玉勝間 / 九の巻 紫の名高ノ浦
名高の浦は、名草ノ郡にて、今はそのわたり、海士ノ郡に入れり。今も名高とも、名方とも云ふ里にて、藤白のすこし北の方なり。ある時若山にて、人人物語しけるついでに、一人が云ふやう。名高の里中に、むらさき川と云ふちひさき川の有るなりと云ふ。そはいとおかしき事なるを、もし萬葉の歌によりて、事好む者の、つけたる名には有らじか、猶たしかに問ひきかまほしき事なりと、おのれ云ひければ、又一人、おのれかのあたりは、しばしば行き通ふ所なれば、今よくあない問ひ聞きてんと云へるが、後に又來たりしをり、語りけるは、一日名高のわたり物せしに、かの川の事、里のわらはべの遊びゐたりしに、此里に、むらさき川と云ふ川や有ると問ひしかば、よく知りゐて、ちひさき流れに、橋かけたる所を、これなんそれと、敎へつ、とぞ語りける。然かわらはべまでよく知れるは、つくり言にはあらざンめるを、もしこれ古き名ならば、かの萬葉に、むらさきの名高と續けたるは、古へ此わたりを、村崎など云ひて、そこなる名高の浦と云へるには有らじか。されどかの川の事、猶人づてなれば、たしかには云ひがたきを、かしこに物せむ人、猶よくたづね給へ。
新字:名高の浦は、名草ノ郡にて、今はそのわたり、海士ノ郡に入れり。今も名高とも、名方とも云ふ里にて、藤白のすこし北の方なり。ある時若山にて、人人物語しけるついでに、一人が云ふやう。名高の里中に、むらさき川と云ふちひさき川の有るなりと云ふ。そはいとおかしき事なるを、もし万葉の歌によりて、事好む者の、つけたる名には有らじか、猶たしかに問ひきかまほしき事なりと、おのれ云ひければ、又一人、おのれかのあたりは、しばしば行き通ふ所なれば、今よくあない問ひ聞きてんと云へるが、後に又来たりしをり、語りけるは、一日名高のわたり物せしに、かの川の事、里のわらはべの遊びゐたりしに、此里に、むらさき川と云ふ川や有ると問ひしかば、よく知りゐて、ちひさき流れに、橋かけたる所を、これなんそれと、教へつ、とぞ語りける。然かわらはべまでよく知れるは、つくり言にはあらざンめるを、もしこれ古き名ならば、かの万葉に、むらさきの名高と続けたるは、古へ此わたりを、村崎など云ひて、そこなる名高の浦と云へるには有らじか。されどかの川の事、猶人づてなれば、たしかには云ひがたきを、かしこに物せむ人、猶よくたづね給へ。
書き下し
名高の浦は、名草の郡にて、今はそのわたり、海士の郡に入れり。今も名高とも、名方とも云う里にて、藤白のすこし北の方なり。ある時若山にて、人々物語しけるついでに、一人が云うよう。名高の里中に、むらさき川と云うちいさき川の有るなりと云う。そはいとおかしき事なるを、もし万葉の歌によりて、事好む者の、つけたる名には有らじか、なおたしかに問いきかまほしき事なりと、おのれ云いければ、又一人、おのれかのあたりは、しばしば行き通う所なれば、今よくあない問い聞きてんと云えるが、後に又来たりしおり、語りけるは、一日名高のわたり物せしに、かの川の事、里のわらわべの遊びいたりしに、この里に、むらさき川と云う川や有ると問いしかば、よく知りいて、ちいさき流れに、橋かけたる所を、これなんそれと、教えつ、とぞ語りける。しかわらわべまでよく知れるは、つくり言にはあらざんめるを、もしこれ古き名ならば、かの万葉に、むらさきの名高と続けたるは、古えこのわたりを、村崎など云いて、そこなる名高の浦と云えるには有らじか。されどかの川の事、なお人づてなれば、たしかには云いがたきを、かしこに物せむ人、なおよくたずね給え。
現代語訳
名高の浦は名草郡にあって、今はそのあたりは海士郡に入っている。今も名高とも名方とも言う里で、藤白の少し北の方である。ある時、若山(和歌山)で人々が話をしていたついでに、一人が言うには、名高の里の中に「むらさき川」という小さな川があるのだ、と言う。それはたいそう興味深いことだが、もしや『万葉集』の歌によって、物好きな者が付けた名ではあるまいか、なお確かに問い聞きたいことだ、と私が言ったところ、また一人が、私はあのあたりにはたびたび行き来する所なので、今度よく様子を問い聞いてこよう、と言った。その人が後にまた来た折に語ったことには、先日名高のあたりに出かけた時、あの川のことを、里の子どもたちが遊んでいたので、この里にむらさき川という川はあるかと尋ねたところ、よく知っていて、小さな流れに橋を架けた所を、これがそれだと教えてくれた、と語った。そのように子どもまでよく知っているのは、作り話ではないようだが、もしこれが古い名であるならば、あの『万葉集』に「むらさきの名高」と続けているのは、昔このあたりを村崎などと言って、そこにある名高の浦と言ったのではあるまいか。けれどもあの川のことは、なお人づてなので、確かには言いがたい。あちらへ行く人は、なおよく尋ねてみてほしい。
解説
関連する章句
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『玉勝間』二の巻 水無瀨川そは類聚国史に、延暦弘仁の頃、天皇水成野に遊猟有りし事、たびたび見えて、水成村ともあり、すなわち今の水無瀬なり。然ればこの地の名によりて、後にかの川の名にも成れるなりけり。さて水成と書けるは、みなしとよむべきなり。万葉に水無川と書けるも、然よむべし。成無などは、なせとは読みがたければなり。されどかの地の名も、また川に云えるもともに、古よりみなしとも、みなせとも、通わし云えりと聞こえたり。
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『玉勝間』二の巻 水無瀨川古にみなせ川と云いしは、一つの川の名には有らず、いずれにまれ、水の無き川と云う事にて、あるは砂の下を水はとおりて、うわべに水無き川をも云えり。万葉四に、「恋にもぞ人は死にする水瀬川下ゆわれ痩す月に日に気に、十一に、「こちたくは中はよどませ水無河たゆとうことをありこすなゆめ。また「うらぶれてものは思わじ水無瀬川有りても水はゆくちう物を。古今集恋二に「ことに出でて云わぬばかりぞみなせ川下に通いて恋しき物を。恋五に、「逢い見ねば恋こそまされ水無瀬河なににふかめて思いそめけむ。また「みなせ川有りてゆく水なくはこそつひに我身をたえぬと思わめなどある、皆その意なり。また万葉十に、「久かたの天のしるしと水無河へだてておきし神代し恨めし。これは天の川を云えるにて、まさしく水の無きよしなり。然るに右の歌どもを皆、かの山崎のあなたなる水無瀬川と心得たるは、ひが事なり。山ざきのあなたなるは、古は山崎川とも、立田川とも云えりしこと、上の件に云えるが如くにて、みなせ河と云うは、古今集などの頃よりは後の名なり。
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『玉勝間』九の巻 紀の国の名どころども上の件磯間の浦よりこなたは、皆むろの郡なり。そもそもこの紀の国は、古き名どころども多くして、万葉集にも、殊に多く見えたるを、世の人は、いずれの郡にありとだに、え知らぬ所々の多かるを、この国にては、かくれ無くて、皆人よく知れるなど、又さらぬも、書どもには、皆記るしたるが、見過しがたくて、その大かたを写し置きつる中に、確かならぬさまに聞こゆるをば、皆漏らして、さも有りぬべく覚ゆるかぎりを、それかれとえりいでて、記るせる程に、この巻は、すずろに紀の国の名所集のようにぞ成りぬる。なお式にのれる神社どもの御事をも、ことごとく記るしたるも有るを、そは又別にも記るしてむと思えば、ここにはみな漏らしつ。
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『玉勝間』一の巻 立田川たとい歌はひが心得して詠む事も有りとも、さる詞書までを作るべき物かは。そもそも大和の立田は、万葉集の歌に、十四五首も見えたれど、いづれもいづれも山をのみ詠みて、川を詠めるは一つも見えず。その外の古書にも、立田は山とのみこそ有れ、川はあること無し。立田川と詠めるは、みな今の京になりての歌にて、右に云う山崎のあなたなるなり。「もみじみだれて流るめり、の歌は、もしまことに奈良の帝の御(歌脱か)ならば、平城天皇なるべし。また「もみじ葉ながる神なびの、と云う歌は、飛鳥川と有るかた正しくて、大和なるべし。かの山崎のあなたなるは神なびとは云えど、みむろの山とは云うまじければなり。然るに拾遺集物の名の歌に、「神なびのみむろのきしやくづるらん立田の川の水のにごれる、と有るは、早くかの古今集の歌どもによりて、大和のとまぎれて、斯くは詠み合わせたんめり。その後々の歌どもはさらなり。
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『玉勝間』六の巻 夢のうき橋然れば紫式部は、名所なる事を知らずして、かの歌なるをも、夢の事と思い誤れるにやあらん。このもの語に、夢の事として、巻の名につけたるより後は、ひたすら夢の事となれり。狭衣の歌にも、「はかなしや夢のわたりの浮はしをたのむ心の絶えもはてぬよ。
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『玉勝間』六の巻 古き名どころを尋ぬる事かくて神の社にまれ、御陵にまれ、歌枕にまれ、何にまれ、遥かなる古えのを、中頃とめ失いたるを、今の世にして、尋ね定めむことは、大かたたやすからぬわざになむ有りける。そのゆえを云わむには、まずこの古き所を尋ぬるわざは、ただに古の書どもを考えたるのみにては、知りがたし。いかに委しく考えたるも、書もて考え定めたる事は、その所にいたりて見聞けば、いたく違う事の多き物なり。よそながらは、定かならぬ所も、その国にては、さすがに書も伝え、語りも伝えて、まがい無き事も有り。さればみずからその地にいたりて、見もし、そこの事よく知れる人に、問い聞きなどもせでは、事たらわず。またただ一たび物して、見聞きたるのみにても、なおたらわず。行きて見聞きて立ちかえりて、またふみどもと考え合わせて、またまたも行きて、よく見聞きたるうえならでは、定めがたかるべし。さてまたそのところの人に逢いて、問い聞くにも、心得べき事くさぐさ有り。古えの事を、あまりたしかに知りがおに語るは、多くは、書のかたはしを、なまなまに考えなどしたるものの、己がさかしらもて、定め云うが多ければ、そはいと頼みがたく、中中の物そこないなり。
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