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玉勝間 / 一の巻 官名の事

中昔の書どもには、おほきおほいまうちぎみ、又はおほきおとどなど云へるは、右の訓あまり長き故に、政の字をのぞきたる訓なり。また左右大臣は、於保伊万智岐美と有るも、官名につきてまうけられたる訓なり。但し万豆岐美、万宇智岐美は、古、の稱にて、麻都岐美なるを、音便に然か云ふなり。まへつぎみと云ふ事、書記の景行ノ卷の歌に見えたり。さて和名抄には、右のごとく万宇智岐美と有るを、北山抄江次第などに、末布知君万不地起牟多地など書れたるは、布不は假字たがひたり。すべて音便に宇と唱ふるは、みな宇の假字なりと心得べし。大納言中納言參議少納言、みな漢字を以てつけられたる官にて訓は字につきてまうけたるなり。辨は於保止毛比、これは上つ代よりの官名と聞えたり。意はいかなるにか、いまだ考、得ず字もいかなる意をもてあてられたるにか、さだかならず。西宮記、北山抄、小右記などに、大輌火之官と書れたるは借リ字なり。外記内記大史少史史生官掌など、皆漢ざまなり。もろもろのつかさの長官を、美加と云ふは古、なり。次官を須氣と云ふも古きか、判官を萬豆利古止比止と云ふは、まうけたる訓なり。佐官は訓見えず。

新字:中昔の書どもには、おほきおほいまうちぎみ、又はおほきおとどなど云へるは、右の訓あまり長き故に、政の字をのぞきたる訓なり。また左右大臣は、於保伊万智岐美と有るも、官名につきてまうけられたる訓なり。但し万豆岐美、万宇智岐美は、古、の称にて、麻都岐美なるを、音便に然か云ふなり。まへつぎみと云ふ事、書記の景行ノ巻の歌に見えたり。さて和名抄には、右のごとく万宇智岐美と有るを、北山抄江次第などに、末布知君万不地起牟多地など書れたるは、布不は仮字たがひたり。すべて音便に宇と唱ふるは、みな宇の仮字なりと心得べし。大納言中納言参議少納言、みな漢字を以てつけられたる官にて訓は字につきてまうけたるなり。弁は於保止毛比、これは上つ代よりの官名と聞えたり。意はいかなるにか、いまだ考、得ず字もいかなる意をもてあてられたるにか、さだかならず。西宮記、北山抄、小右記などに、大輌火之官と書れたるは借リ字なり。外記内記大史少史史生官掌など、皆漢ざまなり。もろもろのつかさの長官を、美加と云ふは古、なり。次官を須気と云ふも古きか、判官を万豆利古止比止と云ふは、まうけたる訓なり。佐官は訓見えず。

書き下し

中昔の書どもには、おおきおおいもうちぎみ、またはおおきおとどなど云えるは、右の訓あまり長き故に、政の字をのぞきたる訓なり。また左右大臣は、於保伊万智岐美と有るも、官名につきてもうけられたる訓なり。ただし万豆岐美、万宇智岐美は、古の称にて、麻都岐美なるを、音便に然か云うなり。まえつぎみと云う事、書紀の景行の巻の歌に見えたり。さて和名抄には、右のごとく万宇智岐美と有るを、北山抄・江次第などに、末布知君・万不地起牟多地など書かれたるは、布不は仮字たがいたり。すべて音便に宇と唱うるは、みな宇の仮字なりと心得べし。大納言・中納言・参議・少納言、みな漢字を以てつけられたる官にて訓は字につきてもうけたるなり。弁は於保止毛比、これは上つ代よりの官名と聞こえたり。意はいかなるにか、いまだ考え得ず字もいかなる意をもてあてられたるにか、さだかならず。西宮記・北山抄・小右記などに、大輌火之官と書かれたるは借り字なり。外記・内記・大史・少史・史生・官掌など、皆漢ざまなり。もろもろのつかさの長官を、美加と云うは古なり。次官を須気と云うも古きか、判官を万豆利古止比止と云うは、もうけたる訓なり。佐官は訓見えず。

現代語訳

中頃の書物に「おおきおおいもうちぎみ」、または「おおきおとど」などと言っているのは、右の訓があまりに長いので「政」の字を除いた訓である。また左右大臣を「おおいまちぎみ」とあるのも、官名に合わせて設けられた訓である。ただし「まつぎみ」「まうちぎみ」は古の称で、「まつきみ」であるのを音便でそう言うのである。「まえつぎみ」ということは、日本書紀の景行天皇の巻の歌に見えている。さて和名抄には右のように「まうちぎみ」とあるのを、北山抄や江家次第などに「まふちきみ」「まふちきむたち」などと書かれているのは、「ふ」の仮名が間違っている。すべて音便で「う」と唱えるのは、みな「う」の仮名であると心得るべきである。大納言・中納言・参議・少納言は、みな漢字によって付けられた官であって、訓は字に合わせて設けたものである。弁は「おおともい」で、これは上代からの官名と聞こえる。意味はどういうことか、まだ考え得ておらず、字もどういう意味で当てられたのか、はっきりしない。西宮記・北山抄・小右記などに「大輌火之官」と書かれているのは借り字である。外記・内記・大史・少史・史生・官掌などは、みな漢風である。諸官司の長官を「かみ」と言うのは古い。次官を「すけ」と言うのも古いか。判官を「まつりごとびと」と言うのは設けた訓である。佐官は訓が見えない。

解説

官名の考証の続きで、読み方の仮名遣いまで吟味した段である。大臣を「まうちぎみ」と言うのは「まえつぎみ」が音便で崩れた形であり、北山抄などが「まふちきみ」と「ふ」で書くのは誤りで、音便で「う」と唱えるものはみな「う」の仮名で書くべきだ、と宣長は言う。仮名遣いの研究が、官職名の表記の正誤にまで及んでいるのである。大納言・参議などは漢字の官名に後から訓をつけたもの、弁の「おおともい」は上代からの名らしいが意味は分からない、と正直に書く。長官の「かみ」や次官の「すけ」は古い言葉だという。いまも役所で使う「かみ」「すけ」の呼び名に、律令以前の和語が生きている。分からないことは分からないと記す姿勢も一貫している。

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