玉勝間 / 九の巻 よもやま
今俗言に、よもやまの云云と云ふ事あり、拾遺集の神樂歌に、「よも山の人のたからとする弓を神のみまへにけふたてまつる、榮花物語花山ノ卷に、ことしは世の中に、もがさと云ふ物いできて、よもやまの人、上下病みののしるに云云。
新字:今俗言に、よもやまの云云と云ふ事あり、拾遺集の神楽歌に、「よも山の人のたからとする弓を神のみまへにけふたてまつる、栄花物語花山ノ巻に、ことしは世の中に、もがさと云ふ物いできて、よもやまの人、上下病みののしるに云云。
書き下し
今俗言に、よもやまの云云と云う事あり、拾遺集の神楽歌に、よも山の人のたからとする弓を神のみまえにきょうたてまつる、栄花物語花山の巻に、ことしは世の中に、もがさと云う物いできて、よもやまの人、上下病みののしるに云云。
現代語訳
今の世間の言葉に「よもやまの」何々ということがある。『拾遺集』の神楽歌に「四方八方の人が宝とする弓を、神の御前に今日奉る」とあり、『栄花物語』花山の巻に「今年は世の中に疱瘡というものが流行して、あらゆる所の人が、身分の上下なく病んで大騒ぎするので」云々とある。
解説
「よもやま話」などと言う時の「よもやま」が、平安時代の歌や物語にすでに見えることを示した段である。よもやまは「四方八方」の意で、あらゆる方面、あちこちの人やことを指す。宣長は、『拾遺集』に収められた神楽歌と、『栄花物語』の疱瘡の流行を記す一節とを挙げる。神楽歌は神前で歌われる古い歌で、民の宝の弓を神に奉ると歌う。栄花物語では、疫病が身分を問わず広がり、世の中が騒然とした様子を伝えている。宣長は用例を示すだけで説明を加えないが、神事の歌と疫病の記事という離れた二つの場面に同じ語を見つけ出している。日常の言葉を古典の中に確かめる作業の、一つの記録である。
関連する章句
-
『玉勝間』九の巻 さがす俗言に物をさぐり求むる事をさがすと云う。この詞、同物がたり浦々の別れの巻に見えたり。
-
『玉勝間』十二の巻 八人のやをとめ俗に八人のやおとめと云うこと有り。土御門の内大臣通親公の、厳島御幸の記に、御神楽のやおとめ八人と見えたり。
-
『玉勝間』十二の巻 事のはじめてそのきはになるを口と云ふ事俗語に、事の始めてその際になるを、なにがし口と云うこと、ふるし。拾遺集物の名に、くち葉色の折敷、あしひきの山の木の葉のおち口は色の惜しきぞあわれなりける。
-
『玉勝間』九の巻 鷹のそる同じ物語木綿しでの巻に、手に据えたる鷹をそらしたる云云。
-
『玉勝間』十二の巻 長持と云ふ物栄華物語若枝の巻に、なかもちからびつのふたに、いとおどろおどろしゅうたたみいれて、うちかさねて、二人などかきて、もてくるも有り、と有り。これ今の世にいう長持と聞えたり。この名うつほの物語にも見えたるを、その巻をわすれたり。
-
『玉勝間』十の巻 かぐらかぐらは、古えは、神あそびとぞ云える。さればその歌をも、古今集には、かみあそびの歌とぞしるされたる。神楽と書けるも、古くはかみあそびとぞ訓むべき。かぐらと云う名は、如何なる由にて、いつの程よりか云いそめけむ。六帖の題にはかぐらと書けり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る