玉勝間 / 九の巻 梅はとぶと云ふ歌
世俗に云ひ傳へたる「梅はとぶ櫻は枯るる世の中に、何とて松はつれなかるらん、と云ふ歌、源平盛衰記には、菅原ノ大臣、東風ふかばと云ふ御歌を、詠み給ひしかば、紅梅つくしへ飛行きければ、同じ御所にならびて有ける櫻の、御言の葉にかからざることを恨みて、一夜が中に枯にけるを、源ノ順が歌に、梅はとび櫻はかれぬ菅原や深くぞ賴む神のちかひを、と詠みける由、しるしたり。此歌を作りかへたるにや有らむ。されど此順がと云ふも本末かけあはず、いといとつたなき歌なり。
新字:世俗に云ひ伝へたる「梅はとぶ桜は枯るる世の中に、何とて松はつれなかるらん、と云ふ歌、源平盛衰記には、菅原ノ大臣、東風ふかばと云ふ御歌を、詠み給ひしかば、紅梅つくしへ飛行きければ、同じ御所にならびて有ける桜の、御言の葉にかからざることを恨みて、一夜が中に枯にけるを、源ノ順が歌に、梅はとび桜はかれぬ菅原や深くぞ頼む神のちかひを、と詠みける由、しるしたり。此歌を作りかへたるにや有らむ。されど此順がと云ふも本末かけあはず、いといとつたなき歌なり。
書き下し
世俗に云い伝えたる、梅はとぶ桜は枯るる世の中に、何とて松はつれなかるらん、と云う歌、源平盛衰記には、菅原の大臣、東風ふかばと云う御歌を、詠み給いしかば、紅梅つくしへ飛び行きければ、同じ御所にならびて有りける桜の、御言の葉にかからざることを恨みて、一夜が中に枯れにけるを、源の順が歌に、梅はとび桜はかれぬ菅原や深くぞ頼む神のちかいを、と詠みける由、しるしたり。この歌を作りかえたるにや有らむ。されどこの順がと云うも本末かけあわず、いといとつたなき歌なり。
現代語訳
世間に言い伝えている「梅は飛ぶ、桜は枯れる世の中に、どうして松はつれないのだろう」という歌について、『源平盛衰記』には、菅原の大臣(菅原道真)が「東風吹かば」という御歌をお詠みになったので、紅梅が筑紫へ飛んで行ったところ、同じ御所に並んでいた桜が、御歌に詠まれなかったことを恨んで、一夜のうちに枯れてしまった。それを源順が歌に「梅は飛び、桜は枯れた、菅原よ。深く頼みにする、神の誓いを」と詠んだと記している。世間の歌はこの歌を作り変えたのであろうか。けれどもこの順の歌というのも、上の句と下の句がかみ合わず、ひどく拙い歌である。
解説
関連する章句
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『玉勝間』八の巻 北野の御詠と云ふ歌唐衣おりてきた野の神ぞとは袖にもちたる梅にてもしれ、心だにまことの道にかないなばいのらずとても神やまもらん、此二首の歌、北野の御詠のよし、鴨の長明の四季物語と云う物に、二月二十五日の神事のところに見えたり。此歌ども、後の世ざまの、いとつたなき歌なり。はじめのは、歌の趣殊につたなし。次なるは、例のほうしの口つきなり。結の句のや文字かなわず。これは後の世のえせ歌よみの、んととじむる上は、必ずやと云うべきことと、かたくなに心得たるじょうなり。此歌にては、神はとこそ云うべけれ。すべて此四季物語と云う物、うたがわしき書なりかし。
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『玉勝間』六の巻 花のさだめ花はさくら。桜は、山桜の、葉あかく照りて、細きが、まばらにまじりて、花しげく咲きたるは、またたぐうべき物も無く、うき世のものとも思われず。葉青くて、花のまばらなるは、こよなくおくれたり。大かた山ざくらと云う中にも、しなじなの有りて、こまかに見れば、一木ごとに、いささかかわれる処有りて、またく同じきは無きようなり。また今の世に、桐がやつ八重一重など云うも、ようかわりて、いとめでたし。すべて曇れる日の空に見あげたるは、花の色あざやかならず。松も何も、あおやかに茂りたるこなたに咲けるは、色はえて、ことに見ゆ。空清くはれたる日、日影のさすかたより見たるは、においこよなくて、おなじ花とも覚えぬまでなん。朝日はさらなり、夕ばえも。梅は紅梅、ひらけさしたる程ぞ、いとめでたきを、盛りになるままに、ようようしらけゆきて、見所無くなるこそ、いとくちおしけれ。さくらの咲ける頃までも、散る事知らで、むげに匂い無く、ねびれしぼみて、残りたるを見れば、げに有りて世の中は、何事も皆かくこそと、見る春ごとに、思い知らるかし。白きはすべて香こそあれ、見るめはしなおくれたり。
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『玉勝間』七の巻 ある人の言桜の花ざかりに、歌詠む友だち、これかれかい連ねて、そこかしこと、見ありきける、帰るさに、見し花どもの事、語りつつ来るに、ひとりが云うよう、まろは、歌詠まむと、思いめぐらしける程に、きょうの花は、いかに有りけむ、こまやかにも見ずなりぬと云えるは、おこがましきようなれど、まことは誰れも然も有る事と、おかしくぞ聞きし。
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『玉勝間』十三の巻 梅の花の歌に香をよむ事梅の花の歌には、香をむねと詠む事なれども、万葉集には、梅の歌いと多かるに、香を詠めるは、ただ廿の巻に、うめの花香をかぐわしみ、遠けども心もしぬに君をしぞ思う、とある一つのみにて、これをおきては、見えず。古えはすべて香をめずる事は無かりしなり。橘の歌も、万葉にいと多けれども、それも香を詠めるは、十七の巻と十八の巻とに、ただ二首あるのみなり。その外十の巻に、茸を詠める歌、高円のこの峰もせに笠立てて、みちさかりなる秋の香のよさ、と詠めるなどより外には、すべて物の香をめでたる歌は見えず。においと多く詠めるは、みな色のにおいにて、鼻にかがるる香にはあらず。さて件の十の巻なる歌は、松茸を詠めるにぞ有りける。はしに詠芳とある、芳の字は、茸を写しひがめたるなり。
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『玉勝間』二の巻 巻頭(桜の落葉二)なが月の十日ごろ、せんざいの桜の葉の、色こくなりたるが、物がなしきゆうべの風に、ほろほろとおつるを見て、よめる。花ちりし同じ梢をもみじにもまたものおもう庭ざくらかな これを拾いいれて、やがて巻の名としつ。
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『玉勝間』四の巻 東鏡にしるせる事二つ三つ東鏡に、建保二年二月十日、坊門新黄門(忠信)の使者、京都より参着す、蹴鞠の書一巻を送らる、かの卿去年十二月、紫革の韈を聴さる、宗長朝臣も同じ云々。将軍家諸道を賞翫し給う中に、殊に御意に叶う者は、歌鞠の両芸なり。また同年八月二十九日、去る十六日、仙洞の秋十首歌合、二条中将雅経朝臣写し進ず、将軍家殊にこれを賞翫せしめ給う云々。また同三年七月六日、坊門黄門(忠信卿)去る六月二日の仙洞歌合(衆議判)一巻を将軍家に進ぜらる、これ内々の勅定に依るなり云々、将軍は実朝の大臣なり。この大臣、公暁にころされ給わむとせし頃、いろいろあやしきさとしども有りける中に、公氏御鬢つかうまつりけるに、みづから御鬢の髪を一すじ抜き給いて、形見とて給わせけり。また庭の梅の花を見給いて、ゆゆしき歌をなん詠み給いける、「出でていなばぬし無き宿となりぬとも軒端の梅よ春をわするな、同書にしるしたり。また承久のみだれに、中御門の入道中納言宗行の卿、とらわれて、東にくだらるる時、七月十日に、遠江の国菊河のうまやに宿られけるを、よもすがら寝られず、法華経を読みて、屋の柱に書きつけられける。昔南陽軒の菊水、下流を汲みて齢を延ぶ、今東海道の菊河、西岸に宿りて命を失う、とぞ書きつけられける。
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