礼記 / 文王世子
武王帥而行之,不敢有加焉。文王有疾,武王不說冠帶而養。文王一飯,亦一飯;文王再飯,亦再飯。旬有二日乃間。 文王謂武王曰:「女何夢矣?」武王對曰:「夢帝與我九齡。」文王曰:「女以為何也?」武王曰:「西方有九國焉,君王其終撫諸?」文王曰:「非也。古者謂年齡,齒亦齡也。我百爾九十,吾與爾三焉。」文王九十七乃終,武王九十三而終。
新字:武王帥而行之,不敢有加焉。文王有疾,武王不説冠帯而養。文王一飯,亦一飯;文王再飯,亦再飯。旬有二日乃間。 文王謂武王曰:「女何夢矣?」武王対曰:「夢帝与我九齢。」文王曰:「女以為何也?」武王曰:「西方有九国焉,君王其終撫諸?」文王曰:「非也。古者謂年齢,歯亦齢也。我百爾九十,吾与爾三焉。」文王九十七乃終,武王九十三而終。
書き下し
武王帥(したが)いて之を行い、敢えて加うること有らず。文王疾有れば、武王冠帯を説(と)かずして養う。文王一飯すれば、亦た一飯し、文王再飯すれば、亦た再飯す。旬有二日にして乃ち間(い)ゆ。 文王、武王に謂いて曰く、「女(なんじ)何をか夢みたる」と。武王対えて曰く、「帝の我に九齢を与うるを夢みたり」と。文王曰く、「女以て何と為す」と。武王曰く、「西方に九国有り、君王其れ終に諸を撫せんか」と。文王曰く、「非なり。古者、年を謂いて齢と謂う、歯も亦た齢なり。我は百、爾は九十、吾、爾に三を与えん」と。文王九十七にして乃ち終わり、武王九十三にして終わる。
現代語訳
武王(ぶおう、文王の子)は文王のやり方にならってこれを行い、あえてそれ以上のことを付け加えなかった。文王が病気になると、武王は冠も帯も解かずに看病した。文王が一口食べれば武王も一口食べ、文王が二口食べれば武王も二口食べた。十二日たって、ようやく文王の病は癒えた。 文王が武王に言った。「おまえはどんな夢を見たか。」武王は答えた。「天帝がわたしに九齢を授ける夢を見ました。」文王「おまえはそれをどういう意味だと思うか。」武王「西方に九つの国があります。父上がついにはそれらを治められるということでしょうか。」文王は言った。「そうではない。昔は年のことを齢といった。歯(よわい)もまた齢のことである。わたしは百歳まで、おまえは九十歳まで生きることになっている。わたしの年のうち三年をおまえに与えよう。」文王は九十七歳で亡くなり、武王は九十三歳で亡くなった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
論語・里仁篇子曰く、三年父の道を改むること無きは、孝と謂う可し。
-
尚書・君陳王若(かく)のごとく曰く、「君陳よ、惟れ爾令徳にして孝恭なり。惟れ孝にして、兄弟に友に、克く有政に施す。汝に命じて茲の東郊を尹(をさ)めしむ、敬せよや。昔周公万民を師保し、民其の徳を懐く。往きて乃の司を慎み、茲に厥の常に率へ。懋めて周公の訓を昭らかにせば、惟れ民其れ乂まらん。我聞く、曰く、
-
論語・学而篇子曰く、「父在せば其の志を観、父没すれば其の行いを観る。三年父の道を改むること無くんば、孝と謂う可し。」
-
詩経・大雅・文王之什・下武下武(かぶ)は、文を継ぐなり。武王聖徳有り、復た天命を受け、能く先人の功を昭らかにす。 武を下(つ)ぐは維(こ)れ周、世々哲王有り。三后(さんこう)天に在り、王京に配す。 王京に配す、世徳作(ここ)に求む。永く言(ここ)に命に配し、王の孚(まこと)を成す。 王の孚を成し、下土の式(のり)となる。永く言に孝思し、孝思維れ則(のり)となる。 茲(こ)の一人に媚(あい)し、侯(こ)れ順徳に応ず。永く言に孝思し、昭らかなるかな服を嗣ぐ。 茲の来許(らいきょ)を昭らかにし、其の祖武(そぶ)を縄(つ)ぐ。于(ああ)万斯年、天の祜(さいわい)を受く。 天の祜を受け、四方来たり賀す。于万斯年、遐(なん)ぞ佐(たす)け有らざらん。
-
言志四録・言志晩録 第二百五十四条 孫謀は祖を念ふに如くは莫し後図は宜しく先を奉ずるに在るべし。孫謀は祖を念ふに如くは莫し。
-
『酔古堂剣掃』集奇・佳子弟に非ず一石一樹を以て人に與ふる者は、佳子弟に非ず。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る