導師導古典を学びたいすべての人に

玉勝間 / 九の巻 もろこしの古、人時世のあはざるがある事

もろこし國も、夏殷よりあなたの世の事は、何事も、さだかには傳はらざりしとおぼしくて、もろもろの書どもにしるせる、一トやうならず、さまざまにて、時代のたがひて、あはざる事なども多し。一ッ二ッ云はば、禹は顓頊が孫、舜は顓頊が七世の孫なりと云へるに、同じ時にて、位を讓りたりしは如何に。又伊尹は、成湯が時の人なるに、其子の伊陟と云ひしは、湯が五世の孫の、太戊と云ひし王の相なり。その五世の間の年、いと久しきを、いかで存らへゐけん。また周の先祖の后稷は、堯舜が時の人と云へるに、文王は、后稷が十四世の孫なり。其間の年の數、千餘年なるを、十四五世にては、いかで續きたりけん。かの國のそのかみの人といへども、さばかりみな命長かりしとは聞えぬものをや。これら昔の人も、早くいぶかしき事に云へりきかし。

新字:もろこし国も、夏殷よりあなたの世の事は、何事も、さだかには伝はらざりしとおぼしくて、もろもろの書どもにしるせる、一トやうならず、さまざまにて、時代のたがひて、あはざる事なども多し。一ッ二ッ云はば、禹は顓頊が孫、舜は顓頊が七世の孫なりと云へるに、同じ時にて、位を譲りたりしは如何に。又伊尹は、成湯が時の人なるに、其子の伊陟と云ひしは、湯が五世の孫の、太戊と云ひし王の相なり。その五世の間の年、いと久しきを、いかで存らへゐけん。また周の先祖の后稷は、堯舜が時の人と云へるに、文王は、后稷が十四世の孫なり。其間の年の数、千余年なるを、十四五世にては、いかで続きたりけん。かの国のそのかみの人といへども、さばかりみな命長かりしとは聞えぬものをや。これら昔の人も、早くいぶかしき事に云へりきかし。

書き下し

もろこし国も、夏殷よりあなたの世の事は、何事も、さだかには伝わらざりしとおぼしくて、もろもろの書どもにしるせる、一ようならず、さまざまにて、時代のたがいて、あわざる事なども多し。一つ二つ云わば、禹は顓頊が孫、舜は顓頊が七世の孫なりと云えるに、同じ時にて、位を譲りたりしはいかに。又伊尹は、成湯が時の人なるに、その子の伊陟と云いしは、湯が五世の孫の、太戊と云いし王の相なり。その五世の間の年、いと久しきを、いかで存らえいけん。また周の先祖の后稷は、堯舜が時の人と云えるに、文王は、后稷が十四世の孫なり。その間の年の数、千余年なるを、十四五世にては、いかで続きたりけん。かの国のそのかみの人といえども、さばかりみな命長かりしとは聞こえぬものをや。これら昔の人も、早くいぶかしき事に云えりきかし。

現代語訳

唐土の国も、夏・殷より前の時代のことは、何事もはっきりとは伝わらなかったと思われて、さまざまな書物に記していることが一様でなく、まちまちで、時代が食い違って合わないことなども多い。一つ二つ言えば、禹は顓頊の孫、舜は顓頊の七世の孫だと言っているのに、同じ時代にいて位を譲ったのはどういうことか。また伊尹は成湯(殷の湯王)の時代の人なのに、その子の伊陟という人は、湯の五世の孫の太戊という王の宰相である。その五世の間の年月はたいそう長いのに、どうして生きながらえていたのだろうか。また周の先祖の后稷は堯・舜の時代の人だと言うのに、文王は后稷の十四世の孫である。その間の年数は千余年であるのに、十四、五世でどうして続いたのだろうか。あの国の昔の人といっても、それほどみな長生きだったとは聞かないものを。これらのことは、昔の人も早くから不審なこととして言っていた。

解説

中国の古代の系譜に、年代の辻褄が合わない所が多いことを指摘した段である。禹と舜は同時代に位を譲り合ったとされるのに、系譜の上では世代が大きく離れている。伊尹の子が五代後の王の宰相を務め、后稷から文王まで千年余りが十四代で続く。宣長は一つずつ計算して、そのありえなさを示す。儒者は中国の古代を聖人の治めた確かな歴史として仰いでいたが、宣長はその記録自体が曖昧だと突く。同じ目は日本の古伝にも向けられうるが、宣長は古事記の神代の伝えを人の作為の加わらない古伝として信じる立場をとった。漢籍の権威を相対化するための考証として読むと、この段の狙いが見えてくる。

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る