玉勝間 / 九の巻 かごと云ふ乗リ物の名
今川ノ貞世が、鹿苑院義滿ノ大將軍の、嚴島詣の記に、御前の濱の鳥井のほとりより、かごにて御船にうつらせ給へりと云へり。
新字:今川ノ貞世が、鹿苑院義満ノ大将軍の、厳島詣の記に、御前の浜の鳥井のほとりより、かごにて御船にうつらせ給へりと云へり。
書き下し
今川の貞世が、鹿苑院義満の大将軍の、厳島詣の記に、御前の浜の鳥井のほとりより、かごにて御船にうつらせ給えりと云えり。
現代語訳
今川貞世が、鹿苑院義満の大将軍(足利義満)の厳島参詣を記した紀行に、「御前の浜の鳥居のあたりから、駕籠に乗って御船にお移りになった」と書いている。
解説
乗り物の「かご(駕籠)」という名が、室町時代の初めにはもう使われていたことを示した段である。今川貞世は了俊の号で知られる武将で歌人、九州探題を務めた。足利義満が厳島神社に参詣した折に随行し、その紀行を書き残した。そこに、鳥居のあたりから駕籠で船に移ったとある。駕籠は江戸時代には町でも街道でも誰もが目にする乗り物であったが、その名がいつから文献に見えるかは、案外知られていなかった。宣長は、身近な物の名の古い用例を見つけるたびに書き留めている。物の歴史は、その名が最初に記された箇所から確かめるのが確実だからである。
関連する章句
-
『玉勝間』九の巻 今様合百練抄に、承安四年九月一日、太上法皇の御所(法住寺殿)に於て今様合の事有り、堪能の輩卅人を撰び定め、十五箇夜の間、毎夜一番、雌雄を決せらる。師長・資賢等の卿判者たり。十三日、仙洞の今様合の次でに御遊有り、上皇今様を歌わしめ給う、希代の美談なり。
-
『玉勝間』十の巻 かぐらかぐらは、古えは、神あそびとぞ云える。さればその歌をも、古今集には、かみあそびの歌とぞしるされたる。神楽と書けるも、古くはかみあそびとぞ訓むべき。かぐらと云う名は、如何なる由にて、いつの程よりか云いそめけむ。六帖の題にはかぐらと書けり。
-
『玉勝間』十一の巻 室町殿の判の字の事同記に云わく、同六年四月二日、後に聞く、この日室町殿より、伊勢因幡守御使として、仰せ下されて云わく。今月御判始め有るべし、しかるに御判の事、御名字を草に書き成さるるの儀これ有り。或いはまた別字を以て作られ候儀これ有り、何の字を以て用いらるべきや撰び進ずべきの由、これを仰せらる。然りと雖も、先々この事、仰せを蒙らざるか、注し置かざるなり。もしまた記伝儒など撰び進ぜらるるか、伝奏に仰せ合わせらるるが然るべきか、ただまた使いに就きて撰び進ずべきの由、重ねて仰せ下さるべきか、御計らい有るべきの由、返事申さる。その後未だ仰せ出ださるるの旨無しと云云。鹿苑院殿普広院殿両代は、義の字なり。勝定院殿の御判は、慈の字なり。
-
『玉勝間』五の巻 車の紋の事同じ書に、車の文の事、さだ有り。かの頃までは、今の世のごとく、家々の定紋と云うものは、無かりしように聞えたり。然れども、車の文の事、人々大略、定めてつけけるように聞ゆ。
-
『玉勝間』四の巻 侍ると云ふ詞侍ると云う詞、伊勢物語には、ただ二つならでは無し。その二つは、しょうそこ文の中に有るなり。
-
『玉勝間』八の巻 馬子西宮記に、馬子六人、馬子四人など見えたり。馬につきたる者なり。今の世に、まごと云うは是れなり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る