玉勝間 / 九の巻 某公某ノ卿と云ふ事
公卿と云ふは、大臣を公と云ひ、三位より上を卿と云ふ、是れなり。されば公卿なる人の名を云ふにも、大臣なるをば、某公と云ひ、納言より三位までをば、某ノ卿と云ふ、つねの事なり。然れども某公と云へる事は、古くはかつて見えず、大臣をばすべて、河原左大臣、近院ノ右大臣、御堂ノ關白など申せり。まれに、必ず名を云はではえ有らぬ處などには、良房大臣、忠平ノ大臣など見えたり。又某ノ卿と云ふ事も源氏物語榮花物語などには、一つも見えず。行平ノ中納言、道雅ノ三位など云へり。然らば某ノ卿と云ふは、後の事かと思へば、さには有らず。はやく萬葉集に、式部卿藤原ノ宇合ノ卿、中納言安倍ノ廣庭、卿など見え、躬恒ノ家集にも、かねすけの卿と有り。古き事なり。されどそは、むねとある物語文などに、をさをさ見えぬゆゑにや。今思ふには、定家ノ卿家隆ノ卿など云はむよりは、定家ノ中納言、家隆ノ二位など云はむは、いうに聞ゆめる。そもそも斯く名の下に、官又位をつけて云ふこと、近き世の人の書く文には、かつて無くして、唯だ某ノ卿とのみ書くは、古への物語などの、よき文の例へに、心のつかざる故にや、すべてかうやうのいささかの事も、古へのとき世とき世の例をよく考へて、そのさまに合せて書くべきわざにこそ。
新字:公卿と云ふは、大臣を公と云ひ、三位より上を卿と云ふ、是れなり。されば公卿なる人の名を云ふにも、大臣なるをば、某公と云ひ、納言より三位までをば、某ノ卿と云ふ、つねの事なり。然れども某公と云へる事は、古くはかつて見えず、大臣をばすべて、河原左大臣、近院ノ右大臣、御堂ノ関白など申せり。まれに、必ず名を云はではえ有らぬ処などには、良房大臣、忠平ノ大臣など見えたり。又某ノ卿と云ふ事も源氏物語栄花物語などには、一つも見えず。行平ノ中納言、道雅ノ三位など云へり。然らば某ノ卿と云ふは、後の事かと思へば、さには有らず。はやく万葉集に、式部卿藤原ノ宇合ノ卿、中納言安倍ノ広庭、卿など見え、躬恒ノ家集にも、かねすけの卿と有り。古き事なり。されどそは、むねとある物語文などに、をさをさ見えぬゆゑにや。今思ふには、定家ノ卿家隆ノ卿など云はむよりは、定家ノ中納言、家隆ノ二位など云はむは、いうに聞ゆめる。そもそも斯く名の下に、官又位をつけて云ふこと、近き世の人の書く文には、かつて無くして、唯だ某ノ卿とのみ書くは、古への物語などの、よき文の例へに、心のつかざる故にや、すべてかうやうのいささかの事も、古へのとき世とき世の例をよく考へて、そのさまに合せて書くべきわざにこそ。
書き下し
公卿と云うは、大臣を公と云い、三位より上を卿と云う、これなり。されば公卿なる人の名を云うにも、大臣なるをば、某公と云い、納言より三位までをば、某の卿と云う、つねの事なり。然れども某公と云える事は、古くはかつて見えず、大臣をばすべて、河原の左大臣、近院の右大臣、御堂の関白など申せり。まれに、必ず名を云わではえ有らぬ処などには、良房大臣、忠平の大臣など見えたり。又某の卿と云う事も源氏物語・栄花物語などには、一つも見えず。行平の中納言、道雅の三位など云えり。然らば某の卿と云うは、後の事かと思えば、さには有らず。はやく万葉集に、式部卿藤原の宇合の卿、中納言安倍の広庭の卿など見え、躬恒の家集にも、かねすけの卿と有り。古き事なり。されどそは、むねとある物語文などに、おさおさ見えぬゆえにや。今思うには、定家の卿・家隆の卿など云わむよりは、定家の中納言、家隆の二位など云わむは、ゆうに聞こゆめる。そもそもかく名の下に、官又位をつけて云うこと、近き世の人の書く文には、かつて無くして、ただ某の卿とのみ書くは、古えの物語などの、よき文の例えに、心のつかざる故にや、すべてこうようのいささかの事も、古えのとき世とき世の例をよく考えて、そのさまに合わせて書くべきわざにこそ。
現代語訳
公卿というのは、大臣を「公」と言い、三位以上を「卿」と言う、これである。だから公卿である人の名を言う時にも、大臣であれば「某公」と言い、納言から三位までは「某卿」と言うのが、ふつうのことである。けれども「某公」と言うことは、古くは全く見えず、大臣はすべて、河原左大臣、近院右大臣、御堂関白などと申した。まれに、どうしても名を言わなければならない所などには、「良房大臣」「忠平大臣」などと見えている。また「某卿」と言うことも、『源氏物語』『栄花物語』などには一つも見えない。「行平中納言」「道雅三位」などと言っている。それならば「某卿」と言うのは後のことかと思えば、そうではない。早く『万葉集』に「式部卿藤原宇合卿」「中納言安倍広庭卿」などと見え、躬恒の家集にも「かねすけの卿」とある。古いことである。けれどもそれは、主だった物語の文などにはほとんど見えないからであろうか。今思うには、「定家卿」「家隆卿」などと言うよりは、「定家中納言」「家隆二位」などと言う方が、優雅に聞こえるようだ。そもそもこのように名の下に官職や位を付けて言うことは、近頃の人の書く文には全くなく、ただ「某卿」とだけ書くのは、昔の物語などのよい文の例に心が向かないからであろうか。何事につけ、このようなちょっとしたことも、昔のそれぞれの時代の例をよく考えて、その様子に合わせて書くべきことである。
解説
関連する章句
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『玉勝間』一の巻 官名の事中昔の書どもには、おおきおおいもうちぎみ、またはおおきおとどなど云えるは、右の訓あまり長き故に、政の字をのぞきたる訓なり。また左右大臣は、於保伊万智岐美と有るも、官名につきてもうけられたる訓なり。ただし万豆岐美、万宇智岐美は、古の称にて、麻都岐美なるを、音便に然か云うなり。まえつぎみと云う事、書紀の景行の巻の歌に見えたり。さて和名抄には、右のごとく万宇智岐美と有るを、北山抄・江次第などに、末布知君・万不地起牟多地など書かれたるは、布不は仮字たがいたり。すべて音便に宇と唱うるは、みな宇の仮字なりと心得べし。大納言・中納言・参議・少納言、みな漢字を以てつけられたる官にて訓は字につきてもうけたるなり。弁は於保止毛比、これは上つ代よりの官名と聞こえたり。意はいかなるにか、いまだ考え得ず字もいかなる意をもてあてられたるにか、さだかならず。西宮記・北山抄・小右記などに、大輌火之官と書かれたるは借り字なり。外記・内記・大史・少史・史生・官掌など、皆漢ざまなり。もろもろのつかさの長官を、美加と云うは古なり。次官を須気と云うも古きか、判官を万豆利古止比止と云うは、もうけたる訓なり。佐官は訓見えず。
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『玉勝間』一の巻 官名の事もろもろの官名の中に、上つ代より、まさしく官職の名にて有りしに、漢字を後にあてたるも有り。また名は古くて、まさしく官名になれるは後なるも有り。また漢字をもて、新たに造りて、それに訓を附けたるも有り。今是等のわきためをいささか云わむに、まづ大臣は、いにしえは意富於美と唱えて、臣と云う尸に、大と云う言を加えて、たふとみたる号なり。さる故にこの号は、臣の尸なる姓の人にかぎれり。大連も同じ事にて、連の尸の姓の人に賜いし号なり。然るに古の大臣・大連を、官と心得たるはたがえり。大臣をまさしく官名とせられしは、孝徳天皇の御世にて、始めて左右の大臣をおかれたり。これより臣の姓に限らず、他尸の姓の人も成れり。さて天智天皇の御世に、内大臣また太政大臣はじまる。そはもと大臣と云える古の号を、やがて用いられたる官名なるに、左と云い右と云い、太政と云うは、みな漢のにならいたるなづけざまにして、古ざまにはあらず。さて和名抄に、太政大臣は於保万豆利古止乃於保方豆岐美と有るは、字につきてもうけられたる訓なり。
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『玉勝間』一の巻 官名の事佐宇官と云うは、音便に佐を引きて云うなり。八省の中に、大蔵は古なり。宮内省も古きか。民部・兵部はいかならむ、中務・式部・治部・刑部などは漢ざまなり。弾正もからざまなり。諸職の中に、大膳ふるし。諸寮の中に、大舎人・内蔵・掃部・大炊・主殿など古なり。内蔵は、つねにはただ久良と唱うるは、禁中にて云いなれたるままなり。掃部はもと蟹守なるを、加牟毛里とあるは音便なり、今の世にカモンと云うはいみしき訛りなり。諸司の中には、内膳・造酒・主水など古えなり。主水は水取なり、和名抄にも毛比止里と有り。今の世にモンドと云うはいみしき訛りなり。近衛・兵衛・衛門みな漢ざまなり。靫負と云うは古なり。こは由介比とあるを、今の世にユキエと云うは訛りなり。太宰ふるし。侍従は於毛止比止女字知岐美とある、女字いかが。中務省侍従は、於毛止比止万知岐美、北山抄には、於毛止未布知君とあり。右の外にも、官名になれるは後なれど、名は古くして、漢ざまにはあらざるなお多し。またもとより漢字を以てつけられたるは、その名のさまをもてわきまえ知るべし。
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『玉勝間』一の巻 位階の正従の訓の事位階の正従の訓、正を於保伊と云い、従を比呂伊と云う。こは天武紀十四年に、更めて爵位の号を改む云々、階毎に大広有り云々とある、この大と広との訓を、うつし用いられたるなり。是等ももとは、於保伎、比呂伎とぞ唱えけむを、ともに伎を伊と云うは、後の音便なり。古今集の序に、柿本の人まろを、おおきみつのくらいと有るは、心得ぬ事ながら、おおいと書かずして、おおきと書けるは、古きにかなえり。
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『玉勝間』四の巻 御と云ふ詞のつかひざまの一つ源氏物語に、仏の御かりょうびんがの声、御ひとつ腹、御まえわたり、宮の御侍従の乳母、仏の御同じ帳台、宮の御二条の北の方、など有るこれらの御ちょう詞、今の世の心にて思えば、仏のかりょうびんがの御こえ、ひとつ御はら、宮の侍従の御乳母、仏の同じ御帳台、宮の二条の御北の方、と云うべきに、置きどころかわりて聞こゆ、心得おくべし。御まえわたりも、御は、わたりへかかりて、前へはかからず。
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『玉勝間』六の巻 むかしの女御の位階延喜天暦などの頃になりては、女御と申すは、皇后につぎて、いにしえの妃夫人などのつらに当たりて、いと貴かりしにあわせては、なお位階はひきくぞ有りけん。小野の宮の左大臣の御女の女御の、天暦元年にかくれ給えりし、四十九日の願文に、女御贈従四位上藤原朝臣とぞ見えたる、これらも文粋に有り。
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