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玉勝間 / 九の巻 檜垣ノ嫗が事

さきに萩の下葉の卷に云へる、ひがきのおうなが像と云ふ物の事、肥後ノ國人に問ひしに、語りけるは、かの國飽田ノ郡白川のあたり、九品山蓮臺寺と云ふ寺に、かの嫗の墓と云ふ有て、古き石塔たてり。きざめる文字は無し。かの像と云ふ物は、同郡に岩殿山と云ふに、觀音をすゑたる岩屋の有る、そのいは屋のひたひより、掘り出たりと云へり。此所は、かの嫗の深く信じて、常にまうでし所なりと云ひ傳へて、そのあたりに、山下庵とて、まうづるたび每に、立よりし所なりと云ふ寺も有り。又くみて彼の佛にたむけし水とて井も有るなり。されど彼の掘り出たりと云ふ像は、まことに僞はれる物なるべしと語りき。

新字:さきに萩の下葉の巻に云へる、ひがきのおうなが像と云ふ物の事、肥後ノ国人に問ひしに、語りけるは、かの国飽田ノ郡白川のあたり、九品山蓮台寺と云ふ寺に、かの嫗の墓と云ふ有て、古き石塔たてり。きざめる文字は無し。かの像と云ふ物は、同郡に岩殿山と云ふに、観音をすゑたる岩屋の有る、そのいは屋のひたひより、掘り出たりと云へり。此所は、かの嫗の深く信じて、常にまうでし所なりと云ひ伝へて、そのあたりに、山下庵とて、まうづるたび毎に、立よりし所なりと云ふ寺も有り。又くみて彼の仏にたむけし水とて井も有るなり。されど彼の掘り出たりと云ふ像は、まことに偽はれる物なるべしと語りき。

書き下し

さきに萩の下葉の巻に云える、ひがきのおうなが像と云う物の事、肥後の国人に問いしに、語りけるは、かの国飽田の郡白川のあたり、九品山蓮台寺と云う寺に、かの嫗の墓と云う有りて、古き石塔たてり。きざめる文字は無し。かの像と云う物は、同郡に岩殿山と云うに、観音をすえたる岩屋の有る、そのいわ屋のひたいより、掘り出でたりと云えり。この所は、かの嫗の深く信じて、常にもうでし所なりと云い伝えて、そのあたりに、山下庵とて、もうずるたびごとに、立ちよりし所なりと云う寺も有り。又くみて彼の仏にたむけし水とて井も有るなり。されど彼の掘り出でたりと云う像は、まことに偽われる物なるべしと語りき。

現代語訳

先に「萩の下葉」の巻で述べた、檜垣の嫗の像というもののことを肥後国の人に尋ねたところ、語ったことには、あの国の飽田郡白川のあたりの九品山蓮台寺という寺に、あの嫗の墓というものがあって、古い石塔が立っている。刻んだ文字はない。あの像というものは、同じ郡の岩殿山という所に観音を据えた岩屋があり、その岩屋の入口の上から掘り出したと言っている。この所は、あの嫗が深く信仰して、いつも参詣した所だと言い伝えていて、そのあたりに山下庵という、参詣するたびに立ち寄った所だという寺もある。また汲んであの仏に供えた水だという井戸もあるのである。けれども、あの掘り出したという像は、本当に偽物であろう、と語った。

解説

以前の巻で取り上げた檜垣の嫗の像について、肥後の人から聞いた話で補った段である。檜垣の嫗は平安時代の中ごろ、筑紫にいた女性の歌人で、『後撰集』などに歌が残り、老いてなお歌を詠んだ話が伝わる。肥後には、その墓という古い石塔や、嫗が参詣したという観音の岩屋、立ち寄った寺、仏に供えた水を汲んだ井戸まで残っていた。岩屋から掘り出したという像もあったが、話してくれた土地の人自身が、それは偽物だろうと言ったという。名高い人の遺跡はとかく作られやすい。宣長は、伝えを丁寧に記しながら、土地の人の疑いもそのまま書き添えて、読み手が判断できるようにしている。

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