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玉勝間 / 一の巻 立田川

たとひ歌はひが心得して詠む事も有りとも、さる詞書までを作るべき物かは。そもそも大和の立田は、萬葉集の歌に、十四五首も見えたれど、いづれもいづれも山をのみ詠みて、川を詠めるは一ッも見えず。その外の古書にも、立田は山とのみこそ有れ、川はあること無し。立田川と詠めるは、みな今の京になりての歌にて、右に云ふ山崎のあなたなるなり。「もみぢみだれて流るめり、の歌は、もしまことに奈良の帝の御(○歌脫カ)ならば、平城天皇なるべし。又「もみぢ葉ながる神なびの、と云ふ歌は、飛鳥川と有るかた正しくて、大和なるべし。かの山崎のあなたなるは神なびとは云へど、みむろの山とは云ふまじければなり。然るに拾遺集物ノ名の歌に、「神なびのみむろのきしやくづるらん立田の川の水のにごれる、と有るは、早くかの古今集の歌どもによりて、大和のとまぎれて、斯くは詠み合せたンめり。其後後の歌どもはさらなり。

新字:たとひ歌はひが心得して詠む事も有りとも、さる詞書までを作るべき物かは。そもそも大和の立田は、万葉集の歌に、十四五首も見えたれど、いづれもいづれも山をのみ詠みて、川を詠めるは一ッも見えず。その外の古書にも、立田は山とのみこそ有れ、川はあること無し。立田川と詠めるは、みな今の京になりての歌にて、右に云ふ山崎のあなたなるなり。「もみぢみだれて流るめり、の歌は、もしまことに奈良の帝の御(○歌脱カ)ならば、平城天皇なるべし。又「もみぢ葉ながる神なびの、と云ふ歌は、飛鳥川と有るかた正しくて、大和なるべし。かの山崎のあなたなるは神なびとは云へど、みむろの山とは云ふまじければなり。然るに拾遺集物ノ名の歌に、「神なびのみむろのきしやくづるらん立田の川の水のにごれる、と有るは、早くかの古今集の歌どもによりて、大和のとまぎれて、斯くは詠み合せたンめり。其後後の歌どもはさらなり。

書き下し

たとい歌はひが心得して詠む事も有りとも、さる詞書までを作るべき物かは。そもそも大和の立田は、万葉集の歌に、十四五首も見えたれど、いづれもいづれも山をのみ詠みて、川を詠めるは一つも見えず。その外の古書にも、立田は山とのみこそ有れ、川はあること無し。立田川と詠めるは、みな今の京になりての歌にて、右に云う山崎のあなたなるなり。「もみじみだれて流るめり、の歌は、もしまことに奈良の帝の御(歌脱か)ならば、平城天皇なるべし。また「もみじ葉ながる神なびの、と云う歌は、飛鳥川と有るかた正しくて、大和なるべし。かの山崎のあなたなるは神なびとは云えど、みむろの山とは云うまじければなり。然るに拾遺集物の名の歌に、「神なびのみむろのきしやくづるらん立田の川の水のにごれる、と有るは、早くかの古今集の歌どもによりて、大和のとまぎれて、斯くは詠み合わせたんめり。その後々の歌どもはさらなり。

現代語訳

たとえ歌は思い違いをして詠むことがあるとしても、そんな詞書まで作るものだろうか。そもそも大和の竜田は、万葉集の歌に十四、五首も見えるが、どれもこれも山ばかりを詠んで、川を詠んだものは一つも見えない。そのほかの古い書物にも、竜田は山としてばかりあって、川はない。竜田川と詠んだのは、みな今の京(平安京)になってからの歌で、右に言う山崎の向こうの川なのである。「紅葉乱れて流るめり」の歌は、もし本当に奈良の帝の御歌であるなら、平城天皇であろう。また「紅葉葉流る神なびの」という歌は、(左注に)飛鳥川とある方が正しくて、大和の歌であろう。あの山崎の向こうのものは、神なびとは言っても、みむろの山とは言わないはずだからである。ところが拾遺集の物名の歌に「神なびのみむろの岸が崩れたのだろうか、竜田の川の水が濁っているのは」とあるのは、早くもあの古今集の歌々によって大和のものと紛れて、このように詠み合わせたのであろう。その後々の歌については言うまでもない。

解説

竜田川の考証の続きである。宣長は、万葉集には大和の竜田を詠んだ歌が十四、五首あるのに、すべて竜田山で、竜田川は一首もないという事実を挙げる。竜田川が歌に現れるのは平安京以後で、それは山崎の向こうの川だ、というのが結論である。さらに古今集の類歌を一つずつ吟味し、飛鳥川の異伝がある歌は大和、奈良の帝の歌とされるものは平城天皇と振り分ける。拾遺集で早くも大和の竜田と混ざり、以後の歌はみなその混同の上に詠まれた、と誤りの広がり方まで示す。用例を数えて傾向をつかむという方法は、今でいう資料の悉皆調査にあたる。名歌の舞台という常識も、数えてみれば揺らぐのである。

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