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玉勝間 / 六の巻 賀陽院歌合

同記云、同八年八月十九日、今夜大殿、於賀陽院、有哥合興、是依永承例、女房與男房爲讀人、秉燭之間、人人參集、東對南面、居公卿饗饌、殿上人、同東面庇饗、諸大夫饗、在侍所云云、雖然不被着、寢殿巽角、東面戶前、立切燈臺二本、(無風流)其前敷圓座二枚、爲左右講師座、東透渡殿、西上南北對座、敷公卿座、(高麗端、對座)人人先令相分著給、左方(北)、大殿、殿下、藤大納言、(□□)民部卿、(俊明)右衞門。督、(公實)藤中納言、(基忠)江中納言、(匡房)皇大后宮權大夫(公定)右方(南)、左大臣、帥大納言、(經信)東宮大夫(師忠)殿上人、大藏卿道良朝臣、備中守政長朝臣、右大辨基綱朝臣、頭中將國信朝臣、右中辨宗忠、左馬頭師隆朝臣、權中將顯實朝臣、右馬頭兼實朝臣、四位藤少將有家朝臣、左京權大夫俊賴朝臣、四位權少將能俊朝臣、四位侍從宗信朝臣、尾張守忠〓朝臣、藏人兵部大輔通輔、侍從家政、藏人右少辨時範、源少將有賢、民部大輔基兼、新少將宗輔、藏人玄蕃助宗佐、左近將監仲兼相分候渡殿南北欄外、次東戶前、立左右文臺、左、銀透手巾筥、入白浮線綾巾、打數。

新字:同記云、同八年八月十九日、今夜大殿、於賀陽院、有歌合興、是依永承例、女房与男房為読人、秉燭之間、人人参集、東対南面、居公卿饗饌、殿上人、同東面庇饗、諸大夫饗、在侍所云云、雖然不被着、寝殿巽角、東面戸前、立切灯台二本、(無風流)其前敷円座二枚、為左右講師座、東透渡殿、西上南北対座、敷公卿座、(高麗端、対座)人人先令相分著給、左方(北)、大殿、殿下、藤大納言、(□□)民部卿、(俊明)右衛門。督、(公実)藤中納言、(基忠)江中納言、(匡房)皇大后宮権大夫(公定)右方(南)、左大臣、帥大納言、(経信)東宮大夫(師忠)殿上人、大蔵卿道良朝臣、備中守政長朝臣、右大弁基綱朝臣、頭中将国信朝臣、右中弁宗忠、左馬頭師隆朝臣、権中将顕実朝臣、右馬頭兼実朝臣、四位藤少将有家朝臣、左京権大夫俊頼朝臣、四位権少将能俊朝臣、四位侍従宗信朝臣、尾張守忠〓朝臣、蔵人兵部大輔通輔、侍従家政、蔵人右少弁時範、源少将有賢、民部大輔基兼、新少将宗輔、蔵人玄蕃助宗佐、左近将監仲兼相分候渡殿南北欄外、次東戸前、立左右文台、左、銀透手巾筥、入白浮線綾巾、打数。

書き下し

同じ記に云う、同八年八月十九日、今夜大殿、賀陽院に於て、歌合の興有り。これ永承の例に依りて、女房と男房とを読人と為す。秉燭の間、人々参集す。東の対の南面に、公卿の饗饌を居う。殿上人は、同じく東面の庇の饗、諸大夫の饗は、侍所に在り云云。然りと雖も着かれず。寝殿の巽の角、東面の戸の前に、切燈台二本を立つ(風流無し)。その前に円座二枚を敷き、左右の講師の座と為す。東の透渡殿に、西を上とし南北に対座して、公卿の座を敷く(高麗端、対座)。人々先ず相分かれて著かしめ給う。左方(北)、大殿、殿下、藤大納言(□□)、民部卿(俊明)、右衛門督(公実)、藤中納言(基忠)、江中納言(匡房)、皇大后宮権大夫(公定)。右方(南)、左大臣、帥大納言(経信)、東宮大夫(師忠)。殿上人、大蔵卿道良朝臣、備中守政長朝臣、右大弁基綱朝臣、頭中将国信朝臣、右中弁宗忠、左馬頭師隆朝臣、権中将顕実朝臣、右馬頭兼実朝臣、四位藤少将有家朝臣、左京権大夫俊頼朝臣、四位権少将能俊朝臣、四位侍従宗信朝臣、尾張守忠〓朝臣、蔵人兵部大輔通輔、侍従家政、蔵人右少弁時範、源少将有賢、民部大輔基兼、新少将宗輔、蔵人玄蕃助宗佐、左近将監仲兼、相分かれて渡殿の南北の欄外に候す。次に東の戸の前に、左右の文台を立つ。左、銀の透かしの手巾の筥、白き浮線綾の巾を入れ、打敷。

現代語訳

同じ中右記にいう。寛治八年八月十九日、今夜、大殿(藤原師実)が賀陽院で歌合の催しをなさった。これは永承の例にならって、女房と男房(男の歌人)とを詠み手とするものである。灯をともすころ、人々が参集した。東の対屋の南面に公卿の饗膳を据えた。殿上人には同じく東面の庇で饗を設け、諸大夫の饗は侍所に設けた、云々。しかし(人々は)その座には着かれなかった。寝殿の東南の角、東面の戸の前に切燈台を二本立てた(飾りはない)。その前に円座を二枚敷き、左右の講師の座とした。東の透渡殿に、西を上座として南北に向かい合わせて公卿の座を敷いた(高麗縁の畳で、向かい合わせ)。人々はまず左右に分かれて着座なさった。左方(北側)は、大殿、殿下(関白)、藤大納言(□□)、民部卿(俊明)、右衛門督(公実)、藤中納言(基忠)、江中納言(匡房)、皇太后宮権大夫(公定)。右方(南側)は、左大臣、帥大納言(経信)、東宮大夫(師忠)。殿上人は、大蔵卿道良朝臣、備中守政長朝臣、右大弁基綱朝臣、頭中将国信朝臣、右中弁宗忠、左馬頭師隆朝臣、権中将顕実朝臣、右馬頭兼実朝臣、四位の藤少将有家朝臣、左京権大夫俊頼朝臣、四位の権少将能俊朝臣、四位の侍従宗信朝臣、尾張守忠〓朝臣、蔵人兵部大輔通輔、侍従家政、蔵人右少弁時範、源少将有賢、民部大輔基兼、新少将宗輔、蔵人玄蕃助宗佐、左近将監仲兼で、左右に分かれて渡殿の南北の欄干の外に控えた。次に東の戸の前に左右の文台を立てた。左方は、銀の透かし彫りの手巾の箱に白い浮線綾の布を入れ、打敷を敷く。

解説

寛治八年(1094)に藤原師実が賀陽院で催した歌合、いわゆる高陽院七番歌合の次第を、中右記から長く写した一段の前半である。永承の内裏歌合の先例にならい、女房方と男房方に分けて歌を競わせた。ここでは座の設け方と、居並んだ公卿・殿上人の名が延々と記される。大江匡房、源経信、源俊頼など、院政期の和歌を担った人々の名が見える。宣長がこれを丹念に写したのは、歌合という晴れの催しが、実際にどのような場で、誰が、どう座って行われたかを知るためである。歌は紙の上だけのものではなく、場と作法の中で詠まれ、読み上げられた。その場の具体を知ってこそ、古の歌の姿が見えてくるという考えである。

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