玉勝間 / 四の巻 うき世
うきよは、憂き世と云ふ事にて、憂き事の有るにつきて云ふ詞なり。古き歌どもに詠めるを見て知べし。然るをからぶみに、浮世と云ふ事もあるにまがひて、つねに浮世と書きならひて、唯だ何と無く世ノ中の事に云ふは誤りなり。古歌を見るにも、憂きと云ふに心をつけて見べし。
書き下し
うきよは、憂き世と云う事にて、憂き事の有るにつきて云う詞なり。古き歌どもに詠めるを見て知るべし。然るをからぶみに、浮世と云う事もあるにまがいて、つねに浮世と書きならいて、ただ何と無く世の中の事に云うは誤りなり。古歌を見るにも、憂きと云うに心をつけて見るべし。
現代語訳
「うきよ」は「憂き世」ということで、つらい事があるのにつけて言う言葉である。古い歌の数々に詠まれているのを見て知るがよい。ところが漢籍に「浮世」という語もあるのと混同して、いつも「浮世」と書き慣わし、ただ何となく世の中のことを言うのに使うのは誤りである。古歌を見る場合にも、「憂き」という意味に注意して見るべきである。
解説
「うき世」の本来の意味を正した短い考証である。宣長によれば、うきよはもともと「憂き世」、つらいことの多い世を嘆く和語であり、古歌はその意味で詠んでいる。ところが漢籍に「浮世」、はかなく定めない世という語があるため、字を取り違えて浮世と書くようになり、ついには単に世の中という程度の意味で使われるようになった、と言う。宣長の生きた時代には、浮世草子や浮世絵のように、浮かれた当世風を指す用法まで広がっていた。漢字の当て方が和語の意味を塗り替えてしまう例として、漢意批判の小さな実例にもなっている。古い言葉を読むときは、字面ではなく、もとの語の心で読めという教えである。
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『玉勝間』四の巻 兼好法師が詞のあげつらひすべて何事も、なべての世の人の真心にさかいて、ことなるを善き事にするは、外国のならいのうつれるにて、心を作り飾れる物と知るべし。
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