玉勝間 / 九の巻 能と云ふ楽
西宮記相撲ノ條に、相撲了能優一番と有り。能優は、猿樂のたぐひと聞えたり。近き世に、能と云ふ名は是れなるべし。此ノ能ノ字は、音態なるべきに、ノウと云ふは、昔より誤れるにや。
新字:西宮記相撲ノ条に、相撲了能優一番と有り。能優は、猿楽のたぐひと聞えたり。近き世に、能と云ふ名は是れなるべし。此ノ能ノ字は、音態なるべきに、ノウと云ふは、昔より誤れるにや。
書き下し
西宮記相撲の条に、相撲了りて能優一番と有り。能優は、猿楽のたぐいと聞こえたり。近き世に、能と云う名はこれなるべし。この能の字は、音態なるべきに、ノウと云うは、昔より誤れるにや。
現代語訳
『西宮記』の相撲の条に、「相撲が終わって能優一番」とある。能優は猿楽の類いと思われる。近頃の世で「能」という名は、これから来たのであろう。この「能」の字は、音は「態(たい)」であるべきなのに、「ノウ」と言うのは、昔から誤ってきたのであろうか。
解説
芸能の「能」という名の由来を、平安時代の儀式書に探った段である。『西宮記』は源高明がまとめた朝廷の儀式の書で、相撲の節会の記事に、相撲が終わった後に「能優」を一番演じたとある。宮中の相撲の後には、さまざまな芸能が披露された。宣長はこの能優を猿楽の類いと見て、室町以来の能という名はここから来たのだろうと推す。さらに、能の字はこの意味では態と同じ音で読むべきなのに、ノウと読むのは昔からの誤りではないかと疑問を呈する。今は誰もが知る芸能の名にも、字の音と意味の筋道から問いを立てる。身近な言葉ほど由来を問われずに使われていることに、宣長は目を向けている。
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