玉勝間 / 九の巻 道のひめこと
いづれの道にも、その大事とて、世に廣く漏らさず、秘めかくす事多し。まことに其道大事ならば、殊に世に廣くこそせまほしけれ。あまりに重くして、たやすく傳へざれば、せばくなりて、絕やすきわざぞかし。そも漫りに廣くしぬれば、其道輕輕しくなる事と云ふなるも、一わたりは、ことわり有るやうなれども、たとひ輕輕しくなるかたは有りとても、猶世に廣まるこそは善けれ。廣ければ、おのづから重きかたは有るぞかし。いかに重重しければとても、せばくかすかならむは、善き事にあらず。まして絕もせむには何の云ふかひか有らむ。されど近き世に、道道に秘傳口決など云ふなるすぢ、多くは、道を重くすと云ふは、唯だ名のみにて、まことは、人に知らさずて、おのれひとりの物にして、世にほこらむとする、わたくしのきたなき心、又それよりも勝りて、きたなき心なるぞ多かる。さるたぐひも、もろもろのはかなき伎藝の道などは、とてもかくても有りぬべけれど、うるはしくはかばかしき道には、さること有べくもあらず。
新字:いづれの道にも、その大事とて、世に広く漏らさず、秘めかくす事多し。まことに其道大事ならば、殊に世に広くこそせまほしけれ。あまりに重くして、たやすく伝へざれば、せばくなりて、絶やすきわざぞかし。そも漫りに広くしぬれば、其道軽軽しくなる事と云ふなるも、一わたりは、ことわり有るやうなれども、たとひ軽軽しくなるかたは有りとても、猶世に広まるこそは善けれ。広ければ、おのづから重きかたは有るぞかし。いかに重重しければとても、せばくかすかならむは、善き事にあらず。まして絶もせむには何の云ふかひか有らむ。されど近き世に、道道に秘伝口決など云ふなるすぢ、多くは、道を重くすと云ふは、唯だ名のみにて、まことは、人に知らさずて、おのれひとりの物にして、世にほこらむとする、わたくしのきたなき心、又それよりも勝りて、きたなき心なるぞ多かる。さるたぐひも、もろもろのはかなき伎芸の道などは、とてもかくても有りぬべけれど、うるはしくはかばかしき道には、さること有べくもあらず。
書き下し
いずれの道にも、その大事とて、世に広く漏らさず、秘めかくす事多し。まことにその道大事ならば、殊に世に広くこそせまほしけれ。あまりに重くして、たやすく伝えざれば、せばくなりて、絶えやすきわざぞかし。そも漫りに広くしぬれば、その道軽々しくなる事と云うなるも、一わたりは、ことわり有るようなれども、たとい軽々しくなるかたは有りとても、なお世に広まるこそは善けれ。広ければ、おのずから重きかたは有るぞかし。いかに重々しければとても、せばくかすかならむは、善き事にあらず。まして絶えもせむには何の云うかいか有らむ。されど近き世に、道々に秘伝口決など云うなるすじ、多くは、道を重くすと云うは、ただ名のみにて、まことは、人に知らさずて、おのれひとりの物にして、世にほこらむとする、わたくしのきたなき心、又それよりも勝りて、きたなき心なるぞ多かる。さるたぐいも、もろもろのはかなき伎芸の道などは、とてもかくても有りぬべけれど、うるわしくはかばかしき道には、さること有るべくもあらず。
現代語訳
どの道にも、その大事だといって世に広く漏らさず、秘め隠すことが多い。本当にその道が大事であるならば、なおさら世に広めたいものだ。あまりに重んじて容易に伝えないと、狭くなって絶えやすいものである。そもそもむやみに広めてしまうと、その道が軽々しくなると言うのも、ひととおりは道理があるようだが、たとえ軽々しくなる面はあっても、やはり世に広まることこそよい。広ければ、おのずから重んじられる面もあるものだ。どんなに重々しくても、狭くかすかであるのは、よいことではない。まして絶えてしまえば、何の言いがいがあろうか。けれども近頃、さまざまな道で秘伝・口伝などと言う類いは、多くは、道を重んじるというのは名ばかりで、本当は人に知らせずに自分ひとりのものにして世に誇ろうとする私の汚い心、またそれにも勝る汚い心であるものが多い。そういう類いも、さまざまなとるに足らない技芸の道などは、どうであってもよいだろうが、正しくしっかりした道には、そんなことはあってはならない。
解説
関連する章句
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『玉勝間』七の巻 おのれとり分て人につたふべきふし無き事おのれは、道の事も歌の事も、あがたいのうしの教えのおもむきによりて、ただ古の書どもを、考えさとれるのおのれは、考えさとれるのみこそ有れ、その家の伝えごととては、うけ伝えたる事更に無ければ、家々のひめことなど云うかぎりは、いかなる物にか、一つだに知れる事無し。されば又、人にとりわきて殊に伝うべきふしも無し。総て善き事は、いかにもいかにも、世に弘くせまほしく思えば、古の書どもを考えて、さとり得たりと思うかぎりは、みな書に書きあらわして、露も残しこめたる事は無きぞかし。おのずからも、おのれに従いて、物まなばむと思わむ人有らば、ただあらわせる書どもを、よく見て有りぬべし。そをはなちて外には、更に教うべきふしは無きぞとよ。
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『玉勝間』二の巻 わがをしへ子にいましめおくやう吾に従いて物まなばむともがらも、わが後に、また善き考えのいできたらむには、必ずわが説にななづみそ。わが悪しき故を云いて、善き考えをひろめよ。すべておのが人を教うるは、道を明らかにせむとなれば、かにもかくにも、道をあきらかにせむぞ、吾を用うるには有りける。道を思わで、いたずらにわれを尊まんは、わが心にあらざるぞかし。
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『玉勝間』七の巻 道を説く事はあだし道道の意にも世の人のとりとらざるにもかかはるまじき事道を説かむに儒にまれ、老にまれ、仏にまれ、稀れ稀れに心ばえの通える所の有るを捉えて、おのが心のひくかたにまかせて、通わぬ所をも、すべてその筋に引きよせて説きなし、或いはまた他道と同じからん事を、いといさけて、殊更にけじめを見せ、さまを変えて説かむとする、これら皆いとあじきなくしいたるわざなり似ざらむも似たらむも、異ならむも同じからむも、とにかくに異道の意には、いささかもかかわるべきわざにあらず。またかく説きたらむには、世にうけひかじ、かく云いてこそ、人は信ぜめなど、世の人の心をとりて、いささかも説き曲げむ事は、またいと有るまじく、心ぎたなきわざなり。すべて世の人の褒め謗りをも、思うべきにはあらず。たとい、あだし道々とは、うらうえのたがいあり、世にも絶えて信ずる人無からむにても、ただ神の御ふみの趣のままにこそは、説くべきわざなりけれ。
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『玉勝間』二の巻 師の説になづまざる事またおのが師などの悪ろき事を云いあらわすは、いともかしこくはあれど、それも云わざれば、世の学者その説にまどいて、長く善きを知るご無し。師の説なりとして、悪ろきを知りながら、云わずつつみかくして、よさまにつくろいおらんは、ただ師をのみたっとみて、道をば思わざるなり。宣長は、道を尊み古を思いて、ひたぶるに道の明らかならん事を思い、古の意の明らかならん事をむねと思うが故に、わたくしに師をたっとむことわりの欠けむ事をば、えしもかえり見ざる事あるを、猶悪ろしと、そしらむ人はそしりてよ、そはせんかた無し。われは人にそしられじ、善き人に成らむとて、道をまげ、古の意をまげて、さてあるわざはえせずなん。これすなわちわが師の心なれば、かえりては師をたっとむにも有るべくや。そはいかにも有れ。
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『玉勝間』二の巻 道をおこなふさだ道をおこなう事は、君とある人のつとめなり、物まなぶ者のわざには有らず。もの学ぶ者は、道を考え尋ぬるぞつとめなりける。吾は斯くの如く思いとれる故に、みずから道をおこなわむとはせず、道を考え尋ぬる事をぞつとむる。そもそも道は、君の行い給いて、天の下に敷きほどこらし給うわざにこそ有れ。今のおこない道にかなわざらむからに、下なる者の、改め行わむは、わたくし事にして、なかなかに道の心にあらず。下なる者はただ、善くも有れ悪しくも有れ、上の御おもむけに従いおる物にこそあれ。古の道を考え得たらんからに、私に定めて行うべきものには有らずなむ。
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『玉勝間』一の巻 あらたなる説を出す事ちかき世、学問の道ひらけて、大かた万のとりまかない、さとくかしこくなりぬるから、とりどりにあらたなる説を出す人おおく、その説よろしければ、世にもてはやさるるによりて、なべての学者、いまだよくもととのわぬ程より、我れおとらじと、世にことなるめづらしき説を出して、人の耳をおどろかす事、今の世のならいなり。その中には、ずいぶんによろしきことも、まれには出でくめれど、大かたいまだしき学者の、心はやりて云い出ずる事は、ただ人にまさらむ勝たむの心にて、かろがろしく、まえしりえをもよくも考え合わさず、思い依れるままにうち出ずる故に、多くはなかなかなるいみしきひが事のみなり。すべて新たなる説を出すは、いと大事なり。いくたびもかえさい思いて、よく確かなるよりどころを捉え、いづくまでも行きとおりて、たがう所無く、動くまじきにあらずは、たやすくは出すまじきわざなり。その時には、うけばりて善しと思うも、ほどへて後に、今一たびよく思えば、なお悪ろかりけりと、我ながらだに思いならるる事の多きぞかし。
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