玉勝間 / 九の巻 かたみせん
今碁に、たがひせんと云ふ事を、續世繼に、ゐごならば、かたみせんにてぞよく侍らむと有り。
新字:今碁に、たがひせんと云ふ事を、続世継に、ゐごならば、かたみせんにてぞよく侍らむと有り。
書き下し
今碁に、たがいせんと云う事を、続世継に、いごならば、かたみせんにてぞよく侍らむと有り。
現代語訳
今、碁で「互い先」ということを、『続世継』(『今鏡』)には「囲碁ならば、かたみ先でこそよいでしょう」とある。
解説
碁の「互い先」を、平安末の『今鏡』では「かたみせん」と言っていたことを示す段である。互い先とは、力の等しい者同士が交互に先番(黒)を持って打つことで、ハンデを付けない対局の形をいう。前の段にも出た「かたみ」は互いに、という意味の古語で、碁の言葉としては、のちに「たがい」の言い方が一般になった。囲碁は古くから宮廷や貴族の間で楽しまれた遊びで、その用語も時代とともに言い換えられてきた。宣長は、今の世の言葉と昔の言葉を一語ずつ対応させ、同じ事柄を指す言葉がどう入れ替わったかを記録している。遊びの言葉にも、言葉の歴史はそのまま刻まれているのである。
関連する章句
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『玉勝間』八の巻 将碁明月記に、囲碁双六将騎等の盤と有る、将騎は、将碁の事なるべし。園大暦に、大炊御門の大納言入道同じく入来し将碁の興有りと有り。
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