政談 / 能の事
さて御うたひ初は重もき御規式なれは、この節ばかり猿樂を用ゆるやうにし、猿樂は先規の如く御暇下され次第奈良へのほるへきことなり、かの輩も御先々前御代より御暇下されても皆御城下に滯留してのほらす、その節は能はやりたる故渡世も豐かなれとも、今は渡世に殊の外難義するたくひ多し、されとも年久しく御城下に住して、今は御城下を常住に定めぬれは、奈良へものほらす、しちやうにかゝりたるやうなるてい、所を失ひたる有樣也、
新字:さて御うたひ初は重もき御規式なれは、この節ばかり猿楽を用ゆるやうにし、猿楽は先規の如く御暇下され次第奈良へのほるへきことなり、かの輩も御先々前御代より御暇下されても皆御城下に滞留してのほらす、その節は能はやりたる故渡世も豊かなれとも、今は渡世に殊の外難義するたくひ多し、されとも年久しく御城下に住して、今は御城下を常住に定めぬれは、奈良へものほらす、しちやうにかゝりたるやうなるてい、所を失ひたる有様也、
書き下し
さて御うたひ初は重もき御規式なれは、この節ばかり猿楽を用ゆるやうにし、猿楽は先規の如く御暇下され次第奈良へのほるへきことなり、かの輩も御先々前御代より御暇下されても皆御城下に滞留してのほらす、その節は能はやりたる故渡世も豊かなれとも、今は渡世に殊の外難義するたくひ多し、されとも年久しく御城下に住して、今は御城下を常住に定めぬれは、奈良へものほらす、しちやうにかゝりたるやうなるてい、所を失ひたる有様也、
現代語訳
さて、御謡初めは重い儀式であるから、この時だけ猿楽を用いるようにし、猿楽の者は先例のとおり、お暇を下され次第に奈良へ上るべきである。あの者たちも、先々前代の御代からお暇を下されても皆御城下に滞留して上らない。そのころは能がはやったので暮らしも豊かであったが、今は暮らしにことのほか難儀する者が多い。けれども年久しく御城下に住んで、今は御城下を定住の地と決めてしまったので、奈良へも上らず、質入れされたかのような様子で、居場所を失ったありさまである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『甲陽軍鑑』品第四十八扨また諸人の批判には、さいげんなき法花坊機にあがらん、又はあぶられんとのさた也、奉行衆も此以前岩村田法華坊主、何にても證拠なきさへ以て御分国をはらはるゝ、まして是は大方の御成敗にては有間敷、いそぎ改め出し、日記に付、言上申べしとて書立を以て申上る、
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尚書・君牙嗚呼(ああ)!丕いに顕らかなるかな、文王の謨。丕いに承くるかな、武王の烈。我が後人を啓き佑け、咸く正を以てして欠くる罔し。爾惟れ敬みて乃の訓を明らかにし、用て先王に奉じ若へ。文・武の光命に対揚し、前人に追配せよ。』王若のごとく曰く、『君牙よ、乃惟れ先正に由り、旧典時れ式れ、民の治乱は茲に在り。乃の祖考の行ふ攸に率ひ、乃の辟の乂むる有るを昭らかにせよ。』
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尚書・周官古に學びて官に入り、事を議するに制を以てすれば、政乃ち迷わず。
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『甲陽軍鑑』品第四十七其後仰出しには、彼落合彥助事曲淵に年こそおとりたりとも、武辺の事さのみおとる者にてなし、さるについて逍遥軒にとらせ候所に、曲淵が蔵前にて奉行どもに雑言の事赦免せしめてありとて、いつもさやう有べきと存、事下より上をはからふたる様子言語同断、口惜く思召し候、其上第一に彼彥助をあれほどの臆病者にて有べしとは御存知なし、
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『墨子』耕柱公孟子曰く、「先人に則有り、三のみ」と。子墨子曰く、「孰れか先人にして則有ること三のみと曰わん。子は未だ人の先に有りて後に生ずるを知らざるなり」と。
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『春秋左氏伝』昭公十三年 奥主有り、外援無し善に下りて齊肅、賄を藏せず、欲に從はず、施舍して倦まず、善を求めて厭かず。是を以って國を有つ、亦た宜ならずや。我が先君文公は、狐季姬の子なり。獻に寵有り。學を好みて貳はず。生まれて十七年、士五人有り。先大夫子餘・子犯有りて、以って腹心と為す。魏犨・賈佗有りて、以って股肱と為す。齊・宋・秦・楚有りて、以って外主と為す。欒・郤・狐・先有りて、以って内主と為す。亡ぐること十九年、志を守ること彌々篤し。惠・懷民を棄て、民從ひて之に與す。獻に異親無く、民に異望無し。天方に晉を相く。將た何を以ってか文に代へん。此の二君は、子干に異なり。共には寵子有り、國には奧主有り。民に施す無く、外に援無し。晉を去れども送らず、楚に歸れども逆へず。何を以ってか國を冀はん」と。晉虒祁を成す。諸侯の朝して歸る者、皆貳心有り。郠を取るが為の故に、晉將に諸侯を以って來り討たんとす。叔向曰く、「諸侯以って威を示さざる可からず」と。乃ち並びに會を徵して吳に告ぐ。
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