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都鄙問答 / 卷之三・性理問答ノ段

曰、其所ハ、師タル人モ、サツパリトハ濟ネドモ、此ハ聖人ノコトニテ、今ノ學者ノ知ルベキ所ニ非ズ、忠恕ノコトナリト云テ、此ウヘノコトハ、決シテ沙汰ナキコトナリ、答、汝ハ今ノ學者ノ可知所ニ非ズト云、聖人ノ敎ハ、古今ニ通ジテ變コトナシ、今ト古トヲ分ルハ、佛氏ノ末世ト云敎ナリ、混雜スベカラズ、扨孔子無適無莫トノ玉ヒ、又顏淵ノ在前忽焉在後トノ玉ヒ、孟子道一而已トノ玉フ、加樣ノ類多シ、汝ハイカヾ心得居ラレ候ヤ、

新字:曰、其所ハ、師タル人モ、サツパリトハ済ネドモ、此ハ聖人ノコトニテ、今ノ学者ノ知ルベキ所ニ非ズ、忠恕ノコトナリト云テ、此ウヘノコトハ、決シテ沙汰ナキコトナリ、答、汝ハ今ノ学者ノ可知所ニ非ズト云、聖人ノ教ハ、古今ニ通ジテ変コトナシ、今ト古トヲ分ルハ、仏氏ノ末世ト云教ナリ、混雑スベカラズ、扨孔子無適無莫トノ玉ヒ、又顔淵ノ在前忽焉在後トノ玉ヒ、孟子道一而已トノ玉フ、加様ノ類多シ、汝ハイカヾ心得居ラレ候ヤ、

書き下し

曰く、其所は、師たる人も、さつぱりとは済ねども、此は聖人のことにて、今の学者の知るべき所に非ず、忠恕のことなりと云て、此うへのことは、決して沙汰なきことなり。答、汝は今の学者の知るべき所に非ずと云。聖人の教は、古今に通じて変ことなし。今と古とを分るは、仏氏の末世と云教なり。混雑すべからず。扨孔子、適も無く莫も無しとの玉ひ、又顔淵の、前に在りと思へば忽焉として後に在りとの玉ひ、孟子、道は一のみとの玉ふ。加様の類多し。汝はいかゞ心得居られ候や。

現代語訳

問う人「そのところは、師である人もすっきりとは分かっていませんが、これは聖人のことで、今の学者が知るべきところではない、忠恕のことだと言って、それより上のことは決して取り沙汰しません。」答え。「あなたは今の学者が知るべきところではないと言います。しかし聖人の教えは、昔も今も変わることがありません。今と昔を分けるのは、仏教の末世という教えです。混同してはいけません。さて、孔子は『こうでなければならぬということも、こうしてはならぬということもない』とおっしゃり、顔淵は『前にあると思えばたちまち後ろにある』と言い、孟子は『道は一つだけだ』とおっしゃいました。このような言葉は多くあります。あなたはどう心得ておられますか。」

解説

聖人の境地は今の学者には分からない、と線を引いて議論を打ち切る態度を、梅岩は、今と昔を分けるのは仏教の末法思想であって儒学ではないと退けます。続けて引く三つの言葉は、『論語』里仁篇の「無適無莫」、子罕篇で顔淵が孔子の道を「之を瞻れば前に在り、忽焉として後に在り」と嘆いた言葉、『孟子』滕文公上篇の「夫れ道は一のみ」です。自分たちには無理だと先に決めてしまう前提こそが、学びを止めている。現場の改善が進まないときにも疑うべき思い込みです。

この章句が説くこと

学問末世顔淵思い込み

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