玉勝間 / 九の巻 朝所
朝所を、常にはあいたんところとよむを、中務ノ內侍日記には、あしたどころと、所所に出たり。あしたを、音便にあいたんとは云ふなるべし、シをイと云ふも、ンを添ふるも、音便の常なり。
新字:朝所を、常にはあいたんところとよむを、中務ノ内侍日記には、あしたどころと、所所に出たり。あしたを、音便にあいたんとは云ふなるべし、シをイと云ふも、ンを添ふるも、音便の常なり。
書き下し
朝所を、常にはあいたんところとよむを、中務の内侍日記には、あしたどころと、所々に出でたり。あしたを、音便にあいたんとは云うなるべし、シをイと云うも、ンを添うるも、音便の常なり。
現代語訳
「朝所」を、ふつうは「あいたんどころ」と読むが、『中務内侍日記』には「あしたどころ」と、あちこちに出てくる。「あした」を音便で「あいたん」と言うのであろう。「し」を「い」と言うのも、「ん」を添えるのも、音便のよくあることである。
解説
宮中の建物の名「朝所」の読み方を考えた段である。朝所は太政官の庁の一角にあり、公卿たちが会食や政務を行った所で、ふつうは「あいたんどころ」と読まれていた。宣長は、鎌倉時代の女房の日記『中務内侍日記』に「あしたどころ」と仮名で書かれているのを見つけ、もとの形はこちらだと考えた。「あした」の「し」が「い」に変わり、さらに「ん」が加わって「あいたん」になったのは、発音しやすく崩れる音便の決まった型であるという。一見わけのわからない読み方も、音の変化の法則を当てはめれば筋が通る。宣長の音韻の研究は、こうした一語一語の説明の積み重ねから組み立てられている。
関連する章句
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『玉勝間』一の巻 音便の事古語の中にも、いとまれまれに音便あれども、後の世のとはみな異なり。後の世の音便は、奈良の末つかたより、かつがつ見えそめて、世々をふるままに、ようように多くなれり。そは漢字三音考の末に云える如く、おのづから定まり有りて、もろもろの音便五くさを出でず。抑この音便は、みな正しき言にあらず、くづれたるものなれば、古書などを読むには、一つもまじう可きにあらざるを、後の世の物知り人、その本の語をわきまえずして、世のつねに云いなれたる音便のままに読むは、なおざりなる事なり。すべて後の世には、音便の言いといと多くして、まどいやすし。本の語をよく考えて、正しく読むべきなり。中にもンと云う音のことに多き、これもと古言の正しき音にあらず、ことごとく後の音便なりとこころうべし。さてその音便のンの下は、本の語は清音なるをも濁らるる音なれば、皆必ず濁る例なり。たとえばネモコロと云う言を、後にはネンゴロと云うが如し。ンの下のコ文字、本の語は清音なるを、上のモをンと云うにひかれて濁る、みなこの格なり。然るを世の人、その音便のときの濁りに口なれて、正しく読むときも、ネモゴロと、コをにごるはひが事なり。この例多し。心得おくべし。
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『玉勝間』九の巻 正堂正寝百練抄に、久安四年、閏六月十五日、諸卿殿上に於て定め申す、諸道勘え申すと云云、正堂・正寝、何物を指すやの事、正堂は大極殿、正寝は小安殿の由、師安勘え申す、而るに内大臣、正堂は大極殿なり、正寝は小安殿の条、所見無きの由申さる。
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『玉勝間』一の巻 からぶみ読みのことば漢籍を読むに、世のつねにことなる語の多きは、いと古くより読み来つるままの古語なるが、後に音便にくづれたるなり。曰をノタウマクと訓むは、ノタマハクの音便なり。またノタバクにても有るべし。古言に、フをタブとも云う故に、万葉の歌に、ノタマハクを、ノタバクとも詠めればなり。故をカルガユヱニと訓むは、カルガユエニなるを、カを一つはぶけるなり。是れは音便と云うには有らず。然而をシカウシテと訓むは、シカシテに、ウを添えたるにて、八日をヤウカ、女房をニヨウバウという類なり。是以をコレヲモテと訓まずして、ココヲモテと訓むは、古言のままなり。古言には、コレと云うべきを、ココと云える事つねに多し。さて以をモツテとひきつめて訓むは、例のいやしき音便なり。慮をオモンハカル、以をオモンミルと訓むは、オモヒハカル、オモヒミルなり。垂をナンナントスと訓むは、ナリナムトスなり。然るをナンナンタリとも訓むはひがことなり。欲をホツスと訓むは、ホリスなり。件をクダンノとよむは、クダリノなり。親をシタシンズ、重をオモンズ、賤をイヤシンズと訓むたぐいは、シタシミス、オモミス、イヤシミスにて、皆古言の格なり。
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『玉勝間』一の巻 官名の事中昔の書どもには、おおきおおいもうちぎみ、またはおおきおとどなど云えるは、右の訓あまり長き故に、政の字をのぞきたる訓なり。また左右大臣は、於保伊万智岐美と有るも、官名につきてもうけられたる訓なり。ただし万豆岐美、万宇智岐美は、古の称にて、麻都岐美なるを、音便に然か云うなり。まえつぎみと云う事、書紀の景行の巻の歌に見えたり。さて和名抄には、右のごとく万宇智岐美と有るを、北山抄・江次第などに、末布知君・万不地起牟多地など書かれたるは、布不は仮字たがいたり。すべて音便に宇と唱うるは、みな宇の仮字なりと心得べし。大納言・中納言・参議・少納言、みな漢字を以てつけられたる官にて訓は字につきてもうけたるなり。弁は於保止毛比、これは上つ代よりの官名と聞こえたり。意はいかなるにか、いまだ考え得ず字もいかなる意をもてあてられたるにか、さだかならず。西宮記・北山抄・小右記などに、大輌火之官と書かれたるは借り字なり。外記・内記・大史・少史・史生・官掌など、皆漢ざまなり。もろもろのつかさの長官を、美加と云うは古なり。次官を須気と云うも古きか、判官を万豆利古止比止と云うは、もうけたる訓なり。佐官は訓見えず。
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