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初学訓 / 巻之五

神は正直なれば、人の道理にかなはざる祭と、祈禱とをば享け給はずとなり。菅丞相の歌に、こゝろだに誠の道にかなひなば祈らずとても神やまもらん又曰、あやまりのあらば中々さもあらば心づくしに何いのるらんとよみ給へり。此二首の道理至極せり、たがふべからず。凡此理甚明かにして、如何なる無學なる人も知りやすし。されども、凡夫は道理にくらく、利欲深き故、善を行ひ惡をせざれば、天道にかなひ、福ありて禍なき理を知らず。只、欲心と非禮のわざを以て、神佛に諂祈り、又權勢ある人にへつらひ求めて、財祿を得んとす。されど、天道神明には私なければ、諂へりとて、福を與へ給はず、とがあるを赦し給はず。道にちがへる祈の、其驗なきこと、今目のまへにあらはなり。

新字:神は正直なれば、人の道理にかなはざる祭と、祈祷とをば享け給はずとなり。菅丞相の歌に、こゝろだに誠の道にかなひなば祈らずとても神やまもらん又曰、あやまりのあらば中々さもあらば心づくしに何いのるらんとよみ給へり。此二首の道理至極せり、たがふべからず。凡此理甚明かにして、如何なる無学なる人も知りやすし。されども、凡夫は道理にくらく、利欲深き故、善を行ひ悪をせざれば、天道にかなひ、福ありて禍なき理を知らず。只、欲心と非礼のわざを以て、神仏に諂祈り、又権勢ある人にへつらひ求めて、財禄を得んとす。されど、天道神明には私なければ、諂へりとて、福を与へ給はず、とがあるを赦し給はず。道にちがへる祈の、其験なきこと、今目のまへにあらはなり。

書き下し

神は正直なれば、人の道理にかなはざる祭と、祈祷とをば享け給はずとなり。菅丞相の歌に、こころだに誠の道にかなひなば祈らずとても神やまもらん又曰、あやまりのあらば中々さもあらば心づくしに何いのるらんとよみ給へり。此二首の道理至極せり、たがふべからず。凡此理甚明かにして、如何なる無学なる人も知りやすし。されども、凡夫は道理にくらく、利欲深き故、善を行ひ悪をせざれば、天道にかなひ、福ありて禍なき理を知らず。只、欲心と非礼のわざを以て、神仏に諂祈り、又権勢ある人にへつらひ求めて、財禄を得んとす。されど、天道神明には私なければ、諂へりとて、福を与へ給はず、とがあるを赦し給はず。道にちがへる祈の、其験なきこと、今目のまへにあらはなり。

現代語訳

神は正直なので、人の道理にかなわない祭りや祈祷はお受けにならないということです。菅丞相(菅原道真)の歌に「こころだに誠の道にかなひなば祈らずとても神や守らん(心さえ誠の道にかなっていれば、祈らなくても神は守ってくださるだろう)」、また「あやまりのあらば中々さもあらば心づくしに何いのるらん(過ちがあるなら、それはそれとして、心を尽くして何を祈るというのだろう)」と詠まれました。この二首の道理は至極であり、違ってはいけません。およそこの理ははなはだ明らかで、どんなに学問のない人でも知りやすい。けれども凡夫は道理に暗く、利欲が深いので、善を行い悪をしなければ天道にかない、福があって禍がないという理を知りません。ただ欲心と非礼の行いで神仏にへつらい祈り、また権勢のある人にへつらい求めて、財禄を得ようとします。けれども天道や神明には私心がないので、へつらったからといって福を与えられず、咎があるのを許されません。道に外れた祈りに、その効き目がないことは、今目の前に明らかです。

解説

「心だに誠の道にかなひなば祈らずとても神や守らん」は、菅原道真の作と伝えられ、江戸時代に広く親しまれた歌です。誠の心こそが神の守りを得る道であり、形ばかりの祈祷では効き目がないという益軒の主張を、分かりやすく代弁しています。神仏へのへつらいと権力者へのへつらいを並べて批判している点も見逃せません。どちらも自分を正す努力をせずに、他人の力で得をしようとする心です。誠実に生きることが最良の祈りだという教えです。

この章句が説くこと

誠祈り菅原道真へつらい神明

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