋の部に「風が速いので、峰の葛の葉がともすれば揺れ動くように、ともすれば移ろいやすい人の心であることよ」とある。
解説
「あやかる」という言葉の古い用例を、『拾遺集』の一首から示した段である。今あやかるといえば、幸運な人に似て自分もそうなりたいと願う意味で使うが、この歌では、風に揺れる葛の葉のように心が揺れ動き、移ろいやすいことを言っている。葛の葉は風に吹かれると白い裏を見せて翻ることから、心変わりの譬えによく詠まれた。もとは揺れ動く、他のものに影響されて変わる、という意味の言葉が、やがて良いものに感化されて似るという意味に移っていったと考えられる。宣長は歌一首を掲げるだけだが、今の言葉と古い言葉の意味の隔たりを、読み手自身に気づかせようとしているのである。
関連する章句
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『玉勝間』八の巻 言の然云ふ本の意を知らまほしくする事たとい其もとの意は、よく明らめたらむにても、いかなる所に使いたりと云う事を知らでは、何のかいも無く、おのが歌文に用うるにも、ひがことの有るなり。今の世古学をするともがらなど殊に、すこし遠き言と云えば、まず然云う本の意を知らむとのみして、用いたる意をば、考えむともせざる故に、おのが使うに、いみじきひがことのみ多きぞかし。すべて言は、然云う本の意と、用いたる意とは、多くは等しからぬ物なり、たとえばなかなかにと云う言はもと、こなたへもかなたへも附かず、中間なる意の言なれども、用いたる意はただ、なまじいにと云う意、又移りては、かえりてと云う意にも用いたり。然るを言の本によりて、打まかせて、中間なる意に用いては、たがうなり。又心ぐるしと云う言は、今の俗言に、気毒なると云う意に用いたるを、言のままに、心の苦き事に用いては、たがえり。されば是等にて、万の言をも、なずらえ心得て、まず古えに用いたるようを、さきとして、明らめ知るべし、言の本にのみよりては、中々に古えにたがう事多かるべしかし。
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『玉勝間』十二の巻 事のはじめてそのきはになるを口と云ふ事俗語に、事の始めてその際になるを、なにがし口と云うこと、ふるし。拾遺集物の名に、くち葉色の折敷、あしひきの山の木の葉のおち口は色の惜しきぞあわれなりける。
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『玉勝間』六の巻 巻頭(からあゐ六)そのおのが歌は、からあいの末摘花の末ついに色にや出でん忍びかねてば 寄草恋と云う題にて詠めるなり。古今集なる、「我が恋をしのびかねてばあしひきの山たちばなの色に出でぬべし」と云う歌にぞよく似たると、また云う人も有りなんか。
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『玉勝間』十の巻 なごり六帖に、「うつくしと見るたびごとになでしこの花のなごりは惜しくやはあらぬ。このなごりは、近き世に云うなごりの意に聞えたり。
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