玉勝間 / 二の巻 水無瀨川
古へにみなせ川と云ひしは、一つの川の名には有らず、いづれにまれ、水の無き川と云ふ事にて、あるは砂の下を水はとほりて、うはべに水無き川をも云へり。萬葉四に、「戀にもぞ人は死にする水瀬川下ゆわれ瘦月に日に氣に、十一に、「こちたくは中はよどませ水無河たゆとふことをありこすなゆめ。又「うらぶれてものは思はじ水無瀨川有ても水はゆくちふ物を。古今集戀二に「ことに出て云はぬばかりぞみなせ川下に通ひて戀しき物を。戀五に、「逢見ねば戀こそまされ水無瀨河なににふかめて思ひそめけむ。又「みなせ川有てゆく水なくはこそつひに我身をたえぬと思はめなどある、皆其意なり。又萬葉十に、「久かたの天のしるしと水無河へだてておきし神代し恨めし。これは天の川を云へるにて、まさしく水の無きよしなり。然るに右の歌どもを皆、かの山崎のあなたなる水無瀨川と心得たるは、ひが事なり。山ざきのあなたなるは、古は山崎川とも、立田川とも云へりしこと、上ノ件に云へるが如くにて、みなせ河と云ふは、古今集などの頃よりは後の名なり。
新字:古へにみなせ川と云ひしは、一つの川の名には有らず、いづれにまれ、水の無き川と云ふ事にて、あるは砂の下を水はとほりて、うはべに水無き川をも云へり。万葉四に、「恋にもぞ人は死にする水瀬川下ゆわれ痩月に日に気に、十一に、「こちたくは中はよどませ水無河たゆとふことをありこすなゆめ。又「うらぶれてものは思はじ水無瀨川有ても水はゆくちふ物を。古今集恋二に「ことに出て云はぬばかりぞみなせ川下に通ひて恋しき物を。恋五に、「逢見ねば恋こそまされ水無瀨河なににふかめて思ひそめけむ。又「みなせ川有てゆく水なくはこそつひに我身をたえぬと思はめなどある、皆其意なり。又万葉十に、「久かたの天のしるしと水無河へだてておきし神代し恨めし。これは天の川を云へるにて、まさしく水の無きよしなり。然るに右の歌どもを皆、かの山崎のあなたなる水無瀨川と心得たるは、ひが事なり。山ざきのあなたなるは、古は山崎川とも、立田川とも云へりしこと、上ノ件に云へるが如くにて、みなせ河と云ふは、古今集などの頃よりは後の名なり。
書き下し
古にみなせ川と云いしは、一つの川の名には有らず、いずれにまれ、水の無き川と云う事にて、あるは砂の下を水はとおりて、うわべに水無き川をも云えり。万葉四に、「恋にもぞ人は死にする水瀬川下ゆわれ痩す月に日に気に、十一に、「こちたくは中はよどませ水無河たゆとうことをありこすなゆめ。また「うらぶれてものは思わじ水無瀬川有りても水はゆくちう物を。古今集恋二に「ことに出でて云わぬばかりぞみなせ川下に通いて恋しき物を。恋五に、「逢い見ねば恋こそまされ水無瀬河なににふかめて思いそめけむ。また「みなせ川有りてゆく水なくはこそつひに我身をたえぬと思わめなどある、皆その意なり。また万葉十に、「久かたの天のしるしと水無河へだてておきし神代し恨めし。これは天の川を云えるにて、まさしく水の無きよしなり。然るに右の歌どもを皆、かの山崎のあなたなる水無瀬川と心得たるは、ひが事なり。山ざきのあなたなるは、古は山崎川とも、立田川とも云えりしこと、上の件に云えるが如くにて、みなせ河と云うは、古今集などの頃よりは後の名なり。
現代語訳
古に「みなせ川」と言ったのは、一つの川の名ではなく、どこであれ水の無い川ということで、あるいは砂の下を水が通って、表に水の無い川をも言った。『万葉集』巻四に「恋のためにこそ人は死ぬものだ。水無瀬川が表に水を見せず下を流れるように、人知れず私は痩せていく、月ごと日ごとにいっそう」。巻十一に「人の噂がうるさいなら、二人の仲はしばらく淀ませておけ。水無川のように、絶えるということだけは決してあってくれるな」。また「しょげてもの思いはすまい。水無瀬川にも、ありながら水は流れて行くというのだから」。『古今集』恋二に「言葉に出して言わないだけだ。水無瀬川の下を水が通うように、心の底ではずっと恋しいのに」。恋五に「逢わないでいると恋しさはつのる。水無瀬川のように浅い仲なのに、何に深めて思い初めたのだろう」。また「水無瀬川に流れて行く水がないのなら、ついに私との仲も絶えたと思うだろうに」などとあるのは、みなその意味である。また『万葉集』巻十に「天のしるしとして、水の無い川を隔てに置いた神代が恨めしい」。これは天の川を言ったもので、まさしく水が無いという意味である。ところが右の歌々をみな、あの山崎の向こうの水無瀬川のことと心得ているのは誤りである。山崎の向こうの川は、古には山崎川とも立田川とも言ったことは、前の段で述べたとおりで、みなせ川というのは『古今集』などの時代より後の名である。
解説
関連する章句
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『玉勝間』二の巻 水無瀨川そは類聚国史に、延暦弘仁の頃、天皇水成野に遊猟有りし事、たびたび見えて、水成村ともあり、すなわち今の水無瀬なり。然ればこの地の名によりて、後にかの川の名にも成れるなりけり。さて水成と書けるは、みなしとよむべきなり。万葉に水無川と書けるも、然よむべし。成無などは、なせとは読みがたければなり。されどかの地の名も、また川に云えるもともに、古よりみなしとも、みなせとも、通わし云えりと聞こえたり。
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『玉勝間』二の巻 又立田川立田川と云うは、前の巻にいえる如く、山崎川の事なるを、そは今いずれの川ならむ。かのわたりの事、よくも知らで、年ごろいぶかしかりつるを、ことし寛政五年三月、京より大坂に下れるかえるさまに、山ざきのきしに船よせておりて、そのあたり見めぐりて、この川をも尋ねけるに、大かた山崎よりあなたには、水無瀬川をおきては、川ひとつも無し。さてつらつら考うるに、水無瀬川と云うは、後の名にて、この河ぞ古の立田川なるべき。この川、山崎と水無瀬とのさかいにあり。山城の国と津の国との堺は、川よりすこしこなたにて、川は津の国島の上の郡になん有りける。今は狭き河なれど、かなたこなたの堤高くて、水はよろしきほどの流れなるを思うに、古はややひろく流れけむを、後に堤を高くつきて、今のごとせばくは成しつるなるべし。さて立田川に詠み合わせたる、神なび山神なびの杜は、神名帳なる、山城の国乙訓の郡、玉手より祭り来る酒解神社、(名神大月次新嘗)これを続後紀また臨時祭式などに、山崎の神ともあれば、この神社によりたる名にて、すなわち山崎山の事にぞあるべき。この社は、すなわち今の山崎天王なりとも云えり。
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『玉勝間』一の巻 立田川たとい歌はひが心得して詠む事も有りとも、さる詞書までを作るべき物かは。そもそも大和の立田は、万葉集の歌に、十四五首も見えたれど、いづれもいづれも山をのみ詠みて、川を詠めるは一つも見えず。その外の古書にも、立田は山とのみこそ有れ、川はあること無し。立田川と詠めるは、みな今の京になりての歌にて、右に云う山崎のあなたなるなり。「もみじみだれて流るめり、の歌は、もしまことに奈良の帝の御(歌脱か)ならば、平城天皇なるべし。また「もみじ葉ながる神なびの、と云う歌は、飛鳥川と有るかた正しくて、大和なるべし。かの山崎のあなたなるは神なびとは云えど、みむろの山とは云うまじければなり。然るに拾遺集物の名の歌に、「神なびのみむろのきしやくづるらん立田の川の水のにごれる、と有るは、早くかの古今集の歌どもによりて、大和のとまぎれて、斯くは詠み合わせたんめり。その後々の歌どもはさらなり。
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『玉勝間』五の巻 立田山 小ぐらの峰古え大和より難波へもいずくへも下るに越えし、立田山は、今のくらがり峠なり、と云う説の有るは、その名、万葉九の巻に、小鞍嶺と有るに通い、又かの道ぞ、今の世にむねと越ゆる道なればなり。そのうえそのあたりに、小倉寺村と云うさえ有るなれば、さも有らんとは思われながら、立田神社と、程のいと遠きは、心得ぬ事に覚えしに、或る人の、立田山おぐらのみねは、くらがり越にはあらず、今の立野越なりと云い、又この頃、師のいせ物がたりの古意のしりに附けたる、上田の秋成と云う人の考えにも、然か云いて、そのよしを委しくわきまえたるは、まことに然る事とぞ思わるる。但し立田川と云えるをも、そこなる川なりと云えるは、たがえり。こは立田山のあたりの川とは、誰もふと思うべき事にて、昔よりみな然か心得来つれども、立田川と云う名は、万葉の頃までには、歌にも何にも、見えたる事無くして、今の京に成りての後の歌に、多く見えたれば、立田山とは異ところにして、大和の国にはあらず。この河の事は、すでに一の巻に、くわしく云えるがごとし。
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『玉勝間』二の巻 又立田川然るに今水無瀬の里を過ぎて、はるかにあなたに、神内村と云う有りて、そのほとりに、ちいさき森のかたも有りて、これなむ神なびの杜なると云うなれど、そこにては、古の歌どもにかなわず、その近きほどには川も無し。思うに神内と云うは、後に地をうつして、古の名をのこしたる物にやあらん。かの森のかたは、さて後につくりたるにも有るべし。古今集の詞書に、山崎より神なびのもりまで云云とあるは、山崎をはなれて、あなたなるように聞こゆるは同じ山ざきの内ながら、その里よりかの森までと云うなるべし。
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『玉勝間』九の巻 妹背山万葉に、紀の国と詠みたれども、それは名手の川中なる瀬の山を、まがえて誤れるかと云い、かの貝原なども、吉野なるを、それなりと云えるは、みな後の歌にのみなずみて、万葉をよく見ざる、ひがことなり。万葉のおもむき、紀の国なる事は、何の疑いも無し。今も吉野に、それとて有るは、古今集の歌につきて、後に似つかわしき山を、それと名附けたる物なり。そもそも古今集なる、ながれてはの歌は、かの万葉七の、せの山にただにむかえる云云、うち橋わたす、又同巻に、きの川のべの妹と背の山、など有る歌によりて、妹背の山の中に落つるとは云い、よしやと重ねん料に、紀の川を、同じ川なれば、吉野の川とも詠みなせるものなり。又その歌に、よし野の川と云い、落つるとも有るから、六帖なるは、その川を、滝とも唱え伝えたるなるべし。
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