慎思録 / 巻之一
人生而不學。與不生同。學而不知道。與不學同。知而不能行。與不知同。故爲人者。必不可不學。爲學者。必不可不知道。知道者。必不可不行。知道至難。自古英才敦行之士。不爲不多。然知道者鮮矣。學問思辨之功。所以不可闕也。
新字:人生而不学。与不生同。学而不知道。与不学同。知而不能行。与不知同。故為人者。必不可不学。為学者。必不可不知道。知道者。必不可不行。知道至難。自古英才敦行之士。不為不多。然知道者鮮矣。学問思弁之功。所以不可闕也。
書き下し
人生まれて学ばざれば、生まれざると同じ。学びて道を知らざれば、学ばざると同じ。知りて行ふこと能はざれば、知らざると同じ。故に人為る者は、必ず学ばざるべからず。学を為す者は、必ず道を知らざるべからず。道を知る者は、必ず行はざるべからず。道を知ること至つて難し。古より英才敦行の士、多からずと為さず。然れども道を知る者は鮮し。学問思弁の功、闕くべからざる所以なり。
現代語訳
人として生まれても学ばなければ、生まれなかったのと同じです。学んでも道を知らなければ、学ばなかったのと同じです。知っても行えなければ、知らなかったのと同じです。だから人である以上、必ず学ばなければなりません。学ぶ者は必ず道を知らなければならず、道を知る者は必ず行わなければなりません。道を知るのはきわめて難しいことです。昔から優れた才能をもち行いの篤い人は少なくありませんでしたが、道を知った人はまれです。学び、問い、思い、弁えるという工夫を欠かしてはならない理由がここにあります。
解説
巻頭の一条で、本書全体の骨組みを示しています。学ぶ、道を知る、行うの三段を重ね、どれが欠けても前の段が無に帰すと言い切ります。最後の「学問思弁」は『中庸』の「博く学び、審らかに問ひ、慎んで思ひ、明らかに弁ず」から取った語で、書名の「慎思」もここに由来します。才能や真面目さだけでは道に届かず、考える工夫が要るというのが益軒の見立てです。資格や知識を集めて満足しがちな私たちに、それを使って生き方が変わったかを問いかけてきます。
この章句が説くこと
学問道知行行思
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