玉勝間 / 九の巻 茶椀
延喜民部省式、年料雜器、長門ノ國より進る物の中に、茶椀廿口(徑各五寸)と有り。茶椀めづらし。
新字:延喜民部省式、年料雑器、長門ノ国より進る物の中に、茶椀廿口(径各五寸)と有り。茶椀めづらし。
書き下し
延喜民部省式、年料雑器、長門の国より進る物の中に、茶椀廿口(径各五寸)と有り。茶椀めづらし。
現代語訳
『延喜式』の民部省式の「年料雑器」(毎年納める諸器)の項に、長門国から献上する物の中に、「茶椀二十口(口径はそれぞれ五寸)」とある。茶椀という名は珍しい。
解説
『延喜式』に「茶椀」の文字を見つけて、珍しいと一言書き留めた段である。『延喜式』は平安時代の中ごろにまとめられた律令の施行細則で、諸国から都へ納める品々が細かく定められている。その中に長門国から納める器として茶椀二十口が挙がっている。喫茶の習いは平安の初めに唐から伝わり、宮中の一部で行われたが、広く根づくのはずっと後の時代である。今では茶を飲むかどうかに関わらず飯を盛る器まで茶碗と呼ぶが、その名がすでに十世紀の法令に現れているところが宣長の目を引いた。身近な物の名が、いつ頃から文献に見えるのかを確かめる。小さな発見を積み上げていく宣長の読書の仕方がよく出ている。
関連する章句
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『玉勝間』十一の巻 茶の事同じ書、御仏名の条の裏書にいわく。法親王に禄を賜う、紅染の細長一襲(御衣、)桜色の綾の細長一襲、茶并びに茶具二裹、(五葉の枝に付く)とあり。そのかみ早く茶をめで給いしにこそ。但し仏事につきての事にや。茶具と有るは、いかなる物なりけん。そもそもこの茶と云う物のこと、はやく桓武天皇の御世に、国史に見えたりと覚ゆるを、定かにその年と云う事おぼえねば、ここにえ引き出でず。
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『玉勝間』六の巻 俵と云ふもじ俵と云う字、延喜式に見ゆ。なお先には、承和十一年十一月二日の太政官符にも見えて、類聚三代格に載れり。
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『玉勝間』十二の巻 茶の事類聚国史に、弘仁六年夏四月癸亥、近江の国滋賀の韓崎に幸す、便ち崇福寺に過ぎる、大僧都永忠・護命法師等、衆僧を率いて、門外に奉迎す、皇帝輿を降り、堂に升りて仏を礼す、更に梵釈寺に過ぎり、輿を停めて詩を賦す、皇太弟及び群臣、和し奉る者衆し、大僧都永忠手自ら茶を煎じて御に奉る、御被を施す、即ち御船湖に泛ぶ、国司風俗歌舞を奏す、五位以上并びに掾以下に、衣被を賜う、史生以下郡司以上に、綿を賜うこと差有り、また同じ年六月壬寅、畿内并びに近江・丹波・播磨等の国をして、茶を殖えて毎年これを献ぜしむ、とある、これ茶の事の、見えたるはじめなり。
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『玉勝間』九の巻 硯がめ同書石蔭の巻に、御まえの御すずりがめと有るは、俗に云う水入れなり。
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『玉勝間』十一の巻 いはゆる御所詞同書に、内裏仙洞には、一切の食物に、異名を付けて召さるる事なり。一向存知せざる者は、当座に迷惑すべき者なり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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