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玉勝間 / 八の巻 周公旦がくひたる飯を吐出して賢人に逢たりと云へる事

又きけば、周公旦と云ひける聖人の、子を戒めたる詞に、我一沐三握髮、一飯三吐哺、起以待士、猶恐失天下之賢人と云へり。もしまことに然したりけむには、是れも世の人にいみしき事に思はせむための、はかりことなり。いかに賢人を思へばとて、口に入たらむ飯を、呑いるるまを、待たぬやうやは有べき。出迎へむ道の程にても、呑みいれむ事は、いと易かるべきを、ことさらに吐出して、人に見せたるは、何事ぞや。すべてかの國には、かくさまに、甚しくけやけき振舞ひをしたる類ひの、何事につけても多きは、みな名をむさぼりたる物にして、例のいとうるさきならひなり。

新字:又きけば、周公旦と云ひける聖人の、子を戒めたる詞に、我一沐三握髪、一飯三吐哺、起以待士、猶恐失天下之賢人と云へり。もしまことに然したりけむには、是れも世の人にいみしき事に思はせむための、はかりことなり。いかに賢人を思へばとて、口に入たらむ飯を、呑いるるまを、待たぬやうやは有べき。出迎へむ道の程にても、呑みいれむ事は、いと易かるべきを、ことさらに吐出して、人に見せたるは、何事ぞや。すべてかの国には、かくさまに、甚しくけやけき振舞ひをしたる類ひの、何事につけても多きは、みな名をむさぼりたる物にして、例のいとうるさきならひなり。

書き下し

又きけば、周公旦と云いける聖人の、子を戒めたる詞に、我一たび沐して三たび髪を握り、一たび飯して三たび哺を吐き、起ちて以て士を待つ、猶天下の賢人を失わんことを恐る、と云えり。もしまことに然したりけむには、是れも世の人にいみじき事に思わせむための、はかりことなり。いかに賢人を思えばとて、口に入たらむ飯を、呑いるるまを、待たぬようやは有べき。出迎えむ道の程にても、呑みいれむ事は、いと易かるべきを、ことさらに吐出して、人に見せたるは、何事ぞや。すべてかの国には、かくさまに、甚しくけやけき振舞いをしたる類いの、何事につけても多きは、みな名をむさぼりたる物にして、例のいとうるさきならいなり。

現代語訳

また聞くと、周公旦という聖人が子を戒めた言葉に、「私は一度髪を洗う間に三度髪を握って(中断し)、一度食事をする間に三度口の中の食べ物を吐き出して、立ち上がって士を迎えた。それでもなお天下の賢人を取り逃がすことを恐れた」と言っている。もし本当にそうしたのなら、これも世の人にすばらしいことと思わせるための策略である。いかに賢人を大切に思うからといって、口に入れた飯を飲み込む間を待たないということがあろうか。出迎える道の途中でも、飲み込むことはたいへんたやすいはずなのに、ことさらに吐き出して人に見せたのは何事か。すべてあの国には、このように極端に目立つ振る舞いをした類のことが何につけても多いのは、みな名声をむさぼったものであって、例のまことにうっとうしい習いである。

解説

前の丙吉に続き、「一沐三握髪、一飯三吐哺」の故事を取り上げた段である。周公旦は周の武王の弟で、幼い成王を助けて周の礼楽制度を整えたとされ、孔子が夢に見るほど慕った聖人である。この言葉は、子の伯禽を魯に封じる際の戒めとして史記などに伝わり、賢人を求める熱意の象徴として「吐哺握髪」の成語にもなった。宣長は、飯を飲み込む一瞬を待てないはずがなく、わざわざ吐き出して見せたのなら名声を求めた演出だと切り捨てる。聖人の美談を、ごく当たり前の身体の感覚から疑うところに宣長の批判の鋭さがある。宣長は中国の聖人を、人心をつかむために巧みに振る舞った者と見ており、その見方がここにも表れている。儒者から見れば偏った見方ともいえるが、誇張された美談をうのみにせず人の自然な振る舞いに照らして考える姿勢は、今の読み手にも示唆に富む。

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