玉勝間 / 九の巻 柿の本栗の本
二條ノ良基公の、さよのねざめと云ふ物にいはく、後鳥羽ノ院の御代には、善き連歌の上手をば、柿の本の衆となづけられ、惡ろき連歌をば、栗の本の衆と、なづけられ侍りき。
新字:二条ノ良基公の、さよのねざめと云ふ物にいはく、後鳥羽ノ院の御代には、善き連歌の上手をば、柿の本の衆となづけられ、悪ろき連歌をば、栗の本の衆と、なづけられ侍りき。
書き下し
二条の良基公の、さよのねざめと云う物にいわく、後鳥羽の院の御代には、善き連歌の上手をば、柿の本の衆となづけられ、悪ろき連歌をば、栗の本の衆と、なづけられ侍りき。
現代語訳
二条良基公の『小夜のねざめ』という書物に言う。後鳥羽院の御代には、よい連歌の上手を「柿の本の衆」と名づけられ、悪い連歌をする者を「栗の本の衆」と名づけられた。
解説
連歌の上手と下手を「柿の本」「栗の本」と呼び分けた話を、二条良基の書から引いた段である。二条良基は南北朝時代の関白で、連歌の集『菟玖波集』を撰び、連歌の式目を整えた人物である。後鳥羽院の頃、和歌の風雅に沿った連歌をよくする者を柿の本の衆、滑稽を主とした連歌をする者を栗の本の衆と呼んだという。柿の本は歌聖柿本人麻呂にちなみ、栗はそれに対して付けた戯れの名である。遊びの中にも品の上下を分ける目があった。宣長は歌の道を重んじたが、連歌の歴史にも目を配り、和歌から連歌へ流れる言葉の芸の筋道を確かめている。
関連する章句
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『玉勝間』十の巻 連歌の花ノ下と云ふこと菟玖波集の序に吉野ひじりのみかども、撰集に加え、家々の道をえたる人も、式目をつくりて、久しく雲のうえのもてあそび花のもとのたわぶれとなれりと有る。連歌の家に、花の下と云う称あるは、この詞をとれるなるべし。
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うひ山ぶみ・注[オ]後世風の中にもさまざまよきあしきふりさのみいひてやむべきにもあらず、よくしたゝめなば、まねび得ることも、などかは絶てなからん、さて又玉葉風雅の二ツの集は、為兼卿流の集なるが、彼卿の流の歌は、皆ことやうなるものにして、いといやしくあしき風なり、されば此一流は、其時代よりして、異風と定めしこと也、さて件ンの二集と、新古今とをのぞきて外は、千載集より、廿一代のをはり新続古今集までのあひだ、格別にかはれることなく、おしわたして大抵同じふりなる物にて、中古以来世間普通の歌のさまこれなり、さるは世の中こぞりて、俊成卿定家卿の教ヘをたふとみ、他門の人々とても、大抵みなその掟を守りてよめる故に、よみかた大概に同じやうになりて、世々を経ても、さのみ大きにかはれる事はなく、定まれるやうになれるなるべし、世に二條家の正風体といふすがた是也、此ノ代々の集の内にも、すこしづゝは、勝劣も風のかはりもあれども、大抵はまづ同じこと也、さて初学の輩の、よむべき手本には、いづれをとるべきぞといふに、上にいへるごとく、
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