玉勝間 / 八の巻 重荷に小付
重荷に小附と云ふこと、後撰集に、年の數つまむとすなる重荷にはいとどこづけをこりもそへなん。
新字:重荷に小附と云ふこと、後撰集に、年の数つまむとすなる重荷にはいとどこづけをこりもそへなん。
書き下し
重荷に小附と云うこと、後撰集に、年の数つまむとすなる重荷にはいとどこずけをこりもそえなん。
現代語訳
「重荷に小付(こづけ)」ということは、後撰集に「年の数積まむとすなる重荷にはいとど小付けをこりも添えなん(年の数を積み重ねようとする重荷の上には、いっそう小付けまで添えることになるだろう)」とある。
解説
重い荷の上にさらに小さな荷を付け加えることから、苦労の上に苦労が重なることを言う「重荷に小付け」という言い回しの古い用例を、後撰集の歌から示した段である。引かれた歌は、年を重ねることを重荷を積むことにたとえ、そこにさらに小付けを添えると詠んでいる。老いの重さにさらに重さが加わる嘆きを、荷運びの言葉で表したものである。宣長は、江戸時代のことわざとして使われていた言い回しが、平安時代の勅撰集にすでに見えることを確かめた。重荷を背負って運ぶことは、昔の人々にとって身近な労働であり、その実感から生まれた言い回しが、千年を越えて生き続けてきたのである。今でも「泣き面に蜂」「弱り目に祟り目」など、不運が重なることを言う言い回しは多い。苦労が重なるという人生の実感は、いつの時代も変わらないことを、この短い段は教えてくれる。
関連する章句
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