玉勝間 / 八の巻 言の然云ふ本の意を知らまほしくする事
たとひ其もとの意は、よく明らめたらむにても、いかなる所に使ひたりと云ふ事を知らでは、何のかひも無く、おのが歌文に用ふるにも、ひがことの有なり。今の世古學をするともがらなど殊に、すこし遠き言と云へば、まづ然云ふ本の意を知らむとのみして、用ひたる意をば、考へむともせざる故に、おのが使ふに、いみしきひがことのみ多きぞかし。すべて言は、然云ふ本の意と、用ひたる意とは、多くは等しからぬ物なり、たとへばなかなかにと云ふ言はもと、こなたへもかなたへも附かず、中間なる意の言なれども、用ひたる意はただ、なまじひにと云ふ意、又移りては、かへりてと云ふ意にも用ひたり。然るを言の本によりて、打まかせて、中間なる意に用ひては、たがふなり。又心ぐるしと云ふ言は、今の俗言に、氣毒なると云ふ意に用ひたるを、言のままに、心の苦き事に用ひては、たがへり。されば是等にて、萬の言をも、なずらへ心得て、まづ古へに用ひたるやうを、さきとして、明らめ知るべし、言の本にのみよりては、中中に古へにたがふ事多かるべしかし。
新字:たとひ其もとの意は、よく明らめたらむにても、いかなる所に使ひたりと云ふ事を知らでは、何のかひも無く、おのが歌文に用ふるにも、ひがことの有なり。今の世古学をするともがらなど殊に、すこし遠き言と云へば、まづ然云ふ本の意を知らむとのみして、用ひたる意をば、考へむともせざる故に、おのが使ふに、いみしきひがことのみ多きぞかし。すべて言は、然云ふ本の意と、用ひたる意とは、多くは等しからぬ物なり、たとへばなかなかにと云ふ言はもと、こなたへもかなたへも附かず、中間なる意の言なれども、用ひたる意はただ、なまじひにと云ふ意、又移りては、かへりてと云ふ意にも用ひたり。然るを言の本によりて、打まかせて、中間なる意に用ひては、たがふなり。又心ぐるしと云ふ言は、今の俗言に、気毒なると云ふ意に用ひたるを、言のままに、心の苦き事に用ひては、たがへり。されば是等にて、万の言をも、なずらへ心得て、まづ古へに用ひたるやうを、さきとして、明らめ知るべし、言の本にのみよりては、中中に古へにたがふ事多かるべしかし。
書き下し
たとい其もとの意は、よく明らめたらむにても、いかなる所に使いたりと云う事を知らでは、何のかいも無く、おのが歌文に用うるにも、ひがことの有るなり。今の世古学をするともがらなど殊に、すこし遠き言と云えば、まず然云う本の意を知らむとのみして、用いたる意をば、考えむともせざる故に、おのが使うに、いみじきひがことのみ多きぞかし。すべて言は、然云う本の意と、用いたる意とは、多くは等しからぬ物なり、たとえばなかなかにと云う言はもと、こなたへもかなたへも附かず、中間なる意の言なれども、用いたる意はただ、なまじいにと云う意、又移りては、かえりてと云う意にも用いたり。然るを言の本によりて、打まかせて、中間なる意に用いては、たがうなり。又心ぐるしと云う言は、今の俗言に、気毒なると云う意に用いたるを、言のままに、心の苦き事に用いては、たがえり。されば是等にて、万の言をも、なずらえ心得て、まず古えに用いたるようを、さきとして、明らめ知るべし、言の本にのみよりては、中々に古えにたがう事多かるべしかし。
現代語訳
たとえそのもとの意味をよく明らかにしたとしても、どんな所に使ったかということを知らなければ何のかいもなく、自分の歌や文に用いるにも誤りが生じる。今の世の古学をする人々などはことに、少し遠い古語となると、まずそう言うもとの意味を知ろうとばかりして、用いられた意味を考えようともしないので、自分で使うときにひどい誤りばかりが多いのだ。およそ言葉は、そう言うもとの意味と用いられた意味とは、多くは等しくないものである。たとえば「なかなかに」という言葉は、もとはこちらにもあちらにも付かない中間の意味の言葉であるが、用いられた意味はもっぱら「なまじっか」という意味で、さらに移っては「かえって」という意味にも用いた。それを語のもとによって、無造作に中間の意味に用いては誤りになる。また「心ぐるし」という言葉は、今の俗語でいう「気の毒だ」という意味に用いたのに、字のとおりに自分の心が苦しいことに用いては誤りである。だからこれらの例から、万事の言葉も同じように心得て、まず古えにどう用いたかを先として明らかに知るべきである。言葉のもとにばかり頼っては、かえって古えに背くことが多いであろう。
解説
関連する章句
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『玉勝間』八の巻 言の然云ふ本の意を知らまほしくする事物まなびするともがら、古言の、しか云うもとの意を、知らまほしくして、人にもまず問う事、常なり。然云う本の心とは、たとえば天と云うは、いかなる意ぞ、地と云うは、いかなる意ぞ、と云う類いなり。これも学びの一つにて、さも有るべき事には有れども、さしあたりて、むねとすべきわざにも有らず。大かた古えの言は、然云う本の意を知らむよりは、古人の用いたる意を、よく明らめ知るべきなり。用いたる意をだに、よく明らめなば、然云う本の意は、知らでも有るべきなり。そもそも万の事、まずその本をよく明らめて、末をば後にすべきは、論無けれど、然のみにも有らぬわざにて、事のさまによりては、末よりまず物して、後に本へはさかのぼるべきも有るぞかし。大かた言の本の意は、知り難きわざにてわれ考え得たりと思うも当れりやあらずや、定め難く、多くはあたり難きわざなり。されば言の葉の学問は、その本の意を知る事をば、のどめ置きて、かえすがえすも、古え人のつかいたる意を、心をつけて、よく明らむべきわざなり。
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うひ山ぶみ・注[ツ]語釈は緊要にあらずこは学者の、たれもまづしらまほしがることなれども、これにさのみ深く心をもちふべきにはあらず、こは大かたよき考へは出来がたきものにて、まづはいかなることとも、しりがたきわざなるが、しひてしらでも、事かくことなく、しりてもさのみ益なし、されば諸の言は、その然云フ本の意を考ヘんよりは、古人の用ひたる所をよく考へて、云々の言は、云々の意に用ひたりといふことを、よく明らめ知るを、要とすべし、言の用ひたる意をしらでは、其所の文意聞えがたく、又みづから物を書クにも、言の用ひやうたがふこと也、然るを今の世古学の輩、ひたすら然云フ本の意をしらんことをのみ心がけて、用る意をば、なほざりにする故に、書をも解し誤り、みづからの歌文も、言の意用ひざまたがひて、あらぬひがこと多きぞかし、からぶみをもまじへよむべし、漢籍を見るも、学問のために益おほし、やまと魂だによく堅固まりて、動くことなければ、昼夜からぶみをのみよむといへども、かれに惑はさるゝうれひはなきなり、然れども世の人、
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『玉勝間』七の巻 物書くに心すべき事またかくれが、すみかなどのカに、家の字を書くは、ひがことなり。これらのカは、処の意にて、家と云う事には有らず。されど処と書くべきにはた有らざれば、ただ仮字に書くぞ善き。また隠が、住かなど、上を真字、下を仮字に書きたるは、こちなく見ゆ。このたぐい皆同じ。さびしに淋の字、いかにぞやおぼゆ。ながめに詠の字もいかが、詠は、声を長むることにこそ有れ、物を見るながめには、よし無し。さてまた常に目なれぬ文字をつかう事、すべて悪ろし。すべて上の件のたぐいの事ども、なおいと多かるを、今はただ思い出ずるままに、一つ二つ云えるのみなり。なずらえて心得べし。そもそも古人は、必ずさしもこまかには物せず、物書きたるも、おおらかにて、文字なども、心にまかせて書きたれば、今もただいかに書きても有りぬべし、さまでこちたく事を分けむは、くだくだしき後の世心にこそ有らめ、と思う人、有るべし。すべて古をこのみて、万ずに心高からむとかまうる人は、かかる事云うをば、心ひきく拙きわざと、もどくべかめれど、それ然しも有らじ。
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『玉勝間』八の巻 今の人の歌文ひがこと多き事近き世の人のは、歌も文も、大かたはよろしと見ゆるにも、猶ひが事の多きぞかし。されど其のたがえるふしを、見知れる人はた世に無ければ、唯だかいなでに、此処かしこえんなる詞を使い、よしめきて、詠みなし書き散らしたるをば、誠に善しと見て、人のもてはやし、ほめたつれば、心をやりて、したり顔すめる、いとかたはら痛く、おこがましくさえぞ思わるる。さるにつけては、斯く云うおのが物する事も、猶いかにひが事有らむと、物よく見知れらむ人の心ぞ、恥しかりける。人のひが事の、よく見え分かるるにつけては、我はよくわきまえたれば、ひが事はせずと、思いほこれど、古えの事の心をさとり知るすじは、限り無きわざにし有れば、此外あらじとは、いとなん定め難きわざなりける。
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『玉勝間』八の巻 歌もふみもよくととのふはかたき事近き代の人の歌ども文どもを、見あつむるに、一ふしおかしと目とまる事は、ほどほどにあまたあめれど、それはた如何にぞや覚ゆる所は交りて、大かた瑕無くととのいたるは、おさおさ見えず。これは思えば、後の世にして、古えをまねぶ事は、いといと難きわざになむ有ける。古えのかしこき人々のだに、是れはしも、露の瑕なしと覚ゆるは、多かる中にも、少くなん有れば、まして今の人のは、いささかなる瑕をさえに、云いたてむは、あながちなるにや有らむ、されど同じくは、人のいささかも難ずべき節まぜぬさまにこそはあらまほしけれ。よき程にて、心をやるをば、もろこしの古えの人も、善からぬ事に云い置きけるをや。
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うひ山ぶみ・注[ラ]万葉集をよくまなぶべし上代のさま、中古の人は、中古のさま、後世の人は、後世のさま有て、おのおのそのいへる言となせる事と、思へる心と、相かなひて似たる物なるを、今の世に在て、その上代の人の、言をも事をも心をも、考へしらんとするに、そのいへりし言は、歌に伝はり、なせりし事は、史に伝はれるを、その史も、言を以て記したれば、言の外ならず、心のさまも、又歌にて知ルべし、言と事と心とは其さま相かなへるものなれば、後世にして、古の人の、思へる心、なせる事をしりて、その世の有さまを、まさしくしるべきことは、古言古歌にある也、さて古の道は、典の神代上代の事跡のうへに備はりたれば、古言古歌をよく得て、これを見るときは、其道の意、おのづから明らかなり、さるによりて、上にも、初学のともがら、まづ神代正語をよくよみて、古語のやうを口なれしれとはいへるぞかし、古事記は、古伝説のまゝに記されてはあれども、なほ漢文なれば、正しく古言をしるべきことは、万葉には及ばず、書紀は、殊に漢文のかざり多ければ、さら也、さて二典に載れる歌どもは、
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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