玉勝間 / 八の巻 将碁
明月記に、圍碁双六將騎等ノ盤と有る、將騎は、將碁の事なるべし。園大曆に、大炊御門ノ大納言入道同入來有將碁興と有り。
新字:明月記に、囲碁双六将騎等ノ盤と有る、将騎は、将碁の事なるべし。園大暦に、大炊御門ノ大納言入道同入来有将碁興と有り。
書き下し
明月記に、囲碁双六将騎等の盤と有る、将騎は、将碁の事なるべし。園大暦に、大炊御門の大納言入道同じく入来し将碁の興有りと有り。
現代語訳
明月記(藤原定家の日記)に「囲碁・双六・将騎などの盤」とある「将騎」は、将棋のことであろう。園太暦(洞院公賢の日記)に「大炊御門の大納言入道も同じく来訪し、将棋の遊びがあった」とある。
解説
将棋が鎌倉・南北朝の公家の日記にすでに見えることを書き留めた段である。明月記は歌人藤原定家が半世紀以上にわたって書き続けた日記、園太暦は南北朝時代の太政大臣洞院公賢の日記で、いずれも当時の公家社会を知る第一級の史料である。宣長は、明月記の「将騎」を「将碁」の当て字と見て、囲碁や双六と並ぶ盤上の遊びとして将棋がすでにあったことを確かめ、さらに園太暦で公家たちが将棋を楽しんだ様子を示す。字が違っても指しているものは同じだと見抜くのは、多くの記録を読み比べてきた宣長ならではである。江戸時代には町人にまで広まっていた将棋が、もとは公家の座敷の遊びでもあったことを示すこの記録は、身近な遊びの長い歴史への関心を呼び起こす。宣長は古記録を読むとき、儀式の次第だけでなく、こうした暮らしの断片にも目を配っていた。
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