玉勝間 / 九の巻 今様合
百練抄に、承安四年九月一日、於太上法皇御所、(法住寺殿)有今樣合事、撰定堪能輩卅人、十五箇夜間。每夜一番。被決雌雄。師長資賢等卿爲判者。十三日、仙洞今樣合之次有御遊、上皇令歌今樣給、希代之美談也。
新字:百練抄に、承安四年九月一日、於太上法皇御所、(法住寺殿)有今様合事、撰定堪能輩卅人、十五箇夜間。毎夜一番。被決雌雄。師長資賢等卿為判者。十三日、仙洞今様合之次有御遊、上皇令歌今様給、希代之美談也。
書き下し
百練抄に、承安四年九月一日、太上法皇の御所(法住寺殿)に於て今様合の事有り、堪能の輩卅人を撰び定め、十五箇夜の間、毎夜一番、雌雄を決せらる。師長・資賢等の卿判者たり。十三日、仙洞の今様合の次でに御遊有り、上皇今様を歌わしめ給う、希代の美談なり。
現代語訳
『百練抄』に、承安四年(1174)九月一日、太上法皇(後白河法皇)の御所(法住寺殿)で今様合があった。今様に巧みな者を三十人選び定め、十五夜のあいだ、毎夜一番ずつ勝ち負けを決められた。藤原師長・源資賢らの卿が判者を務めた。十三日、院の御所での今様合のついでに管絃の御遊があり、上皇みずから今様をお歌いになった。世にもまれな美談である、とある。
解説
宣長は『百練抄』(鎌倉時代に編まれた編年の史書)から、後白河法皇の今様合の記事を書き留めた。今様は平安後期に流行した当世風の歌謡で、後白河法皇はこれに熱中し、歌詞を集めた『梁塵秘抄』を自ら編んだことで知られる。三十人を選んで十五夜にわたり勝負させ、琵琶の名手として名高い藤原師長らを判者に立て、最後は法皇自身が歌ったという。宣長はここに評を加えていないが、朝廷の遊びの具体的な形を、史書の記事そのままに残そうとしている。歌を学問の中心に置いた宣長にとって、歌謡の歴史も古い言葉と心を知る手がかりだった。遊びの記録も、時代の姿を伝える史料になる。
関連する章句
-
『玉勝間』四の巻 歌合よみ人の名をかくす事同書に、法性寺殿(忠通公)の御事を云えるところに、まだおさなくおわしましし時より、歌合など朝ゆうの御あそびにて、基俊・俊頼など云う、時の歌詠みどもに、名かくして判せさせなど、せさせ給う事、たえざりけり、と云えり。名かくすとは、詠み人の名か、判者の名か。
-
『玉勝間』九の巻 新勅撰集の事同書に、文暦元年十一月九日、中納言入道(定家卿)前関白家に於て、新勅撰(先院の御時奏覧せらる)を捜覧す、両殿下監せらる、頗る用捨の事有り、百首を切り棄てらると云云、又入れらるるの人有りと云云。
-
『玉勝間』六の巻 賀陽院歌合青地の小文の錦。右、紫檀の消坏の台の上に、銀の消盃を居うるなり。左右に筆一双、墨一つを立つること唐人の硯のごとし、台の辺に和歌の書五巻を立つ。打敷は赤地の小文の錦。和歌の書物の巻文、各五巻(春夏秋冬祝、各一巻、瑠璃の軸、色々の色紙、下絵、左方は女絵、右方は男絵、皆歌の情を書くか。美麗過差極まり無し)。歌人(左、女房、中納言君、筑前君、周防掌侍、讃岐君、紀伊君、信濃君、摂津君。右、男房、通俊卿、匡房卿、顕綱朝臣、正家朝臣、頼綱朝臣、俊頼朝臣)。次に講師を召す(左、右大弁基綱朝臣、衣冠。右、下官、直衣)。各々これを講ず。帥大納言判者と為り、中宮大夫紙を執筆す。度毎に勝負す。先ず春夏秋冬祝、次第此のごとし。夜参半に及ぶ。歌講ずるの間、菓子肴物を居う(大殿の陪膳、左少将有宗朝臣、左府殿下、地下の四位、左府は有宗朝臣、殿下は〓家朝臣)。初献は勧盃無し。第二献は皇大后宮権大夫。次に対の南面の饗饌をこの座に移し居え、頻りに盃酌す。暁更に及びて事了る。次に管絃の具を召し、御遊有り。帥大納言(琵琶)、藤大納言(箏)、左大将(笛)、政長朝臣(拍子)、予と宗輔(共に笙)、皇大后宮権大夫(付歌)。呂は、安名尊、鳥の破。律は、更衣、太平楽の破、三台の急。前の池に船楽を儲く(楽人等をして奏せしむ、布衣或いは冠)。次に引出物の馬三疋を牽く(関白、左大臣、帥)。人々退出す。
-
『玉勝間』六の巻 賀陽院歌合同じ記に云う、同八年八月十九日、今夜大殿、賀陽院に於て、歌合の興有り。これ永承の例に依りて、女房と男房とを読人と為す。秉燭の間、人々参集す。東の対の南面に、公卿の饗饌を居う。殿上人は、同じく東面の庇の饗、諸大夫の饗は、侍所に在り云云。然りと雖も着かれず。寝殿の巽の角、東面の戸の前に、切燈台二本を立つ(風流無し)。その前に円座二枚を敷き、左右の講師の座と為す。東の透渡殿に、西を上とし南北に対座して、公卿の座を敷く(高麗端、対座)。人々先ず相分かれて著かしめ給う。左方(北)、大殿、殿下、藤大納言(□□)、民部卿(俊明)、右衛門督(公実)、藤中納言(基忠)、江中納言(匡房)、皇大后宮権大夫(公定)。右方(南)、左大臣、帥大納言(経信)、東宮大夫(師忠)。殿上人、大蔵卿道良朝臣、備中守政長朝臣、右大弁基綱朝臣、頭中将国信朝臣、右中弁宗忠、左馬頭師隆朝臣、権中将顕実朝臣、右馬頭兼実朝臣、四位藤少将有家朝臣、左京権大夫俊頼朝臣、四位権少将能俊朝臣、四位侍従宗信朝臣、尾張守忠〓朝臣、蔵人兵部大輔通輔、侍従家政、蔵人右少弁時範、源少将有賢、民部大輔基兼、新少将宗輔、蔵人玄蕃助宗佐、左近将監仲兼、相分かれて渡殿の南北の欄外に候す。次に東の戸の前に、左右の文台を立つ。左、銀の透かしの手巾の筥、白き浮線綾の巾を入れ、打敷。
-
『玉勝間』十三の巻 歌合と云ふ事のはじまり歌合と云うわざは、いずれの御世の頃よりかはじまりけむ。古今集に、仁和の中将の御息所の家の歌合と云うこと見え、新勅撰集夏の部に、中納言行平の家のうた合、又恋三に、陽成院の歌合など見えたり。これら寛平よりさきなり。
-
『玉勝間』五の巻 古今御伝授後奈良の天皇、享禄元年十一月十六日、こきんの御伝じゅ、逍遥院申さるるよし、御湯殿の記に見ゆ。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る