玉勝間 / 九の巻 あやまり証文
今の世に、あやまり證文と云ふ物、むかしは、怠狀と云へりき。同じ書に、過狀とも見えたり。宇治拾遺物語に、おこたりふみとも有リ。
新字:今の世に、あやまり証文と云ふ物、むかしは、怠状と云へりき。同じ書に、過状とも見えたり。宇治拾遺物語に、おこたりふみとも有リ。
書き下し
今の世に、あやまり証文と云う物、むかしは、怠状と云えりき。同じ書に、過状とも見えたり。宇治拾遺物語に、おこたりぶみとも有り。
現代語訳
今の世で「あやまり証文」(謝罪の証文)というものを、昔は「怠状」と言った。同じ書(『西宮記』)に「過状」とも見えている。『宇治拾遺物語』には「おこたりぶみ」ともある。
解説
江戸時代の「あやまり証文」、つまり過ちを詫びて今後を誓う書き付けを、昔は何と呼んだかを記した段である。宣長は、平安の儀式書『西宮記』に「怠状」「過状」と見え、説話集『宇治拾遺物語』には「おこたりぶみ」とあることを示す。「おこたり」は古語で過ちや手落ちのことで、それを詫びる文だから怠状と書いた。詫び状を書かせる習いは、朝廷の役所でも庶民の間でも、古くから続いていたのである。宣長の生きた町でも、奉公人や町人の間で詫び証文はよく取り交わされていた。暮らしの中の文書の名を古い書物にたどると、社会の約束事の形が昔から変わらずにあったことが見えてくる。
関連する章句
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『玉勝間』十二の巻 名簿、おこたりふみいにしえ、物ならうとて、人の弟子になるしるしに、名簿を奉る事、同じ物語に見ゆ。名簿におこたりぶみ添えて出だす、なども見えたり。おこたりぶみは、怠状にて、今の世にあやまり証文と云う物なり。
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『玉勝間』八の巻 為後日と云ふ事今証文のおくに、為後日と書く事、応徳元年又永保三年などの、家地売買券に、仍て後日の為に新券を立つ、また仍て後日の為に、本券等を相副え、新券を立つること件の如し、など有り。
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『玉勝間』八の巻 口状三代実録十三の巻、宣命の中に、口状と云うこと有り、今の世に口上と云うは是れなり。口状を口上と書くは、物語書に、几帳を几丁、本性を本上と書けるたぐいなり。
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『玉勝間』九の巻 書出し江家次第九の巻に、書出しと云うこと見えたり。今商人の家に云う、書出しも、かれより出し名なるべし。
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『玉勝間』八の巻 まにあはぬ又間にあわぬと云う事も、是れに見えたり。近き世の言には有らず。
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『玉勝間』十の巻 古へより伝はれる事の絶るをかなしむ事世の中に、古えの事の、いたく衰えたる、またひたぶるに絶えぬるなども多かるを、かかるめでたき御代にあたりて、何事も起したてまほしき中に、絶えたるも、跡をたずねて、またはじめむに、始めつべきは、遅くも疾くも、直毘の神の頼みの、なおのこれるを、一たび絶えては、またつぐべきよし無く、また始むべき便り無き事どもこそ、殊に云うかいなく、口惜しきわざには有りけれ。古き氏々など、神代のゆえよし重きなどは、更にも云わず、さらぬも、早く末の絶え果てぬるが多き、今は如何に思いても、二たびつぎ起すべきよし無くなん。これらを思うに、万の古き事は、わずかにも残りて、絶えざるをだに、おとしあぶさず、よくとりしたためて、今より後、絶ゆまじきさまに、如何にも如何にも、強くかたく成し置かまほしきわざぞかし。
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