玉勝間 / 八の巻 北野の御詠と云ふ歌
唐衣おりてきた野の神ぞとは袖にもちたる梅にてもしれ、心だにまことの道にかなひなばいのらずとても神やまもらん、此二首の歌、北野の御詠のよし、鴨ノ長明ノ四季物語と云ふ物に、二月廿五日の神事のところに見えたり。此歌ども、後の世ざまの、いとつたなき歌なり。はじめのは、歌の趣殊につたなし。次なるは、例のほうしの口つきなり。結の句のや文字かなはず。これは後の世のえせ歌よみの、んととぢむる上は、必〓やと云ふべきことと、かたくなに心得たるでうなり。此歌にては、神はとこそ云ふべけれ。すべて此四季物語と云ふ物、うたがはしき書なりかし。
書き下し
唐衣おりてきた野の神ぞとは袖にもちたる梅にてもしれ、心だにまことの道にかないなばいのらずとても神やまもらん、此二首の歌、北野の御詠のよし、鴨の長明の四季物語と云う物に、二月二十五日の神事のところに見えたり。此歌ども、後の世ざまの、いとつたなき歌なり。はじめのは、歌の趣殊につたなし。次なるは、例のほうしの口つきなり。結の句のや文字かなわず。これは後の世のえせ歌よみの、んととじむる上は、必ずやと云うべきことと、かたくなに心得たるじょうなり。此歌にては、神はとこそ云うべけれ。すべて此四季物語と云う物、うたがわしき書なりかし。
現代語訳
「唐衣織りて北野の神ぞとは袖に持ちたる梅にても知れ(唐衣を織って着て、唐から降りて来た北野の神であるとは、袖に持っている梅によっても知れ)」、「心だにまことの道にかないなば祈らずとても神や守らん(心さえ誠の道にかなっていれば、祈らなくても神は守ってくださるだろう)」、この二首の歌は北野の御詠(北野天神、菅原道真の神詠)であるということが、鴨長明の四季物語というものの、二月二十五日の神事のところに見える。これらの歌は、後世ふうの、たいそう拙い歌である。初めの歌は、歌の趣向がことに拙い。次の歌は、例の法師の口ぶりである。結びの句の「や」の字が合わない。これは後世のえせ歌詠みが、「ん」と結ぶ上には必ず「や」と言うべきものと、かたくなに心得ている類である。この歌では「神は」と言うべきである。すべてこの四季物語というものは、疑わしい書物なのだ。
解説
関連する章句
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『都鄙問答』卷之二・鬼神ヲ遠ト云事ヲ問ノ段曰、貴人を軽ずるに似たり。何とて左様のことのいわるべきや。答、貴人に云れざる不義を以て、清浄の神明に祈を為、願ひの通に成下されなば、鳥居や社の脩覆致し奉らんと云時、鳥居や脩覆に迷ひ玉ふあさましき神有べきや。然るを非礼の物を推て捧げ、神明を穢奉り、終には神罰を受べし。恐るべきことなり。「心だにまことの道にかなひなばいのらずとても神やまもらん」との御神詠もあるぞかし。子路、孔子の病を祷ことを請。子曰、丘之祷久と。祷るとのたまふは、誠の道に合へることなり。誠に合はゞ、何ぞ祈ことあらんや。然るを我朝の神道に違ふとは如何なることぞ。凡て聖人の書は、箇様の迷ひを解べき為の書なり。書に依て迷はゞ、
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