玉勝間 / 八の巻 まにあはぬ
又間にあはぬと云ふ事も、是れに見えたり。近き世の言には有らず。
書き下し
又間にあわぬと云う事も、是れに見えたり。近き世の言には有らず。
現代語訳
また「間に合わぬ」ということも、これに見える。近世の言葉ではない。
解説
「間に合わない」という言い方が、平安時代の小右記にすでに見えることを書き留めた段である。前段の「産の間に逢わず」を受け、そこに今の「間に合わぬ」の元の形を見たものと読める。出産の時に居合わせることができなかったという記述が、今の「間に合わない」とほぼ同じ形の言い方だというのである。宣長はこれを「近き世の言には有らず」と言い切り、俗語と思われている言い回しが千年近く前の記録にすでにあることを示す。宣長が生きた江戸時代には、俗語は古語より卑しいものと見られることが多かった。しかし宣長は、古記録を丹念に読むことで、俗語の多くが古い言葉の流れを受け継いでいることを繰り返し示した。今も日常で何気なく使う言い回しの中に、平安の貴族が日記に書いた言葉が生きている。言葉のつながりを実感させてくれる短い一段である。
関連する章句
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『玉勝間』八の巻 明明日明後日のことを、小右記に、明明日と、ところどころに見えたり。
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『玉勝間』八の巻 そばへもよらぬ竹取物語に、つねにつかうまつる人を見給うに、かくや姫のかたわらに寄るべくだにあらざりけりと有るは。俗の詞に、物をくらべて、こよなく劣れるを、そばへもよらぬと云うに同じ。
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