玉勝間 / 九の巻 たふとみて令と云ふ詞
古語に人の事をたふとみて、行をゆかす、立ッをたたすなど云へるを、中昔には、ゆかせ給ふ、たたせ給ふなど云ひ、記錄ぶみなどには、令行給、令立給など書り。此たぐひの令と云ふ詞は、いと古くは見えざる事なるに、萬葉十四の、上野ノ國の歌に、安思布麻之牟奈と有るは、いと珍らし。かの集の頃の歌、他は皆、あしふますなと云へる例なり。
新字:古語に人の事をたふとみて、行をゆかす、立ッをたたすなど云へるを、中昔には、ゆかせ給ふ、たたせ給ふなど云ひ、記録ぶみなどには、令行給、令立給など書り。此たぐひの令と云ふ詞は、いと古くは見えざる事なるに、万葉十四の、上野ノ国の歌に、安思布麻之牟奈と有るは、いと珍らし。かの集の頃の歌、他は皆、あしふますなと云へる例なり。
書き下し
古語に人の事を尊みて、行くをゆかす、立つをたたすなど云えるを、中昔には、ゆかせ給う、たたせ給うなど云い、記録ぶみなどには、令行給、令立給など書けり。この類の令と云う詞は、いと古くは見えざる事なるに、万葉十四の、上野の国の歌に、あしふましむなと有るは、いと珍らし。かの集の頃の歌、他は皆、あしふますなと云える例なり。
現代語訳
古語では、人の動作を敬って、「行く」を「ゆかす」、「立つ」を「たたす」などと言ったのを、中古には「ゆかせ給う」「たたせ給う」などと言い、記録の文章などでは「令行給」「令立給」などと書いた。この類の「令(しむ)」という言葉は、ごく古い時代には見えないことであるのに、『万葉集』巻十四の上野国の歌に「あしふましむな」とあるのは、たいそう珍しい。あの集の頃の歌では、ほかは皆「あしふますな」と言うのが例である。
解説
関連する章句
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『玉勝間』八の巻 万葉集に見えたる和気と云ふ称皇子たちなどの御名にある、某別、又姓のかばねの、某の別などの別には有らで、万葉集の歌に、一種の和気と云える称有り。そを人皆、みずからひげして云う称とのみ心得たるは、くわしからず。常に打まかせてひげして、僕など云うとは異にして、これは、人より我をさして云う詞をもうけて、そを其人に云い遣るとて、殊さらに我を賤きさまに云いなす称なり。さるはすこしたわぶれたる物にて、まことのひげには有らず。四の巻に、わが君は和気をば死ねと思えかも云云、これ人の我を死ねと思うと云う事を、もうけて、云い遣るなり。さて我を賤しめて云うから、人をば吾妹子と云うべきを、殊更にあがめたるさまに、わが君と云えるも、少したわぶれなり。同じ巻に、黒木とりかやもかりつつつかえめどいそしき和気とほめむともあらず、これも同じ事にて、人の我をいそしき者と云わむ詞を、もうけて云いやるなり。
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『玉勝間』十四の巻 又たとへ歌のやうたとえ歌、古今集よりこなたのはその歌を見れば、譬えたる意あらわに知らるるように詠みたる物なり。然るに、万葉集なるは、その事にあたりて、その詠みたる人は、譬えたる心を知るべけれど、後にその歌を見たるのみにては、たとえたる意はこまかには知れ難きが多し。されば今その歌をとくに、大かたにはおしはからるれども、確かには云いがたき歌おおし。その心してとくべきなり。又万葉のたとえ歌は、その譬えたる草木鳥虫のうえの詞と、ただに恋のうえを云える詞とを、あいまじえて詠める多し。これ又心得おくべし。
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『玉勝間』八の巻 すそをつまげる俗言に、衣のすそをつまげると云うは、万葉集二十の巻の長歌に、御裳のすそつみあげかきなで、と有る、此つみあげのつづまれる詞なり。
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『玉勝間』七の巻 人をあがめて様と云ふ事人をたっとみて、様と云うこと、四百四五十年ばかりもあなたのふみどもより始まりて、おりおり見えたり。上様、前朝様、禁裏様、御所様、公方様、宮御方様、徳大寺様、女中様など見え、書状のあて名にも、御つぼね様なども有り。また鹿苑院殿様、室町殿様など、殿様と重ねて云える事も見えたり。
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『玉勝間』四の巻 御と云ふ詞のつかひざまの一つ源氏物語に、仏の御かりょうびんがの声、御ひとつ腹、御まえわたり、宮の御侍従の乳母、仏の御同じ帳台、宮の御二条の北の方、など有るこれらの御ちょう詞、今の世の心にて思えば、仏のかりょうびんがの御こえ、ひとつ御はら、宮の侍従の御乳母、仏の同じ御帳台、宮の二条の御北の方、と云うべきに、置きどころかわりて聞こゆ、心得おくべし。御まえわたりも、御は、わたりへかかりて、前へはかからず。
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『玉勝間』一の巻 あがたゐのうしは古、学のおやなる事からごころをきよくはなれて、もはら古のこころ詞をたづぬるがくもんは、わが県居の大人よりぞはじまりける。この大人の学の、いまだおこらざりしほどの世の学問は、歌もただ古今集よりこなたにのみとどまりて、万葉などは、ただいと物どおく、心も及ばぬ物として、さらにその歌の善き悪しきを思い、古き近きをわきまえ、またその詞を、今のおのが物としてつかう事などは、すべて思いも及ばざりし事なるを、今はその古言をおのがものとして、万葉ぶりの歌をも詠み出で、古ぶりの文などをさえ、書きうることとなれるは、もはらこのうしのおしえのいさおにぞ有りける。今の人は、ただおのれみづから得たるごと思うめれど、みなこの大人の御蔭によらずと云うこと無し。また古事記・書紀などの、古典をうかがうにも、漢意にまどわされず、まづもはら古言を明らめ、古意によるべきことを、人みな知れるも、このうしの万葉のおしえのみたまにぞ有りける。そもそも斯かるたふとき道を、開らき初められたるいそしみは、世にいみしきものなりかし。
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