玉勝間 / 九の巻 周ノ武王死けるとき成王十三歳
から國の周の武王、とし九十三にして、みまかれりし時、其子の成王、いまだ十三なりしとしるせり。然れば成王は、武王が八十一の時の子にぞ有ける。古へ人は、しか健なりしことは、論なけれども、猶いかにぞやおぼゆる事は、此ノ王、はやく子どもはあまた有つれば、子孫絕むのあやぶみも無きに、猶うませたるは、さるいみしき老のよまでも、なほ好色心のやまざりしなりけり。聖人と云ふ者も、さるものにや有けむ。
新字:から国の周の武王、とし九十三にして、みまかれりし時、其子の成王、いまだ十三なりしとしるせり。然れば成王は、武王が八十一の時の子にぞ有ける。古へ人は、しか健なりしことは、論なけれども、猶いかにぞやおぼゆる事は、此ノ王、はやく子どもはあまた有つれば、子孫絶むのあやぶみも無きに、猶うませたるは、さるいみしき老のよまでも、なほ好色心のやまざりしなりけり。聖人と云ふ者も、さるものにや有けむ。
書き下し
から国の周の武王、とし九十三にして、みまかれりし時、その子の成王、いまだ十三なりしとしるせり。然れば成王は、武王が八十一の時の子にぞ有りける。古え人は、しか健やかなりしことは、論なけれども、なおいかにぞやおぼゆる事は、この王、はやく子どもはあまた有りつれば、子孫絶えむのあやぶみも無きに、なおうませたるは、さるいみしき老のよまでも、なお好色心のやまざりしなりけり。聖人と云う者も、さるものにや有りけむ。
現代語訳
唐土の周の武王が九十三歳で亡くなった時、その子の成王はまだ十三歳であったと記している。そうであれば、成王は武王が八十一歳の時の子であった。昔の人がそれほど壮健であったことは論ずるまでもないが、それでもどうかと思われるのは、この王は早くから子どもが大勢いたので、子孫が絶える心配もなかったのに、なお子を産ませたのは、それほどひどく年老いた身になっても、なお色好みの心がやまなかったのである。聖人という者も、そういうものであったのだろうか。
解説
関連する章句
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『玉勝間』九の巻 成湯が誓の言又周の武王もろこしの殷の湯王、夏の桀王をうたむとして、民に誓いたる詞に、予其れ大いに女に賚せん云云、女誓言に従わずんば、予則ち女を孥戮せん、と云えるを見れば、したがわぬ者多かりしを、なつけもおどしもして、しいて己に従がわしめたるものなり。もし実に民の心に、いみしく桀をにくみて、湯を思いたらんには、かかる誓言は、有るべくも覚えず。又周の武王も、まことに国民の苦しみをすくわむために、紂をば討ちたるならば、箕子などを立ててこそ、王にはすべき事なるに、さはせずして、おのれその国をうばいて、王に成れるはいかに。さて箕子には、朝鮮を与えしは、もし後に己が愁をなさむかと、あやぶみて、さるはるかなる国には遠ざけやりしなり。そもそも彼のもろこしなどは、始めより、定まれる主は無くして、君臣の義も立たざる国にして、君をほろぼして、国をうばうも、常なれども、天の与えたるごとくに、巧言いいなして、世の人をあざむきたるが、憎きなり。又さる悪しき人どもを、聖人として、もてはやすが、おかしきなり。
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